成田空港到着PCR検査待ち体験記
父の葬儀に出られなかった私は、コロナ渦の渦中ですが、せめて納骨するときには立ち会いたいと思い、四十九日の法要前に2週間の隔離が終わるように、7月20日に成田に到着するカタール航空で日本に帰国しました。帰国前、羽田到着の様子を報告されていた方の話が非常に役に立ったので、私も自分の忘備録の意味も含めてここに記します。
イスタンブルーカタール間は7割ほど埋まっており、私は3席列の窓際に座りましたが、1席空けて廊下側にも人が来ました。一番後ろの数列はすいていましたが、トルコの有名医が飛行機ではトイレ近くや廊下側に座らないほうがいい、と言っていたのでそうしました。
7月初めにトルコ航空に乗った人の話ではサンドイッチなど軽食しかでなかったとききましたが、カタールでは普通に出ました。アラブ系だからアルコールはないかなと思っていましたが、ワインやビールがありました。CAはみな外国人で、ワインを注文すると嬉しそうに張り切っているように見えました。
ドーハ空港はガラガラでした。Quiet Roomもいつも混んでいると聞いていましたが、この日は席をゲットできました。ドーハ空港の物価は高く、マフィンが5,5 ドルもしていました。機内でもらった水をトランジットで取り上げられたので、しかたなく2,5ドルの水を買いました。3ドル渡したら、おつりはカタールのお金と、足りない分バナナをくれました。その水はトルコ製で、ふつうは0,25ドルくらいで売られているものでした。。。
成田行に乗り込むときは、乗客が殺到しないようにゾーン分けをして順番に乗せていました。しかしゾーン分けするほど乗客はいませんでしたね。半分以下くらいでした。私はまた窓際に席をとりましたが、隣にも誰も来ず、ゆったりと過ごすことができました。30分無料のWifiもありました。どうせつながらないと、ダメもとで試したらよくつながりました。
機内では税関書類のほか、質問票が配られます。飛行機を降りると検疫の前でいったん間隔をあけて並べられた椅子に座らされ、待たされます。そのあとどこにどんな手段で行くのか聞かれ、用紙に記入します。そこで番号付き検疫のピンクの紙を渡されます。電話番号を記入し、ラインがあればQRコードをスキャンして「厚生労働所帰国者フォローアップ窓口」につなげます。私たちの飛行機は乗客が少なかったので30分も待たないうちに検査になりました。長い綿棒を鼻の奥に入れて5秒待つ検査は、複数の人が痛かったといっていましたが、覚悟していたせいかそう痛く感じませんでした。そのあと、すでにレーンから降ろされている荷物を受け取り、その夜泊るホテルが決まるまで有名なあの段ボールベッドの場所で待機しました。羽田に7月初めに着いた友人がレジャーシートで夜明かしさせられたというので恐れていましたが、ベッドで寝れそうでほっとしました。家族など自家用車や自宅に帰るハイヤーを手配している人はそこで少し待機してから、車が到着次第退散していきました。私が入っていくと、「ご家族はお迎えにこないんですか」と言われ、なんか悲しくなりました。
段ボール広場にはバナナや水が置いてあり、外国人も多くいました。交代船員さんたちだそうです。彼らが根こそぎ食べ物を持って行ってしまうので、バナナも品薄でした。係員の人がこっそり菓子パンやジュースをわけてくれました。ホテルに行くのは私を含めて4,5人でした。そうこうしているうちに行くホテルが決まり、バスに案内されましたが、どこのホテルに行くのかわかりません。他の人のブログで聞いていましたが、バスの内部はビニールが張り巡らされ、窓もカーテンが閉められていました。行先もわからないのでまるで護送車です!
10分ほど走ってバスが止まると、係員が乗り込んできて「入所、退所の心得」のようなものを説明しました。部屋から出ないように、弁当は部屋の外に配るので、知らせが来たらドアを開けてとるように、部屋から出てはいけないので、自販機も利用できないこと、結果が陰性だった場合どう言う手段でどこに行くのかをアンケートに書いてドアの表にマグネットで貼っておくように、などです。それはさっきも検疫で聞かれて書いたんですけどね。
バスを降りるとそこが日航成田だということがわかりました。ロビーが仕切られていて、4,5人の係員がいました。一人は私の名前をチェック、一人は弁当渡し、一人はこちらへ、こちらへ、と案内、もう一人はエレベーターのボタンを押す係でした。帰国者はエレベーターのボタンも触ってはいけないのです。鍵もくれません。部屋から出てはいけないから。
私が泊る階に着くと、また4,5人の係員がいて、こちらへ、こちらへ、と指示されました。廊下にいつもは部屋の中にある折り畳みの荷物置きが並んでいました。そこに弁当が配布されるようです。配布が終わるまで絶対にドアを開けないでくださいと念を押されました。。。スタッフとの接触を避けるためです。
部屋は結構狭かったので、2泊で済んでよかったと思いました。運動不足も甚だしくなる、と思ったら、机の上に「エコノミー症候群予防体操」の説明が、日本語と英語でありました。掃除しているとは思いましたが、トルコのアルコール度80度のふりかけコロン、「コロンヤ」でドアノブやスイッチ、トイレの便座などを拭きました。おいてあった水の瓶も洗いました。スーツケースやベッドにもコロンヤを振りかけました。昔トルコで入院した時、同室の人がベッドにコロンヤを振りかけていたのを思い出しました。あれは意味があったんですね。
他にも諸々の注意書きがあり、検査の結果が出るまでここに「入所」して待機していただきます、とか、「退所」するときはごみを分別して出してくださいとか、ホテルではなく厳しい施設のような言葉使いです。
さて、お弁当を開けてみると、手書きのメッセージが貼ってありました。。。。「本日もお疲れさまでした。明日もいい1日になりますように」うわー、いちいち手で書いてるんだ、だからあんなにいっぱい人がいるんだ、と感心しながらいただきました。しかしさっきからバナナや菓子パンを食べていたのであまりおなかがすいていません。
5時に着陸してホテルに着いたのは7時くらいでしたか。シャワーを浴びて久々に日本のテレビに夢中になってみていたら、日本のほうが今感染者が続々増えているというニュースをやっています。2週間終わってもあまり外出しないようにしようと思います。
次の日は7時半ごろ電話が鳴り、「おはようございます」とモーニングコール。これが例の合図なんだなとドアを開けると、いつのまにか弁当が配られていました。なんかおなかが空かないけど少しだけ食べました。時差ボケで眠くて二度寝していたら、昼ご飯コールが。また「おはようございます」なんですが、一斉コールだからしょうがないんですね。昼食もあまりおなかが空いていない。。。真昼間の刑事ものの再放送を次々に見ていたら、また夕ご飯の時間になってしまいました!
この間事務局から電話がかかってきて、明日朝結果が陰性だったら10時に成田空港行のバスに乗ると伝えました。この後送迎付きの2週間隔離宿を予約していたので、その業者に連絡しました。すると迎えの車は成田に13:30にしか来ないといいます。成田で3時間も待つのかーと、うんざりしていたら、また電話がかかってきました。再度交通手段の確認です。私が成田で3時間待つというと、成田には陰性の帰国者が待つところがないといいます。ホテルに来てもらってくれと。もう夜だったので業者にメッセージを流し、次の日の朝、13:40にホテルに来てもらえるという連絡をもらいました。
ということで、3日目の昼もここで食べることに・・・最後の弁当のメッセージは「きっと乗り越えられる!私たちも一緒に戦っています」でした。
「戦う」。。。私自身は戦っているつもりはなかったのですが、事務局の方々は毎日感染リスクにさらされて大変なんでしょうね。ご苦労様です。
こんなこと、いったいいつまで続くんでしょうか。
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