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解くhodokuと届くtodoku宙kuの音〜ものべに届ける波〜
現在も物部氏の気配が残る場所
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高知県中部、やや東寄りの山間部に香美市物部という地域がございます。
この地域には、物部川という川が通っており、
その昔は「大川」とだけ呼ばれていたそうな。
これが、物部川と呼ばれるようになったのは、下流の東岸には物部氏の装苑があった地域であり
そこからこの川の名がついたとか。
物部氏の先祖は天の磐船というUFOで降りて来た
物部氏といえば、現在の苗字のように聞こえるが、これは「武器や道具を担当する役職」という役割の呼び方である。
姓はむしろ物部守屋のモリヤの部分ではなかろうかという説がある。物部という役職のモリヤという人物。
私たちは、学校という場の正解不正解の中で教育を受けると、あたかもそれが揺るぎない事実のようにインプットされているが、実際の所1500年も昔の史実を学校で学べているよしもなく、史実は現在もさまざまな可能性を秘めながら土地土地に眠っているものだ。
少し話がそれてしまったので戻す事にしよう。
物部守屋が中世に蘇我氏に討ち取られて、物部氏は歴史の表舞台から消えてしまったのが有名だが、その起源に興味を持つ方はどれだけ居るであろうか?
その先祖は天の磐船が降りて来た事から始まっているという伝説があるのだ。
天の磐船とは、いわゆる、宇宙船である。
私はこれこそが、日本の起源、日本人の源の先祖である縄文人だと感じている。
この感覚的な確信を、チャネリングと呼ぶ文化があるが、これは、宇宙から圧縮されて受け取った情報を顕在意識で読み解いたり、それを裏付ける情報が地球次元でも現実的にやって来るのだ。
縄文人たちの実態は現代の解釈の範囲を大きく超える
そして、この縄文人達と天の磐船の関係性を読み解くことはとても重要である。
磐船神社という大阪の有名な磐座信仰の神社があるが、
一箇所にはとどまらず、東北、北陸、北海道といった地域にも磐座信仰は古代からの痕跡があり
大阪や諏訪からは逆方向にあたる高知にも、いくつか磐座信仰の神社が残っているそうだ。これらの神社も、元々は物部モリヤさんの先祖と同じく天(宇宙)から降りて来た存在で同祖という事ではないだろうか。
同時多発的に発生している。という概念である。
そして、陸路・海路だけでなく、彼らは宇宙船を基地局にしてテレパシーで電路で情報交換やエネルギー交換をしていたはずである。
磐座や天然石は、その為に活用されていたはずだ。
磐座は宇宙船の発着所、天然石は宇宙規模スマホの様な波動とテレパシーの送受信器であったのだろう。
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形を変えながら塗り重ねられ、固まってしまったエネルギーをほどく事。
今年の6月に、この高知県の香美市地域の管轄であった宇宙船(天の磐船)が「封印されているのを解除する」という儀式を行った。
地球の次元では解決できない問題が未消化で山積する現代。それは、この地域でも例外ではない。
宇宙からの叡智を受け取りやすくする為に、宇宙船を再起動したのだ。
宇宙船が封印されていたものを解けば、宇宙の波動は圧倒的に届きやすくなる。
我々、人類の心や意識や体もほどく事で、宇宙の波動はエネルギーとして必然に届くようになる。
それが、ほどくととどくくうの音。というこのページと私の活動のこれからのコンセプトだ。
元々は、この地にも天の磐船が降り立って
人々を産み、導き、進化を促す際に天界レベルの知恵で導いていた頃があったのだ。
人々は自然を敬い、自我と大我を愛し、日々の暮らしの中で靈格を磨く事をゲームの様に楽しみながら生きていた。それが、レムリアとも言われる縄文時代の初期であろう。
あの頃の生き方に、私たちは再び戻り進化に向かえるはずである。
地球の歳差運動の影響
上記の理由により、縄文やレムリアの時代は素晴らしかったとよく言われるのだが、差し当たって、近代に至るまでの流れにおいて誰かやどこかの一族が悪いという話ではない。
それは、地球自体の歳差運動の影響によるところがとても大きいと見られるからだ。
地球の軸が傾いているのは周知の事実だが、これによる歳差運動が、宇宙の発展の方向とは逆回転となり、人々の靈性が退化して行く時代の流れがあったのだ。
そう。逆回転は、地上の全てのヒューマノイドに影響を与えた。人々の意識は下降し、分離意識や自我の暴走が起こりやすくなり争いや独占や支配という形で現実に現れた。
縄文文明に息づいていた根源と繋がる豊かな感性は影を潜め、文明はロジカルで表面的でその場しのぎの浅い物となって行った。
では、
これらの流れは、大宇宙の誤算であったか?
というと、そうではない。全てを統合しながら源に還るという体験には「個という極を味わい尽くす」というプロセスが不可欠なのだ。
そういった意味でも、この歳差運動の逆回転も宇宙の愛に導かれているといえよう。
人々の生活を覗くと、見えてくるもの。聞こえてくるもの。
この物部川沿いの地域ももちろん類に違わず歳差運動の影響を受けた。
現在に至るまでに、
何重にも異なる形で、元々あった自然信仰が形を変えている様子が伺える。
ただ、とても貴重なのは長らくの間、イザナギ流という民間信仰が受け継がれて現在も残っているのだ。
それだけ、元々の土地や生命のエネルギーが強い場や人々なのだろう。
ただ、どうもこの受け継がれている物も、入ってきた異文化の影響を受けながら形を変えている。
それで、元の元来の源のエネルギー・自然のエネルギー・天界のエネルギーよりも、人の念力や力のあった先祖の念力によって術がなされる。という形になってしまっている。(地球の歳差運動により仕方がないのであるが。)
どのような流れがあったと考えられるかは、次回になるが、
忘れてはならないのは、イザナギ流の祈祷はいつの時代も人々の暮らしの為に、健康の為に、平穏の為に、と施されて来ている事だ。
先人の「たいゆうさん」(イザナギ流の術師を地元ではこう呼ぶ)達の人々への愛情に、畏敬の気持ちは深まるばかりである。
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