ベルリン 2021年9月
ベルリンは短い夏を終え、秋の気配どころか、後に続く厳しい冬を予感させるような天気である。日中どんより曇った空に加え、朝夕の気温も10度を割るようになってきたのは、まるで、夏の休暇から現実への生活の切り替えを人々に迫っているようだ。
実は、今年の夏、3週間程、オリンピック競技の真っ只中の日本に帰国していた。コロナ禍で不要不急が叫ばれている最中に、ドイツから日本に来るなんて、無謀で、非常識甚だしいと避難を浴びるかも知れないが、長女が9月から東京で生活することを選択したため、家の契約やら、その他事務的な手続きのためにどうしても日本に来る必要が生じた。私と娘にとって、今回の日本行きは「必要火急」だったのである。
ベルリンでの厳しいロックダウンを経験した私は、オリンピック報道と共に、コロナについてのニュースを連日報じる日本に滞在中、大きな違和感を感じてしまった。
一つに、「不要不急の外出を控えて」と盛んに呼びかけられているのだが、「不要不急」という言葉の内容である。東京での長女の引っ越しを終え、お腹が空いたのでご飯でも食べようかという事になったのだが、見事に20時以降の飲食店は閉まってしまった。その影響か、コンビニのお弁当売り場は人々でごった返していた。この時期に日本で暮らす人々にとっては至極当たり前のことかもしれないが、期待に反して夕飯にありつけなかった私達は、びっくりして、途方に暮れてしまった。20時前に飲食店で過ごすのは大丈夫で、20時以降の外食が不要不急になるということなのか。20時という時間の線引はどこからきたのだろうか。にも関わらず、当たり前のように24時間、コンビニが開いていて、夜中の1時とか2時に物を買うことは不要不急に当てはまらないらしい。また、なかなか休みの取れない人が、貴重なお盆休みに、年老いた親の顔を見にくる事や、先祖のお墓参りに田舎を訪れるのは、たとえワクチン接種を完了していても、不要不急と判断されるようだ。ドイツでは不要不急に対する明確な決まりが存在していた。人々はその明確な決まりに当てはめて行動すればよかった。ところが日本には、細かく説明しなくても他人に理解してもらえるという、ある意味便利な思い込みの文化があって、それを逆手にとったような、「不要不急の外出」云々の曖昧さは私にとっては気分の良いものではなかった。
2つめに疑問が残ったのは海外からの日本への入国である。今回ドイツから入国するにあたり、私達に課せられたのは、ワクチン摂取の有無に関わらず、出発72時間前の、1万円ほど費用のかかる、PCR検査。(日常的にドイツで行われている抗原検査は認められない)更には入国前に、空港で再びPCR検査。入国後は、14日間本当に自主隔離をしているか確認するアプリをスマホに入れられ、毎日不規則に電話がかかってくることに対して、ご丁寧に応対するという任務が課せられた。ドイツ人に話すと、まるで旧東ドイツ時代のようだな、と嘲笑された。思うに、これは日本人が持つ、無意識な差別が原因ではないだろうか。または鎖国時代から続いている日本人の持つ、「コロナ=悪いもの=外国からくる」、という潜在的な考えの象徴なのか。私達は2回のワクチン接種も済ませた、PCR検査も2度もしている、これは一般的な日本人よりかなり安全と言える。行動制限付きのアプリは、だったら、日本国民全員に入れさせるべきである。この時代錯誤の考え方のため、日本留学を首を長くして楽しみにしていた海外の学生たちや、憧れの日本での就職が決まったドイツ人などが、断腸の思いで日本入国を諦めざるを得ない現実があることを忘れないでほしい。ちなみに日本からドイツへの入国は8月30日現在、全く自由である。日本人がドイツ国内を観光旅行することも、コロナのワクチン接種やコロナの検査が済んでいれば、もちろん可能である。
3週間の日本滞在を終え、無事にベルリンに帰ってきたが、空港での健康チェックは、むしろこちらが心配するほど何もなかった。道を歩く人もマスクを着用しなくなってきた。ヨーロッパのコロナ対策は、感染者の数で一喜一憂する時代を終え、コロナと共存する道を歩み始めているような気がする。
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