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目に余る行動をとる異文化の人に注意するとき【元外交官のグローバルキャリア】

異文化の人の行動に眉をひそめた経験はないでしょうか。
複数人で電車の優先席を占拠していたり、仏閣神社で目にあまる行動をとっていたり、傍若無人な振る舞いをしていたり。

私の場合は、慰霊碑の周りではしゃいでいる子供達に遭遇した時です。

慰霊碑での小学生

日本国内ではないのですが、ホノルルの総領事館に勤務していた時に、カカアコにあるえひめ丸の慰霊碑に行きました。式典が行われているでもない、ある晴れた普通の週末です。小高い丘に錨の石碑があるのみの日常です。

日本からの友人と丘を上がっていくと、地元の日系人の母親たちとその子供らが青々とした芝生に集っていました。母親たちは談笑し、小学生の男の子たちが奇声をあげて走り回っています。水風船を手に、常夏の雪合戦かのようにお互いにそれをぶつけ合っています。

明らかに地元の人たちで、こちらが外国人で観光客連れです。

えひめ丸の事故の七回忌を執り行ったばかりの頃のことでした。2001年2月9日の事故当時は、地元紙は連日その状況を報道し、日本からはマスコミが押し寄せたと聞きます。そのえひめ丸事故を知らないのかしら、と内心憤慨しました。

そうこうする内に、水風船がパシャリと慰霊碑にぶつかりました。

遊びに夢中になって慰霊碑を踏みつけんばかりの子供達に、私は声を張り上げて呼びかけました。

「You guys, this place means a lot to us. This is a memorial of lives lost in the Ehime-maru accident. Can you please play somewhere else?」
「ここは私たちにとって大切な場所で、えひめ丸事故で亡くなった方々の慰霊碑なの。別のところで遊んでもらえる?」と。

水風船合戦でトランス状態だった子供達は、その言葉で我に返ったように場所を移動し始めました。「Thank you!」と背中に声をかけ、やれやれ、と私たちは慰霊碑に手を合わせました。

談笑を止めた母親たちは、しょげる子供の肩に腕を回しています。楽しく遊んでいたのに水を差した感じで、ちょっと可哀想にも思いましたが、仕方がない It is, what it is。ハワイ弁で言えば「 It can't be helped」。

友人たちとその場を離れようとした時に、母親の一人がゆっくりと近づいて来たので、ちょっと身構えました。

その女性は、神妙な面持ちで「We are sorry. We didn't know.」「 ごめんなさい。知らなかったの」、と口にしました。

今なら、「Well, what you don't know, you don't know. Thank you for acknowledging.」「知らないことは仕方ないですよね。それを認めてくれてありがとう。」と返せたでしょうけど、当時は、「yes, its is a memorial of the Ehime-maru accident.」と、もう一度その慰霊碑が持つ意味を口にしました。子供達に対して発せられた言葉が聞こえていたでしょうに。

軽いハワイ訛りでその女性は「We are sorry. Thank you for telling us nicely. 」と「nicely」を強調して、「ごめんなさい。やさしく言ってくれてありがとう」と言いました。予期せぬ反応に驚いたものの「oh, you are welcome. Thank you for telling me. 」と、こちらも返礼しました。
「Have a nice day! ご機嫌よう!」と別れたもう20年も前のことですが、爽やかなやり取りでした。

屋根に登る小学生

実はそのさらに20年前に、私は逆の立場だったことがあるのです。ドイツに住んでいた頃に、行きつけのオーストリアの民宿で雪が積もる屋根によじ登って遊んでいました。飛んで出てきた民宿のカティおばさんに言われました。

「頼むから降りてきてちょうだい。万が一あなたが落ちて怪我をしたら、私は屋根に柵を付けなかったことで罰せられるの。」と。

それまで、さんざん親に「危ないから降りなさい」と注意されても聞かなかった小学生の私は、即座に屋根から降りました。

頭ごなしに「降りなさい!」と怒ったり、「迷惑がかかるから」と第三者目線で咎めたり、「禁止されている」と叱るよりも、やさしく自分目線でおばさんが懇願するので、子供でも納得して聞き入れたのです。

日本でよく使われる「怒られるよ」というのは主体性がないなー、といつも思います。ハワイ弁でも「叱られた」を「I got scolded」と受動態を使います。標準英語だと「I got in trouble」という自己責任表現になります。それは標準英語だと「goose bumps」の「鳥肌」をハワイ弁では「chicken skin」と言うような如実な日系移民言語文化の一つです。

信号無視する中年女性と注意する老年男性

話は東京に移して、つい最近「赤信号だろう!」と初老の男性に地元で注意されました。車が滅多に停止していない小さな歩道でのことです。
「ここは一方通行なので、その判断は自分でします。」と返しました。常々この信号のアルゴリズムがおかしいと思っている場所です。「信号が付いているじゃないか!赤信号だぞ。恥ずかしくないのか!」と食い下がるので「あなたに言われる筋合いはないわ」とすまして、道を渡りました。

どっちもどっちです。

「すみませーん」とそのまま小走りに赤信号で道を渡るのが大人の対応だと思います。

「お願いです。私はあなたにそれをして欲しくない、なぜなら私がこういう風に困るから。」は相手の行動を変える力があります。

優先席を占拠していたら、This is a priority seat, would you mind giving up the seat for those in need?(ここは優先席なので必要としている人に席を譲ってもらえますか?)

神社仏閣で目に余る行動をしていたら、Would you be so kind to respect our place of worship?(私達の信仰の場所を敬ってもらえますか)。

流暢な英語でなくても、日本語でお願いしても、スマホで翻訳を見せても良いと思います。同じ目線で笑顔でお願いすれば大半の人は分かってくれると思います。小学生の私もちゃんと屋根から降りましたから。


この投稿は、Lunzi in UK さんのコンテンツにコメントしたことから始まりました。先日はnoteのご縁で直接お目にかかったのです。 
Lunzi in UKさん、今後もグローバルにご活躍している様子を発信し続けてください!私もLunzi in UKさんが読みたいような、具体的な話とか自分のキャリアでの裏の苦労話などを発掘して発信していきます。アドバイスをありがとうございました。



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