田舎に埋もれる≒"名人伝"
先日、アトリエ系設計事務所に勤める元同級生との会話で、熊本に計画されている"震災ミュージアム"なるプログラムのコンペを勝ち取った事務所の名前が出てこず、3年前には"10年後には大西麻貴に追いつく"など張り紙しとったのに、その仮想敵すらたったの3年で失念するとは!と思うとともに、これぞ中島敦の"名人伝"の境地!なども思ったけど、実際は何も極められず田舎に馴化し埋もれているだけなので、歳を取ると事実誤認から自己弁護を引き出す能力のみ発達していくんだなと感慨深かった。
ただ、”震災ミュージアム”とは何ぞ?ダサくね?と脊髄反射のように震災被害の当事者の自分ですらそう思ってしまったのは、地元で起きた震災を別に特別なものと思いたくないからなのだろう。
小学生の頃に雲仙普賢岳の噴火が起き地面が一面グレーになり、家の庭のモグラがビックリして地面に4カ所も穴を開けたことに驚き、中学入学前に阪神大震災と地下鉄サリン事件を"活断層"という地理用語と、麻原彰晃という熊本出身のニュースターとともに焼き付けられ、大学入学前にWTCへ飛行機が突っ込むリアルタイム中継映像を"渡鬼"感覚で眺め、東北で起こったにもかかわらず、今まで経験したことのない揺れを感じて築50年のアパートを飛び出した時のことも、すべて、距離が近い人にとっては特別で、遠い人にとってはニュースで、歴史上の出来事で、なので、その近い人に近い事実を記憶、記念、祈念する施設は、おのずから、近い人にとっては自明の内容と鮮烈さを保つこととなり、遠い人にとっては観光資源と学習になってしまう。その陳腐さが、名だたる業界の俊英たちの知性の矛先の標的となり、実際の建造物として結晶化してしまうことを忌まわしく思ったのだと思う。
プログラムやコンセプトなどという概念を大学で習い。その内、プログラムにどう応えるかよりもよりもプログラムのデザインそのものの方が重要ではないかと思うようになった(課題としてのプログラムについぞまともに応えられたこともなかたのだけれども…)。今回のプログラムは有識者会議を通じて策定されており、熊本大学の教授連や、NPOの代表、得体のしれない経歴の企業人が、何やら記憶されるべき事象、遺構を選定し、"震災ミュージアム"は熊本県の予算が逼迫しない限り規定路線になっていることを感じた。そこには、あり得べき"継承とは何か?"というグランドデザインに対する意識はないのだ。もちろん、建築家を志しながらも、描かれる前のキャンバスが最も美しいなどと宣うことが陳腐なように、メタプログラムを論じるべきということに、実用的な意味はほぼない。ほぼないと分かりながらも思わざるをえないのだ。
”震災ミュージアム”が竣工した折には、実際に足を運び、スマホで画像を撮りため、久々に阿蘇に入れるようになったことを喜ばしく思い、前述の愚痴のことはすっかり忘れ、周回遅れで地方都市にもたらされる建築界の新潮流をありがたがるだろう。賢くあるよりも優しくあることの方が難しいと言うが、メタ視点を越えた泰然自若とした大らかさが欲しい。幸せかどうかは内発的なものだろうから。
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