野田市のDV・虐待事件に思う
本稿はNPO法人くにたち夢ファームJikkaが、年に2回刊行しているお便りを再編集したものになります。
家庭という密室により助長された父親の暴力性
殺されてしまった愛心さんは小学4年生。友達に「うちにはお母さんはいない」といっていたという。そして学校には「どうにかなりませんか?」と問うていたという。私が取材を受けたニュース23の報道では最後に、警察が逮捕したのはお母さんが一人になったら自殺するかもしれないということもあった、と報じていた。
それだけ聞いても、DVの長期被害者である母親は、家庭内ですでに母親としての存在を消していたこと、愛心さんはその母を咎めるのでなく仕方のないこととして無力な母親を冷静に見て、そして他の大人に向けて「なんとかなりませんか?」と問うていたこと、そのしっかりと自分でなんとかしようとする愛心さんを憎く思う父親は懲罰的に愛心さんを虐待していたことがわかる。
ここに何があるかといえば、ただただ家庭・家族の問題は密室の中の自己責任の問題であり、家庭次第だという当事者家族の思い込みと、周囲の大人たちの責任回避のための同じ思い込みしかない。家庭と社会がその凹凸にハマって父親は自己中心的で傲慢な加害者となり、社会はそれを容認するという役割を果たしたのだと考える。
女性の自立が当たり前の社会へ…
私はこの問題を情緒的に片付けたくない。誰でもがこうなる可能性をもっており、毎日をそうならないように綱渡りして暮らしているのだと思う。そしてそうした家庭のあり方で支えられている国と社会であるならばこれと同じことは次々に起こってくる。いや今このときも同じことがどこかで繰り返されているに違いない。
そんなふうに思い込まされて生きている、女性と子どもたちに言いたい。別の方法があるよ! もっと楽に生きられる場所があるよ! 助けてくれる人はいるよ!…と。それはあなたがここしかないと信じ込まされている人たちの所ではありません。騙されないで!早くそこから逃げてきて!…と。Jikkaはいつでも扉をあけて待っています!
早く女性自立支援法ができて女性の自立が当たり前にできる世の中にならねばならない。(Jikka代表・遠藤良子)
2019年春号より
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