コミュニケーションのテクニック
丁寧に齟齬なく伝えようとするのが、真っ当であろう。
しかし、言語化する時点で齟齬は必ず生じる。
どうしたらうまく伝わるだろうか。
どうしたら無駄な口喧嘩を減らせるだろうか。
例えば、Twitterとかで炎上するパターンを見てみよう。
感情を刺激するものでも、まったく頓珍漢な発言であれば、あまり相手にされない。されても一時的だ。
しつこく粘着されるのが、とても正論で正鵠を打った発言なのだが、表現が少し前年なパターンだ。とても気を使った言葉の選び方をしているほどにその傾向がある。
丁寧にすると、その齟齬が生じる部分が限定される。そうするとそこが際立ち、標的となる。
とくに、反論しにくい内容であればあるほど感情でしか対抗できなくなる。
その感情のエネルギーは凄まじい。その単語の意味を真逆に捉えても自分では気づかないということもある。
ではその感情の発端はなんであろうか。
自分が劣っていると思って生じる対抗意識と言って構わないと思う。
引きずり降ろそうという心理。もしくは、自分の誤りを認めたくないという心理だ。
いわゆる揚げ足取りであるが、その不毛さと終わりのなさは誰しも目にしたことがあるだろう。
したがって、対象を見定めない知的な発言は墓穴をほることになりがちである。
では、どうしたら建設的にお互いを認め合えるだろうか。
「岡目八目」
自分を他人事のように俯瞰してみるのだ。
一歩引いて冷静になるのだ。
他者は全て師であり、かといって自分を卑下するのではなく、着実に謙虚に学んでいく姿勢。
学びきれなくとも、そこに足を踏み込めたということで十分だ。
そこで種をまいておけば後で線がつながり芽がでる。
しかも、その姿勢であると、相手が言葉を選ぶ。
分かりやすく、本質に近いところを簡単に教えてくれる。
この姿勢を引き出せればもう勝ったも同然。建設的にお互いを高めあっていく姿勢に自然となっていく。
これの意外なメリットが、教えを請われた相手の方が実りが多いという点だ。
自分がわかったつもりになっていたことを言語化するということは、その理解を整理することになる。しかも、それをその場で説明するという姿勢では意識していなかった内容がふいに口をついて出てくるということがよくある。
それは自分だけでは得られなかったことであるし、自尊心も向上させてもらえた。そう考える人だから教えを請われるわけだ。その人からは感謝されているだろう。
「質問してくれて、話しかけてくれて、ありがとう」
当たり前だが、それは話しかけた貴方自身が思っている
「応えてくれて、教えてくれて、ありがとう」
これと表裏一体である。
お互いに感謝しかない。そこへのハードルは、貴方が一歩勇気を出すということだけだ。
この考察に関しては脳神経学や心理学の方でやっているのだろうか。これはあくまで自分の経験から感じたことである。
さて、それでは上をまとめてみよう。
自分はどうしたらいいか。
感情的になっていないか、相手の目線だとどう受け止められるだろうか。主張するだけになってしまって相手が見えていないということはないだろうか。それを全世界の人々を対象にしていたら何も言えなくなってしまうから、どんな相手に喜ばれたいか、自分の求めるターゲット層だけでいい。
上を踏まえて、どう振舞うか。
自分の考えや思考には自信をもち、そこへのアドバイスをもらう姿勢で話すのだ。自分の思考を整理する助けにもなるし、そこで自分の軸が明確化される。自分も相手も喜ぶのだから、やらない理由はない。
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