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Bookレビュー「フジ子・ヘミングの「魂のことば」」

P42 私の耳は特別、音に敏感だったから、壊れやすくできていたに違いない。

P83 私よりテクニックのうまい人はいくらでもいる。
ピアニストの中には、ただ正確に弾くことだけを考えている人が多いわね。
でも、はっきり言ってそういう音楽には芸術性はないと思う。

P98 大事にしているもの?
それは”音”。
私だけの”音”よ。
誰が弾いても同じなら、私が弾く意味なんかないじゃない。

P104 ぶっ壊れそうなピアノがあったっていいじゃない。
機械じゃないんだから。
小さなミスを問題にするより、
この曲をどういう音で私らしく表現するかが大切なことなの。

P130 部屋に置かれた椅子がみんな違っててもいいんじゃない。
一つひとつ素敵な椅子を選んで買ってきて、置いたほうが楽しいもの。
こうしなければならない、ということは一切ないの。
自分が楽しいようにすればいい。

ある時期、フジ子・ヘミングさんの「ラ・カンパネラ」動画に感動して繰り返し聞いていたこともあり、手に取った本。

全身に電流が走ったような衝撃と刺激。
死にかけた何かが息を吹き替えすように蘇生しまくる言葉。
ピアノの弾き方(音)=生き方、考え方(思想)、行動なんだなと思った。
芸術論とか、音楽とかについて私は詳しくないのだけれど、つまるところ大事なことはそういうことなのだろう。

「全体を揃える美」っていうのも存在すると思うけど、私はそれに馴染めないというか窮屈に感じてきた人間だったから、余計にフジ子さんの「椅子」の言葉はありがたい。
それぞれの違いを楽しめたり、認め合えたりできたら最高だと思う。
Aじゃなきゃだめ、という単一の回答じゃなくて、
Aもいいね、Bもいいし、Cもいい。
そういう寛容な世界が広がっていけばいいなと思う。

ぶっ壊れててもいいじゃない、の考え方は米津さんの「がらくた」とも共通するなあと思った。






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