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#18 期待してない自分~2018年 横浜編 vol.1
2月の武道館ライブで飛躍を果たした「ひらがなけやき」
その武道館で単独アルバムのリリースを発表したのだが、それが具体的に動き始めた。
この年の5月23日、ついにアルバムが発売される事となった。
アルバムタイトルは「走り出す瞬間」
まさに今、アイドル界を走り出そうとする彼女達にピッタリな良いタイトル。
そして、その「走り出す瞬間」を引っ提げて、東名阪でライブツアーをする事となる。
【期待してる自分】
日程は下の通りである。
6月4日~6日
パシフィコ横浜
6月13日
東京国際フォーラム
6月27.28日
大阪フェスティバルホール
7月2.3日
名古屋センチュリーホール
1期生は2回目、2期生は初のツアー。
先の武道館で「ライブのひらがなけやき」を印象付けての今回のツアーは期待以外のなにものでもない。
当然、クニラも抽選に申し込んだが、横浜と名古屋が当たった。
本命は東京だったのだが仕方がない。
ひとまず名古屋は保留として、横浜に行く事とする。
結局、その後、何度かの抽選でも東京は当たらなかったが、まぁ、良い。当たっただけで御の字。横浜で十分だ。
その矢先、なんとアルバム発売日が変更となる。
5月23日から6月20日だ。
まるまる1カ月後ろ倒しとは。
まて、まてまて、それでは横浜も東京もアルバムリリースに間に合わないではないか。
おそらく新しいアルバムの収録曲を中心にセトリを組むはず。
そうなると、ライブでやる曲は、知らない曲ばかりじゃないか。
それは如何なものでしょうか。
うーん。
是非に及ばす。
名古屋に行こう。
そうすれば解決する。
と、名古屋行きを決意した。
本来なら、すでにアルバム「走り出す瞬間」が発売されていただろう5月28日にアルバムの収録曲とリード曲が発表された。
リード曲「期待してない自分」である。
センターは佐々木美玲。
そして、5月30日に同曲のMVが公開さた。
「ひらがなけやき」にとっても勝負の曲になるので、グループ全体のイメージ付けとしても、もう少し明るい曲、可愛い曲で攻めてくるのかと思っていたが、クールでカッコいい曲でくるのは意外だった。
何はともあれ、ライブツアー直前ではあったが、とりあえずリード曲はツアーに間に合った。
【影山優佳】
リード曲「期待してない自分」解禁と同時期に残念なお知らせも入る。
1期生の影山優佳が学業に専念するため、一時活動を休止する事となる。
この時は、まさかこんなに長期になるとは思わず、ましてや、それが東大受験のためとも思わなかった。
そして何より1番驚いたのが日向坂になって復帰を果たした事だ。
アイドルの活動速度はあまりにも早く、移り変わりは一瞬だ。
そのため、シングルやライブを1回休んだだけでも、復帰しづらくなる事だってあるのだ。
故に活動休止は限りなく卒業のフラグになってしまう。
影山は約2年休んでいるにも関わらず、しかもグループが改名して新しくなったにも関わらず、復帰出来たのは、日向坂と言うグループの凄さでもあるのだが、もう1つ理由があると考える。
それは、影山の休止したタイミングが良かったのだ。
人生にはいくつものターニングポイントがある。それはアイドルグループにも当然ある。
例えば「ひらがなけやき」「日向坂」で言えば、これまでに、Zeppツアー、長濱ねる脱退、先の武道館ライブ、冠番組開始、舞台経験、アルバム発売、そして今回のツアー。
もちろん、この先もあるのだが、実はここまで多くはない。
3期生加入、改名、シングルデビュー、コロナ禍での活動、そして東京ドーム公演になっていたはず。
ターニングポイントとしては大きいが、ある程度グループが固まってからの経験になる。
それに比べて改名前のターニングポイントは不安定な状況下での経験なので、メンバー間でも「同じ釜の飯を食べた同士」感は強い。
影山は、アルバム「走り出す瞬間」には参加している。
ツアーには参加してないが、少し関われた。
要は、「ひらがなけやき」時代のターニングポイントには全て関わっている訳で、「ひらがなけやき」としての"走り出す瞬間"をメンバーと一緒に経験して来たのだ。
故に日向坂になっても違和感なく(浦島太郎状態ではあるが)復帰出来たのだ。
影山の活動休止が少しでも早かったら、もしかしたら復帰しなかったかもしれない。
ターニングポイントを羅列したが、あえて書かなかったターニングポイントがある。
それも「ひらがなけやき」「日向坂」最大のターニングポイントである。
2018年6月3日
佐々木久美がキャプテンに任命された。
【佐々木久美】
「ひらがなけやき」「日向坂」最大のターニングポイントは佐々木久美をキャプテンにした事だ。
いや、久美が在籍していた事が最大のターニングポイントだろう。
久美がいなければ、「ひらがなけやき」はとっくに終わっているグループだ。もちろん、改名してのシングルデビューなんかありえない。
それだけ久美がグループに与えた影響力は計り知れない。
アンダーグループを「ハッピーオーラ」と言うコンセプトの基、誰も脱落させずに、メジャーグループに引っ張りあげたのは、久美の優しさと厳しさがあったればこそだ。
TIFでの説教事件は有名だが、それだけではない。
「ひらがなけやき」が業界で最初に評価された事は「挨拶」である。
全員での挨拶も評判だが、(余談だが「ひらがなけやき」の挨拶を見た乃木坂3期生が緊急会議を開いた事は有名な話)
それ以外に特筆すべきは、取材等を受けた後に、インタビュアーに対して、その日の取材の感想やお礼を丁寧にしていた事だ。
それは「誰が」でもなく「グループ全員」が行っていた。
これは運営の指示ではない。
それをやろうと決めたのは彼女達だ。
全員がそれを継続してやるには、誰かが中心となり、グループの意思統一と相互チェックが必要となる。
その中心に久美がいるのだ。
久美が正式にキャプテンに就任される前も久美は自然にキャプテン的存在になってる。
では、なぜそうなっていったのか。
以下が理由である。
①年長者だった事(上からの視野)
②身長が1番高かった事(上からの視野)
そんな事?と思うかもしれないが、そんなものである。
もう1つ大きな理由がある。
③アイドルとしての人気がそこまではなかった事(下からの視野)
意外とこれは重要だったりする。
もし久美がグループで1番人気だったと想定すると、おそらくあそこまで、おふざけも出来なかったし、もしそうであったなら、グループで浮いた存在になったであろう。
ましてやグループ全体の事など考えるられるはずもない。
①~③の条件が重なり、自然に前に押し出された形となった久美。
久美は頭が良いので、直ぐに自分の役割を理解したはず。
なんで私が?と思わなかったのは①と③の条件がそうさせたのだ。
そしてキャプテン的存在となった久美は、良い意味でアイドルから解放されたのだ。
その影響力は仕事だけではない。
「ひらがなけやき」から「日向坂」現在まで、卒業したのは、柿崎と井口たったの2名(ねるは除く)
長期休業から復帰したのは影山、濱岸(松田、宮田、美玲は除く)
欅坂46を比較に出すのは申し訳ないが、比べるまでもない。
それだけアットホームでウェルカムなグループ環境である事が分かる。
それは久美(と加藤史帆)が作り出した空気感だ。
久美の空気感は他のメンバー、特に後輩達に安心感を与え、良い意味で「何をしても大丈夫」と言う(特にバラエティーにおいて)積極性を植え付けている。
それが全員の活躍の場を拡げているのだ。
正式にキャプテンに就任した後の活躍は書くまでもなく、キャプテンとアダ名せれるアイドルとなった。
上司にしたい女性芸能人に選ばれていないのが不思議なぐらいだ。
この時期の出来事は、後の日向坂46において、「佐々木久美キャプテン就任」は基礎を固め、アルバム「走り出す瞬間」と「走り出す瞬間」ツアーは原点となる。
歩みは遅いが、一歩一歩進み、成長し続ける「ひらがなけやき」であった。
そして、いよいよ「走り出す瞬間」ツアーが始まる。