ベルリン 2022年1月

「滑り込む」というドイツ語は年末年始によく聞かれる。日本語の「良いお年を」に相当す る挨拶で、直訳すれば、「良い滑り込みを」とドイツでは言うのである。日本に遅れること 8時間、私はベルリンで2022年への「滑り込み」をしたが、ドイツ全体を見渡せば、地 球温暖化問題、エネルギー問題、ここ30年間で最悪となるインフレ問題、そして先の見え ないコロナ問題と、多くの問題を抱えて2022年に滑り込んでしまった。昨年同様、今年もコロナのため、街中は比較的静かな新年であった。通常ならドイツでは 大晦日から新年にかけては喧騒の中で始まる。クリスマスは家族のもとで静かに過ごすド イツ人だが、大晦日は全く様相が異なり、友人とパーティーなど大騒ぎして年越しをする 人々が多い。毎年、年末の12月30日になると店頭に花火が並ぶが、その花火たるや、日 本ではおそらく消防法などに抵触する、爆弾のような代物である。それを山のように買い求 め、カウントダウンの合図で一⻫に打ち上げるので、あたかも街中が空襲にあったようであ る。しかし、それが昨年、今年と、コロナの規制で、花火を打ち上げることはもちろん、販 売、購入することも禁止されてしまった。それでもご愛嬌に少しだけ打ち上げている隣人諸 氏もいたが、おそらく隣国ポーランドあたりで花火を購入してきたのであろう。いつもなら 1月1日は祝日にも拘らず、ベルリン清掃局の人たちが必死に花火のゴミ収集に精を出し ていたのだが、今年はそれを見掛けることはなかった。先に記したが1月1日は日本同様祝日であり、2日から普通に仕事がはじまる。(今年は 2日が日曜日だったので、3日からである。)この、新年が明け、余韻に浸る間もない、切 り替えの速さは、30年ドイツに住んでいても、私が未だ馴染めないところである。日本の ように、大晦日から正月三ヶ日まで、まるで時計の針が動きを緩めたような時間の流れがド イツには全く無い。1月2日から、街は⻄暦が変わった事実などなかったかのように、日常 に戻ってしまう。パン屋も薬局も食料品屋も郵便局も学校も、通常通り。「正月特別大売り 出し」のような華やかな広告など一つも目にすることがない。日本と相対ともいえるドイツ の年末年始の過ごし方の理由として、一つに、新年を迎える数日前のクリスマスが、日本の 大晦日のような、家族で過ごす大切な時間であること。そして2つ目には日本人のように、 「一年の計は元旦にあり」とか「初日の出」「初笑い」「買初め」のように「初」を信仰する 文化があまりないことであると思う。では本当にドイツで正月気分が全く味わえないかというと、そうでもない。オペラ座やコ ンサートホール、劇場など年末年始は大抵特別プログラムが組まれている。私の働くベルリ ン国立歌劇場は、この時期はいつもおなじみのベートーヴェンの「第9」を演奏しているが、 今年は例外的になかった。というのも音楽監督のダニエル・バレンボイム氏が今年のウィー ン・ニューイヤー・コンサートを指揮するため、不在だったからである。この「第9」であ るが、日本の音楽界のようにドイツでも年末年始に頻繁に演奏されるかと言えば、実はそう ではない。むしろバッハのクリスマス・オラトリオのほうが多く演奏されている。ではなぜ 日本だけ12月に「第9」が頻繁に演奏されるようになったのかには諸説あるが、チケット が一番良く売れて、オーケストラ経営に非常によく貢献するというのが一番の理由かも知れない。あるいは日本人の心のどこかに宿る、他文化に対する憧憬の念が、この時期の「第 9」の演奏を求めているのかも知れない。余談であるがこの「第9」がアジアで初めて演奏 されたのは、東京などの大都市ではなく、100年以上前の徳島の坂東捕虜収容所である。 第1次世界大戦で敗れたドイツ兵が捕虜として徳島に連れて来られ際に、坂東の人々はド イツ人からウィスキー、ビール、パンやソーセージの製法や、楽器の演奏を習ったりして、 世界に例のない戦勝国と捕虜の関係を築いた。それが思いもかけないベートーヴェンの「第 9」のアジア初演につながった。「第9」の4楽章の合唱部分に「Alle Menschen werden Brüder」(全ての人間は兄弟になる)という行があるが、100年以上前にそれを実行して いた坂東捕虜収容所の存在はまさに Zauber(魔法 奇跡)である。ベートヴェンが音楽に 託し、それを日本の徳島の片隅で育んだ他人への思いやり、平和の精神は、2022年の今、 世界中で最も必要となっている気がしてならない。

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