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小児てんかん発見〜完治の話

2024年ももう少し。
今年特に嬉しかった出来事の一つが、子どもの病気が治ったことだ。

時の経過とともに記憶が薄れていってしまう恐れがあるということ、また同じような状況の親御さんや関係者の参考に少しでもなれたら、と思い書いておくことにした。

【これから書くことの概要】
・長男がてんかんだったが、今年治療終了(完治)となったこと。
・はじめはてんかんだと診断されなかった。
・記録の重要性(筆記、録画)
・小1で担任の勧めでウィスク検査を受ける→特に問題なし
・現在、普通級(小3)


幼稚園(年中)

・7月くらい〜家族が同一の場所にいてもほんの少し見えないところにいるだけでパニックになることがある。
地べたに寝転がり泣き叫ぶ。支離滅裂なことを言う。(「寒い」、「あっち行く」、外出先で「◯◯が光っているのが怖い」など。)
興奮状態が5分くらい続く。

・9月、幼稚園で体操の時間に「お腹が痛い」と訴えたあと、複数回嘔吐。
自宅帰宅後、横になって間もなく目をむく、眼球正中固定、チアノーゼ、意識消失、呼吸なし、脈拍はあり、→119電話で救急隊と私が通話している間に呼吸が戻る。
大学病院に搬送。
下痢なし、発熱なし。
病院で点滴後、元に戻る。血液検査ではCO2の値が少し高いが特に問題なし。レントゲン異状なし。胃腸炎の疑い。整腸剤7日分処方された。
入院無しで帰宅。
後日、脳波検査や血液検査をしたが原因不明。胃腸炎との診断。
※脳派検査結果は異常波が数か所見られるが、てんかんではない人でも異常波が見られることがあり、確定はできないとのこと。

・幼稚園の先生から…
嘔吐の仕方が他の子と比べて長く(30分くらい)、吐いた後もスッキリしていない様子。吐いた後、歩けないのが気になるので、一度病院でしっかり検査してほしい、と言われた。

・家庭で気になっていたこと。
遊んでいるとき、ぼーっとして話しかけても反応しないことがある。数秒〜数十秒程度。
夜間、目が覚めることが多い。

幼稚園(年長)

9月。
午後、幼稚園で遊具で遊んだあと、嘔吐。(1回目)
20分後に2回目の嘔吐。
私が到着して見ると、ぐったりして顔色が悪い。
脈、意識があるが問いかけに対してはまともに答えられない。
前年の嘔吐時と似た様子だったため、救急車要請。
その間、うずくまり「えーん」と数回泣く。

救急隊到着後、自力で歩けないので私が抱っこして救急車に乗車。本人は「寒い」といい、毛布をかけてもらう。隊員の呼びかけに答えるときとそうでないときがある。
ぼーっとして隣にいる私の方を見ない。まただるそうに寝る。

かかりつけの小児科に到着。
本人「頭が痛い」と訴え、ベッドで寝る。
1時間経過後、診察。顔色は良くなっている。先生に前年までの経緯と検査結果を伝える。
その後、別の病院にて再度、脳波検査。

小児精神を専門とする地域の先生にかかる→確定診断ならず
数回受診後、偶然にもそこの病院に来ていた大ベテランのてんかん専門医に検査結果及びこれまでの記録を見てもらい「てんかんでまちがいない」と言われ、確定診断となった。


てんかんと診断されてから

・確定診断を受けて、ホッとした気持ちと、これからどうなるんだろうという不安な気持ちになった。
・息子の場合、「難治性てんかん」に該当するとわかり、大人になっても治らない可能性もあるのかな、その場合、職業や生活、結婚にも影響があるのかな・・・。
・診断されてもされなくても、常に「またあの発作がおきたらどうしよう」という不安は抱えていた。
・本人に説明して、毎日薬を飲む必要があると伝えた。
・私が忘れっぽい性格なので、服薬管理もストレスに感じた。実際、数回忘れることもあった。

治療中

・毎日の服薬(イーケプラ)。1ヶ月〜数カ月に1度の受診や脳波検査、血液検査。
・とにかく睡眠時間を確保することを優先した。
・小1からは近所のスイミングに通った。(てんかん持ちであることは事前にスクールに了承してもらった上で)
・学校の水泳授業も小1から通常通り受けている。


ウィスク検査

・小1のときの担任の先生から呼び出しがあり、面談の上で自治体が運営している教育相談機関を紹介され、ウィスク検査をすることになった。
・この経緯としては、担任から見て「板書や着替えなど著しく行動が遅い」「よく、ものを落とす」「呼びかけに反応しない」等の兆候が気になったから、とのこと。(もちろん、このような言い方ではなく、ふわっとした言い方だったけど要約するとそういう表現になる)
・「小3くらいになるともしかしたら、まわりから浮いてしまって疎外されるかも?」みたいなことも言われた。(これも、直接的ではなく、ぼんやりと、匂わせるみたいな表現だった)
先生としては保護者に伝えづらいであろうことをそれでも伝えなくては、という使命感だったんだろうな、と思う。
・ウィスク検査の結果は特に問題はなかった。
・ウィスク検査で、最も数値が高い項目と低い項目の差が30以上あった。(医師からは数字にとらわれすぎなくていいと言われたこともあり、特に悲観はしていない)


まとめ

大きな発作としては2回で、服薬を開始してからは起きていない。
そして、確定診断から約3年におよぶ治療も無事終了した。
治療が終わったことで、一つ肩の荷が降りた感じがした。なんだかこう、自責の念に四六時中取り憑かれているような気がしたから。
よく、早期発見早期治療というけど、本当に大切だと思った。もし1回目の発作後に分かっていたら、もう少し早く治療開始できたのにとは思ったけど、それは仕方ない。
あの時ベテラン先生がいなかったら、診断はもっと遅かったのだろうし。
いずれにしても、完治してよかった。

まとまりのない文章になってしまったけれど、どなたかの参考になれば幸いです。
相変わらず長男に不注意な行動は見られるので、それは私からの遺伝かな⋯。







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