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所感、諸々。24

スピリチュアリティの目覚めから、お話しした方が良いかなと思い
書き始めます。

こちらのサークルへ参加し、自己紹介文も書いたりしましたが
まぁまぁ歳を重ねているモノで、かいつまんで話してしまうと
簡略化されすぎてしまうと言うジレンマ(笑)
と言うよりも、文章力の問題かな(^_^;)

ファミリーヒストリーなんか観たら、1時間で纏めきれちゃうんだから
要約の仕方かとも思うけど、と書いていながら氣づく
そう、しゃべりすぎ、脱線しすぎ(^_^;)

主軸へ戻します
アメブロの方へも、自分史と併せて書いてはいますが
あちらはどちらかと言えば「陰謀論」界隈の話を織り交ぜているため
食わず嫌いの方のことも考えて、そしてQUANTAが持つ周波数や波動を
ワタシのついガサツになりがちなペースで、損なうことのないよう
「神秘的」に勧めてみようと思います


スピリチュアル・精神世界・霊界と言われるモノに初めて触れたのは
思い返すとやはり、宜保愛子さんやユリゲラーさんなどの特殊能力者と
言ってよい方々の存在を知ったことでしょうか
昭和どっぷり世代 第二次ベビーブーマー世代です
「20世紀少年」の登場人物たちより、ちょっと年下

近所のおばちゃんに、靈感が鋭い人がいました
亡くなる人がわかるとか、虫の知らせってモノに敏感でした

祖母は四柱推命で占いをし、年始の集まりでは親族の1年の運勢を
発表してくれる人でした

自然とそういった不思議な世界に、たいした疑問も持たずに
さもあらんと受け入れていたのは、こういう下地があったからかも

幼稚園・小学校とミッション系の学校へ通わされていました
約6年間「倫理」の授業として、キリスト教の歴史を教わっていました
(通っていましたが、キリスト教の信者ではありません)

『祈る』という行為を初めのうちは、疑問も持たずに
素直にいわれるがまましていました
でも、祈っても祈っても戦争はなくならない
飢餓で苦しんでいる同世代の子供たちがいる
貧困のために学校へ行けず、危険な場所で働く子供がいる

不思議でなりませんでした
大人はしたり顔で『祈れば神は聞き入れてくれる』という
現実世界は、一向に変わらない
そのうちに、祈ることをやめました
あほらしくなって
そんな無慈悲な「神」に祈る必要はあるのかと

おなじ「神」と名のつく人々の『神話』に興味が湧きました
ギリシャ神話、八百万の神々、付喪神
学校の図書室にあるそれらの本を読みあさりました
イエス・キリストよりも前に、紡がれていたそれらの話
1人の神に祈るより、たくさんの神様のことを考える方が
楽しくなりました

それよりも、自然、宇宙の方が神様よりも偉いんじゃないかと
思うようになりました
生命の始まりとか、まったくもって神秘でしかありません
なぜ人は、この草や木が「薬」になると知ったのだろう?
なぜ人は、重機もない時代にピラミッドやモアイ像や
ストーンヘンジを作れたのだろう
日本で言えば、古墳とか

現代人よりも、古代人の方がずっと優秀だったんじゃないか
そんな風に思っていました
でも、それを証明したり説明できる根拠がない
不思議だなーって思ってました

「癒しフェア」なるイベントがあることをご存じでしょうか?
2008年頃からなのかな、主要都市で毎年開催されている
いわゆる見本市のようなものです

ワタシがそれを知って、行くようになったのは
2012年でしょうか
はっきり覚えていないのですが
「マヤ暦」のセミナーがあると知って参加したので
その頃だったと思います

マヤ文明があったメキシコにも、ピラミッドがあります
急に滅亡した文明、アトランティスという大陸も同じように
あったのか、なかったのかって物議を醸します

マヤの遺跡の壁画にも
まるで宇宙船の操縦席に座っているかのような描写があったり
そう、暦という概念もスーパーコンピューターのない時代に
緻密な計算の上で作られている不思議

時代は少々ずれているかもしれませんが
現代よりも優れたテクノロジーがなければ成立しない
建造物や暦が、世界各地に散らばっている
誰か先生がいて、人間に教えているようだと感じました

癒しフェアへ毎年通うようになり、癒しにも流行があることを
なんとなく感じていました
流行というか、変遷というのか

そんな中でも、バシャールとか、レーネンさんとか
その他、宇宙意識とチャネリングする方々が海外から招聘されて
トークショーとか、セミナーなんかをやっていました

ワタシはそれを横目で見ながら、波動調整とか潜在意識とか
レイキヒーリングなんかのブースを渡り歩いていました
なんでかわからないけど
エネルギー、ヒーリングというものに惹かれてました

キリストが起こした奇跡の中に、彼の着ていた服に触れただけで
12年間出血が止まらなかった女性の血が止まる
と言うモノがあります

それって一番の最高なヒーリングだと思いませんか
どちらも意図していないのに、病がたちどころに治る
女性はもちろん信仰心があり、病気を治してほしいとは思っていたでしょう
が、イエスは何もしていない
彼の着ていた服の房に触れただけで、あら不思議!

キリストの奇跡や、教えと言われているモノは
本来このような、とてもハッピーでマジカルなものと
ワタシは感じています
教えに背いたら地獄へ落ちるだの、自由を奪うようなものでは
なかったと思います

これは、わかる人には伝わるかと思うのですが
エネルギーワークのワークショップで知り合った方が
エルサレムへ巡礼をされたときのことをお話ししてくださったのですが
(エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地とされるところ)
その時に感じたキリスト意識・エネルギーは
とても豪快で、豪胆で破天荒 愉快で寛大
キリストは、大柄で大食漢でお酒も大好きで
弟子といつもワイワイと会食する、そんな人だったんじゃないかと

なぜ大柄なのか
最初の弟子ペトロは、もともとは漁師でした
漁師と言えば、荒くれ者が多い
そんな人を初対面でひれ伏させることができるとしたら?
大柄でちょっと輩(やから)っぽくなければ、難しいだろう
宗教画で描かれている青びょうたんのような人に従うだろうか?と

で、ワタシ思い出します
小学校時代にローマ教皇が来日した際、バチカンの秘宝ってのが
一緒にやってきて、学校から強制的に観に行かされたこと
そのなかに「聖骸布」があったことを

聖骸布はキリストが亡くなったときに、香油に浸した包帯で
彼の体を巻いたモノで、彼の姿が写っているとされるものです

細長い顔であることが、はっきりと見て取れる不思議な布でした
が、なんか大きな顔だなあと思いました
普通の人間と比べると、ずいぶんと大きい

聖骸布を観たときの話をすると、その方は
細長くなってて当たり前!
投獄され、拷問され、満足に食事も与えられてなかったんだから
そう言われて、合点がいきました
そして、2人で大柄で豪胆で愉快な男性だっただろうという仮説に
納得したのでした

「聖おにいさん」という漫画がありますね
あそこまでユルユルじゃないかもですが(笑)
ブッダもキリストも、戒律で縛るようなガチガチな人ではなく
自由を愛し、人をはじめとする生命を慈しんだからこそ
人間が他人を貶めたり、苦しめるようなことをしないよう
諭し、教えに地球へやってきたのだと思うのです

エネルギー、波動、波長、周波数
これらの話には「キリスト意識」というワードがよく出てきます
宇宙意識の中でも、語られます

レイキヒーリングも、宇宙からのエネルギーを
自分の身体を、アンテナとして導管として使い
対象者へ流していく、そんなイメージを持つように言われます

宇宙と繋がる!これが重要なポイントなのです(^^)

あちこちに話しが飛びながら、長くなってしまいました

「人は粒から出来ている」というお話があります
次回は、この「粒」がなんなのか
という説明をしながら、宇宙とスターシードについて
ワタシの見解をお話ししたいと思います


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