つげさんの魅力とか、教育とかいろいろ思うこと。
先日「無能の人」のレビューを投稿したところ、思いの外、反応が多く、それだけ世の中の人が関心を持っているということなんだろうと思う。
調べていたら、つげさんの漫画を原作とした映画が今年公開されるらしい。知らなかった。(こちら↓)
昔から注目されている方だと思うが、その割には、本の感想やつげさんについて語られているものが少ないような気がしている。
ファンの人がシャイなのかな?
本当はファンの人に聞きたいところなんだけど、改めてつげさんの魅力とは何ぞや?と考えてみた。
1.唯一無二、もしくはかなり珍しい視点の持ち主
2.仄暗さの中に灯る温かさ
3.説教臭くない、声高に主張しない
4.時々交じるエロとユーモア
5.ノスタルジックな旅情気分
なのかなと思った。
今の時代ともマッチしているのかもしれない。
疲れている人が多すぎるから。
日本そのものが斜陽産業みたいな気もするし。
連日、テレビをつければ茶番のような国会、悲惨な◯人事件、芸能人のアレコレ、最近だと24時間テレビの話題、東京都知事選のポスター掲示板…。
何か違うんじゃないかなーと思うことが多い。
ちょっと真面目な話、関係あるのかわからないけど、個人的に思っていることは教育の問題。
一例として、これらだ。
・滋賀県守山市で起きた事件。(参考図書「母という呪縛 娘という牢獄」)
・秋葉原通り魔事件
・東京大学前殺傷事件
背景はそれぞれ異なるけど、上の2つの加害者は教育虐待を受けていた。
偏差値を上げて、良い学校に入って、良い仕事に就く…?
漠然と呪文のように囁かれてきたことだ。
偏差値を上げられなかった人。
偏差値が上がっても良い学校に入れなかった人。
良い学校に入れても、良い仕事に就けなかった人。
良い仕事に就けても、自分の描いていた未来ではなかった人。(例えば、セクハラ、パワハラ、長時間労働、あるいは出世競争で負けるとか。)
大きな事件に至らなくても、どこかの過程で心に傷や闇を抱えてしまった人。
他人との比較で常に「勝ち」を目指すのはしんどいだろう。
仮に本人がそれを望んでいたとしても、だ。
受験や社会のレースに順調に勝っていったところで、それって幸せなことなんだろうか。
全戦全勝の人はいないし、常に自分より「下」にいる人を見て安心しているのだとしたらそれは虚しい。
だとしたら、早めに手に入れておくべきなのは、生き方、価値観やものごとの見方は多様だという学びなんじゃないかな、と思う。
大人は冷静になるべきで、子供が競争で負けたとしても、それは決してダメなことじゃないんだよ、あなたがダメな人ということではないんだよ、と言ってあげることだと思う。
今の受験のシステム自体を全否定しているのではない。
勉強の楽しさを見出したり、将来就きたい職業のために頑張っている子がいたりするのは素晴らしいことだと思う。
ただ、今までの結果が現れている社会なんだと思うと、何か間違っている、狂っているところもあるんじゃないかなと肌で感じる。
話はだいぶ逸れたが、
つげさんの「無能の人」の話でいうと、私自身は読後感は釈然としない部分もあったのだが、ある種の癒やし、薬草みたいな効用がある気はしている。
例えば、日光過敏症という症状があるように、太陽みたいな燦々と輝く光って、人によっては痛い刺激で凶器になることもあるから。
そういう意味で、つげさんのトーンは絶妙な塩梅で心に沁みてくるのかもしれない。