同性婚、中絶・・・女性の生き方にかかわる大きな社会的判断
https://mainichi.jp/articles/20210318/ddm/005/070/102000c
https://www.tokyo-np.co.jp/article/95354
(「Jikkaからのお便り 2021年春号より)
この二つの公的見解が示すものは何か?
日本社会は、女性と男性という両性がいれば、結婚し戸籍を作り家族となり、子を産み育て、家系をつなぎ、日本国民として国家を形成する、という考え方に基づいて作られてきた。そうした中でのこの二つのニュースは、日本社会の家族観や結婚観を根底から問い直すものとしてあるのではないか、と考える。
これまで長い間、同性愛の人びとは、偏見や差別に満ちた社会で生きる苦しさを強いられてきた。しかし、その差別と抑圧に負けず、声をあげて社会に問い続け、ようやく公的機関にここまで言わせることができた。とはいえ世の中が一変するわけではない。ここから具体的な実践が始まり、生々しいたたかいが始まっていくことになる。
また、避妊に協力しない相手からの家庭内性暴力(性的DV)の結果としての妊娠であっても、中絶の同意を相手から得なくてはならなかった理不尽が、女性たちを長年苦しめてきた。
人は何人たりともその人権が侵されてはならない
私たちJikkaは、女性支援を志す者として、公的見解がどうであろうと、「人は何人たりともその人権が侵されてはならない」と思い、活動している。しかし社会的現実において、なかなかそうはいかないことばかりに出くわす。そうした女性支援の現場において、この公的見解の影響は大きい。日々、生々しい現場に立つ私たち支援者は、この公的見解を大いに活用したいところだ。
DVや虐待被害者は、従来の家族観に縛られ、自分自身の生き方よりも「家」「家族」の形を維持し、守り、その中で生きていく方法を選ぼうとしてきた。そして、加害者はそれにあぐらをかいてきた。親子とは子が親に従うもの。夫婦とは妻が夫に従うもの。家族とは、たとえ嫌いでも、たとえ憎くても、一緒に暮らすもの。その結果、家庭内の犯罪(DV・虐待)は、それが殺人であろうと、見逃されてきた歴史が長い。
DV防止法ができてようやく、「DVは犯罪」、児童虐待防止法ができて初めて「児童虐待は犯罪」と認識されるようになったが、それでもなお、「夫婦喧嘩だ」とか「躾(しつけ)だ」などと言われ、被害者の人権は軽んじられている。だから、私たちJikkaには絶え間なく相談者が来る。そのほとんどの相談が「自分が悪いからだろうか?」という問いから始まる。
支援現場で最大限活用したい
結婚制度も出産・育児にまつわる制度も、天然自然のものでも永遠不滅のものでもない。そのときの社会と政治のあり方が反映されたシステムにすぎない。だから私たちは、女性や子どもが、自分の人生を自分で選び、作り、まっとうできる社会にしていくため、社会を変え、制度を変え、人が人らしく生きられる道を切り開きたい。そのためにも、支援現場でこの公的見解を最大限活用したいと思うのだ。(Jikka 責任者 遠藤良子)
※トップ画像は利用者さんが描いた絵です。
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