レビュー「wowaka/アンノウン・マザーグース」前衛と普遍の共存
過去記事でもレビューを書いたが、まだ書きたいことがある。
前衛と普遍
アンノウン・マザーグースのMVの一枚絵を見ていて、気付いたもう一つの見方を書いておきたい。
部分的にピカソのキュビズムを彷彿とさせるような絵。
「キュビズム」でイメージするものとは、変化、革新、挑戦、打破。
・・・過去の流れも意識しながら、常に新しいものを生み出し未来に向かっていく。ときには自分の生み出したものさえ、振り払う、しがみつかない勇気だろう。
また、一つの視点からだけでなく、複数の視点からの見方を重視する。
タイトルにもある「マザーグース」でイメージするものとは、伝統、伝承、文化、歴史、幼児期の一場面。
・・・文化としての側面と、個人個人の中に浸透している古くて温かい記憶のようなもの、その人を形成している一部でもある(日本いうと昔話とか、童謡とか)。
革命、前衛的な手法。
そして、一つの言葉の中にも複数の意味がある。wowakaさんの歌詞の中には一つのことばなのに、あるときは全く反対の意味に取れる場合もある。また、表面の言葉と聞き取ったときに違う意味に聞こえる場合もあり、いつのまにか不思議な世界に誘われる感覚がある。
それでいて、マザーグースという普遍的に口承のように紡がれていく物語。
前衛と普遍の融合でありつつ、複数視点で見られる(多義的、多面的)という想いがあるのかなと思った。
曲などからみたwowakaさんの印象
やっぱり、wowakaさんの書道を見て、音楽を聴いて、綴られた文章などで共通して感じたのは、力強さ(カッコよさ)と繊細さ(儚さ)の共存である。
そして、人一倍「自分」への関心が高いということ。
特殊性というか、この孤独感やこだわりのようなものが音楽に反映されている気がする。
曲の感想
私がよく聞いているのは
「ローリンガール」
「アンノウン・マザーグース」
この2曲なのだが、どちらも出だしから勢いがある。
「ローリンガール」は歩みを止めたら死んじゃう、だから苦しいけれどもがきながら転がり続ける、的な感じもする。
「アンノウン・マザーグース」は出だしからロケットスタートで「あたしが」で始まって勢いがある。
「世界があたしを拒んでも今〜」のところは、ユートピア的な落ち着きを感じる一方で、戦ったあとの疲弊した心(軋んだ心)が部屋の中ぽつんと置かれているという感じもする。ポロンポロンという効果音(オルゴール音?)が涙みたいに部屋に転がり充満している。
「ドッペルもどき」のところは、重低音が鳴り響いている。ここは1番の同じところと比べても音が異なるので最大限の怒りとか情動を感じる。
「それ、あたしの行く末を照らす灯なんだろう」の後の間奏は、ミクの叫びの「wow」と前奏のリズム0:20〜の部分と上手く融合していてきれいな流れ。バラバラだったものが一つに調和していてる感じ。
最後の「ねえ、あいをさけぶのなら〜」はwowakaさんとミクが一つになっているのだろう。
だからひらがなで表されているし、「さ」と「ち」も含まれるのだ。
また、「くちずさむ」をよくみると
「ち ず さ」
となっている。
「図」をはさんで「ち」と「さ」が対称になっているのだ。
これは、MVのハートの「図」をはさんで、あちら側とこちら側=(仏教用語では彼岸(ひがん)と此岸(しがん))にもなる。
最後の音は分からなかった。「ミ」と「ラ」は含まれている気がするのだが。
YouTubeやネットを漁ってみたが、楽譜によっても異なるので正解はわからないのだけれど、
たぶん個人的な予測では、最後の音は印象的な音で曲にとっても重要なものでもあるので、ミク(39)と関係ある数字になるんじゃないかなと思う。
(ド=1、レ=2・・・として、音符を数字に見立ててその数を足し合わせる。音の和。和音。)
この音は祈りの音に聞こえる。
優しい心地よさが隅々まで響き渡っていく感じがする。
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