映画で観る戦争、年末の暗殺やテロ事件について
大晦日のニューオリンズでのテロ、年末のニューヨークでのユナイテッドヘルスCEOの暗殺、ドイツのクリスマスマーケットでの殺傷、と立て続けに悲惨な事件が起こった年末だった。
テロは許されない。暗殺は正当化してはいけない。戦争には断固反対。それってどういうことだろう。
戦争が怖い
日本の平和教育を小学校で受けて、子供の頃には「戦中」を過度に恐れていた。「ガラスのうさぎ」「二人のイーダ」「太陽の子」「ベトナムのダーちゃん」を読んで、「戦争が起きたらすぐに死のう」、と思っていた。戦争は怖い、戦争はいけない、戦争が起きたら大変だ、と。
はた、となぜ戦争ってあるんだろう?を考えるようになった。日本はどうして戦火にあったのだろう?日本の人が防空壕に逃げ込む時、アメリカの人達はどう暮らしていたのだろう?
子供の頭では質問はそこから先には発展しなかった。
「怖い」戦争について学ぶ
大学生になり、国際政治と安全保障を勉強した。就職して、転職して、流れでアメリカ大使館で政務軍事を担当することになった。アジア太平洋の平和と繁栄に寄与する為、価値観を共有する日米の相互安全保障同盟維持にまつわる業務だ。
陸、海、空、海兵隊員の四軍についても軍事装備についても何も知らないし、関心もなかった。学校で学んできたのは国際関係と紛争解決。冷戦も終わり、国連がなんでも解決すると信じていた。戦後日本にとっては、戦争は永久に終わったものくらいに捉えていた。
自衛隊は災害派遣に従事している、と専守防衛について考えた事がなかった。日本に米軍が駐留する意味なんて、山田詠美の小説に出てくる以外に横田基地をイメージした事がなかった。
各軍の階級表記の一覧表を机の前に貼って、在日米軍や防衛庁、外務省の日米安全保障課とやり取りをした。「とやまさん」だと思ってた防衛庁の担当者は「とよま3佐」で、昔でいうところの少佐だった。防衛部官室のDOA を到着時死亡のDEAと綴り違えるほど無知だった。
安全保障政策と軍事装備
現場視察の機会もあった。硫黄島での米海軍の着地訓練に同行し、与野党議員と慰霊碑に手を合わせた。航空母艦で一晩を過ごし、一つの街のような空母での業務や演習を見学した。海上自衛隊の潜水艦や哨戒機に案内してもらった。カレーも食べた。レーダーも見せてもらった。日本の平和を守る人々が身近な存在となった。
アメリカ大使館を辞めて、ワシントンで大学院に進んだ。軍事分析、米軍事史、欧州の戦争や大量破壊兵器の国際法の授業を取った。戦時下の政策決定や戦争が社会に及ぼす影響を多角的に学んだ。独立に至るまでの東南アジア史や日本政治の講義も受けた、自分には知らないことだらけな事を知った。
「原爆の投下の決断は一般市民の犠牲についてさして議論される事なく実行された。それは、焼夷弾による都市部への大空襲の決定過程で、一般市民が巻き込まれる事をやむなしとの前例があったから」と講義で聞いた。手を挙げて教授にもう一度その部分を言ってもらった。
政策決定には感傷はない。世の中の為に何が一番良いか、という判断でもない。次期選挙や政治的理由、政権の方針がものを言う。国連や安保理でさえ、国家間の私利私欲が蠢く。その中で、日本は清く正しくあろうとする数少ない国だ。
米軍事史のクラスの大半がアメリカ人の中で、一人「ガラスのうさぎ」や「二人のイーダ」の世界を空想した。
教授は、当時の政策判断を学術的に説明した。米国のプロパガンダめいた通説は、「原爆投下のおかげでやっと太平洋戦争が終結し、さらなる米国の兵士や日本の市民の犠牲も食い止められた。」だが、そんな稚拙なナラティブはこの大学院の講義では用いられない。
「歴史の終焉」で知られるフランシス フクヤマが、オートバイで新入生ピクニックに登場した、中道右派の学術機関だ。
講義では、山本五十六の真珠湾攻撃が軍事作戦としては秀逸を極めた事。ナポレオン戦争が欧州の政治制度と国家の在り方や民族と国境、統治の概念や国づくりを大きく変えた事。そんな事をアメリカの高等国際問題研究大学院で習った。
米国の日本への爆撃や原爆投下が戦犯に値する、というのは講義で聞いたか、マクナマラ国防長官自身の回顧録だったか。
戦争に関する映画も授業や課外授業で視聴した。「Dr. Strangelove 」「Saving Private Ryan」「Black Hawk Down」「The Fog of War」「Memphis Belle」「Gettysburg」それらを紹介する教授は現役の海兵隊将校でペンタゴンに勤務していた。ベトナム戦争に参戦した元空軍パイロットの歴史教授もいた。
映画で観る戦争
この年末に話を戻すと、米国から日本に戻る機内で新旧映画を3本観た。「戦時下」に翻弄される市民や政策決定についてのものだった。
まずは、新作の「Civil War」。これは想像していたディストピア映画ではなかった。権威主義国家で実際に起きている内戦の姿を下に、舞台を社会の分断が進み民主主義が崩壊した果てのアメリカに設定している。ロイター通信の戦争報道カメラマンを主人公に、ジャーナリストが積極的傍観者の視点で戦争を伝える。
キルスティン・ダンスト演じる主人公は、「Don’t do this」と言いたいが為に世界中で命をかけて戦争を報道してきた。作中、自国の内戦をカメラに収めながら実存的危機に陥る。自分が今までやってきたことは無意味だったのかと吐露し、時折PTSDのフラッシュバックで精神が崩壊しかける。映画にみる残虐なシーンは、想像の世界ではない。シリアを始め世界中で起きている内戦、虐殺、ジェノサイドの様子を映像から察する。作中のメディアは、購読者に判断を委ねることに徹している。
準主役の戦争報道カメラマン志望の若者が、拷問の場に居合わせショックで泣きじゃくる。その若い女性を周りが支えて、撮影機会を与えて成長させ、次世代にバトンが引き継がれる。
その次に「The Deer Hunter」という1978年のデニーロ主演の戦争映画を観た。ペンシルバニア州の製鉄所で働くスラブ系新一世がベトナム戦争に志願し、除隊後に元のコミュニティに戻れなくなる様子を描いている。デニーロは陸軍特殊部隊、グリーンベレーの役だ。史実や事実に忠実な脚本でも反戦、好戦、愛国心などの政治的なメッセージがあるものでもないが、1996年に米議会図書館に「文化的、歴史的、審美的に顕著」な作品として永久所蔵された。
今回の大統領選挙で接戦州のペンシルバニア州が、労働組合を基盤とする民主党支持から共和党に移ったことを連想した。この映画で描かれているのはベトナムだが、公開から約45年経った今のアメリカはまだアフガニスタンでの20年間の戦争から癒えていない。
新日鉄のUSスティールの買収は、民主党からも共和党からも政争の道具にされている。当時のベトナム帰還兵のように現代ではアフガニスタンからの帰還兵たちは、言葉にできない無力感、失われた命の意味を抱えて日々新たなPTSDとの闘いに立ち向かっているのだろう。
この元日にはグリーンベレーがトランプタワーの前でテスラ車内で自殺を図った。米陸軍特殊部隊のモットーは「抑圧からの解放 De Oppresso Liber」である。自由と民主主義を生命をかけて守るこの軍人は、何を訴えて自らの命を絶ったのだろう。
3本目の作品は、劇場で観ることを敬遠していた「関心領域 The Zone of Interest」だった。
ホロコースト映画やナチ時代の作品には「ソフィーの選択」「シンドラーのリスト」「戦場のピアニスト」など若い頃から触れてはきた。
「関心領域」は、強制収容所のすぐ外にあるのどかな生活を映し出していた。収容者からの没収品の毛皮やダイヤを手にする夫人達、独裁軍事政権下の東欧の拡張政策が取られ、ユダヤ人の大量虐殺が最も効率的に執行されるまで、そんな生活の単調な日々を目の前に突きつけた。
公務員として政策立案の端くれにあった自分には、「効率の良い」ガス室の提案の場が裕に思い描けた。あたかもその場にいるような気持ちになった。現実味のなかった人類最大の悪事のホロコーストが自分ごとになった瞬間だった。
戦争は単に恐れるだけではなく、一市民の自分の目の前にある現実に向き合っていこうと思う。
平和と秩序を守るために日々自らを危険に晒している人たちがいる。警察官であり、自衛隊員であり、軍人であり、保安機関の人々だ。映画を通じてでも、自分ごとに置き換えていきたい。どうすれば政治暴力や過激な事件が防げるのか。何をすれば戦争に突入しないか。どこから始めれば良いのか。
テロも戦争も無くなることはない。ある、あり得るという前提で抑止力を保持し、せめて治安を維持する人々を大切にしていきたい。
テロや戦争を防ぐ為に、社会が分断しないように、他者への想像力を養いたい。