20240322
最近にはじまったことではないが、「経験値」という言葉がよく使われている。RPGの中の話ではなく、広く一般的に。「経験」と言えば意味は通じるところを、わざわざ「値」をつけて言うのはなぜだろう。「経験」を「経験値」と言い換えるとき、経験の質は、量で計測できるものに変わってしまう。「定量化」ってやつだ。この言葉をなにげなく使うことによって、どんな経験でも数字に置き換えられる世界を、ひとはつくっている。数字に置き換えられた途端、そのひと独自の「かけがえのない経験」は雲散霧消する。「かけがえのない経験」をした「かけがえのない個人」もいなくなり、すべてのひとは数として把握される。どんな言葉を使うかには、それくらいの力がある。鈍感な言葉づかいが、人間の世界をせせこましくしている。
何年も継続して買っていたウェットティッシュが、いつも行くスーパーで取り扱われなくなった。名の知れたメーカーのものなのに、なぜか突然。ドラッグストアも何軒かまわってみたが、どこも置いていない。しかたなくヨドバシカメラのネットストアで探し、ストック分を含めて注文した。なにを拭いても大丈夫なように、アルコールの含まれていないものを長年使っている(拭いた素材にアルコールが影響すると困る)。ボックスの付属しない詰め替え用のほうが、1枚あたりの単価が高い。市場原理的にはそうなるのかもしれないけれど、ちょっと納得いかない。ヨドバシでは結局、ボックス入りのほうを複数個買った。エコじゃない、と言われたら、そのとおりかもしれない。
無印良品で新しく買ったランチョンマットの厚さが、10年ほどまえから使っているものと比べて、半分になっていることに気づいた。デザインはほとんど変わらないのに。薄いとやっぱり、かなり安物感が出る。値段をなるべく据え置こうとすると、こうなるのか。なかなか世知辛い。素材などが書かれたタグをハサミで切るときに、やや失敗もした。本体の布も一緒に少し切れてしまって、地味に悔しい思いを引きずる。裏側だから、ほとんど見ない。そう言い聞かせながら、新しいランチョンマットの上で食事をしている。何回か洗濯をすれば、こんなことも気にならなくなるだろう。