真っ黒日焼けはナポリマダムのステータス
12人の親戚が増えた夜、モニちゃんの叔母のマリアに「あなたたちふたりの寝室はここ」と案内されたのはまさかの玄関だった。
たしかに気になってはいたのだ。モニちゃんと大量の親戚たちが玄関で感動の再会をしているすぐ目の前には、不自然にダブルベッドが鎮座していたのだが、まさかこれが僕らの寝床になるとは。
しかもベッドの目の前にはトイレとシャワーもあるので、僕らはまるでアパートの管理人のように親戚たちの水回りの行動履歴を(不本意ながら)監視することができた。こんな環境で眠れるか!とヤケを起こしそうになったが、僕は基本的にどこでも快眠できるので、夜通し監視業務に明け暮れることなく、ぐっすり眠れた。
一夜明けた早朝、まだみんなが寝静まっている間にB&Bの周辺を散歩してみた。どうやら僕らが泊まっているB&Bはアパートタイプの建物の半地下で、アパートには僕らと同じバケーション中の家族がぎっしり詰まっているようだ。
アパートにはバレーボールコートほどの庭があり、背が低い多種多様な樹木がかなりいい加減な間隔で植えられていた。樹木の間からキラキラと光る海が見える。なるほど、このアパートは海のすぐ近くのちょっとした高台にあるようだ。それにしても樹木の植え方はテキトーだし、そもそも樹木がなければオーシャンビューが映えるのに、なぜ樹木を植えてしまったのか。オーナーは考えなしに「なんでもいいから樹木を植えろ!」と庭師に依頼したのだろうか。
そうこうしているうちに親戚たちが目覚めはじめた。モニちゃんの叔父さんのジジはご機嫌な笑顔で僕に「良く眠れた?」と聞いてきたので「ベーネ(良かった)」と答えた。
続いてマリアが寝ぼけた顔で起床したので、僕はジジの真似をして「良く眠れた?」と聞いてみた。するとマリアは「マーレマーレマーレ!(悪い悪い悪い!)」と予想外のリアクションで僕をびっくりさせた。どうやら部屋に蚊が飛んでいたらしく気になって眠れなかったようだ。親戚たちがあまりにも「ザンザーラ」という単語を連呼するので、文脈判断だけで「ザンザーラ=蚊」だとわかってしまった。僕は海外留学した経験はないが、留学したほうが語学の成長が早いというのは本当らしい。
マリアとジジ、そしてティーンエイジャーたちと朝ご飯を食べていると、ティーンエイジャーとその母親らしき人、そして金髪上裸の兄ちゃんは午前中にナポリへ帰ってしまうそうだ。昨晩、せっかくベネデッタとはアニメの話で意気投合したのに残念だ。
若者たちを見送ると、アパートの中はすっかり落ち着いた雰囲気になってしまった。僕とモニちゃんは買い出しに行きたかったので、ジジに最寄りのスーパーはどこにあるか相談した。
ジジは「何が買いたいの?」と言うのでモニちゃんは「朝ご飯の材料とか、あとはサプリメントとプロテインも買いたい」と伝えると、ジジは頭上にびっくりマークが見えそうな表情でカッと目を見開き「プロテインは大事だぞ!俺は普段食事を5回に分けてて、低脂肪、高タンパクを心がけてるんだ。まず朝は米で作った無脂肪クラッカー、昼前には無脂肪のチーズ50グラムと無脂肪のハム100グラムで作ったパニーノをウンヌンカンヌン…」と演説を始めてしまった。ジジは健康志向がかなり強いようだ。
結局ジジが車を出してくれてスーパーへの買い出しはスムーズに達成できた。アパートに戻るとマリアは「さて、ビーチに行くぞ」と号令をかけた。するとマリアとジジは慣れた様子で準備を始めた。マリアはコーヒーを魔法瓶につめて、ジジはパニーノを作って、みるみるうちにバスケットが膨らんでいき、たちまち準備は完了した。
荷物をダイハツの車に積み込みいざビーチへ出発。マリアとジジが「年間シート」として確保しているビーチベッドがあるので、そのエリアまで向かう。ビーチはやはり真っ白な砂浜に青い海で、日本とは全くの別物の美しさだ。僕らは年間シートに陣取ると、ほどなくしてB&Bのアパートの別部屋に泊まっていた新生児とその両親のチームも合流した。
新生児の母親であるダダはモニちゃんと同い年のいとこ同士であった。モニちゃんとダダは雰囲気が似ていて、並んで立つとほとんどフォルムが同じで思わず笑いそうになった。ダダは新生児を夫に預け、僕が持ってきたラケットのおもちゃで一緒に遊ぼうと提案してきた。
僕とダダはろくに自己紹介もしないまま、波打ち際でラケット遊びに熱中した。下手に会話するよりもラケットで打ち合う方がよっぽど自己紹介になる気がした。ダダは運動神経が良く、体幹が安定していることがわかったし、ミスショットをすると次からそのミスを修正しようと工夫してした。僕もスポーツではミスを修正するのが好きなタイプだったので思わず盛り上がってしまい、休みなく15分くらいラリーを続けた。
ひとしきり汗をかいてパラソルのもとに戻るとダダは「タイチ、まあまあ上手いよ」とモニちゃんに伝えて笑った。
ビーチにはたくさんの人がいたが、みんな泳ぐでもなく遊ぶでもなく、ひたすらぼーっとしている。マリアはせっかく確保している年間シートは使わず、パラソルのない波打ち際に折りたたみイスを広げて、厳しい直射日光をまともに浴びながらクロスワードパズルを解いているらしい。
マリアはときおり、思い出したように海に入ると、腰に手をあてながら仁王立ちになりサングラス越しにこちらを睨みつけていた。海面に浮かぶマリアの真っ黒に日焼けした筋肉質ボディはすごい迫力で、このビーチのヒエラルキーのトップに君臨しているように見えた。
そういえば、数日前に一緒に海に行ったモニちゃんの叔母のカルラも真っ黒に日焼けしていた。モニちゃんいわく「たぶんナポリの人にとって日焼けはステータスになってて、サマーバケーションをガッツリ楽しめるほど裕福であることの証明なんじゃないかな」とのことだった。日焼けするとかぶれてしまう敏感肌の僕にとっては無縁の話だな。