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はじめまして、能楽
こんにちは、kuniです。
皆さんは、能楽に対してどんな印象をお持ちですか?
わたしの周りでは「難しそう。観に行くのに勇気がいる。」といった声や、歌舞伎や落語といった古典芸能と比較されて「分かりにくく、古めかしい。」といった印象を持たれる方が多いように思います。
能楽で演じられる内容は、室町時代から600年に渡り基本的には変わっていません。かくいうわたしもかつては先に挙げたような印象を持っており、変わらないのは良くない、能楽も歌舞伎や落語のように分かりやすくアップデートしていくことが必要なんじゃないかと思っていました。
能楽は、観客の固定化と減少という課題を長らく抱えています。言葉や節回しの様式や決まりごとを知らないと理解できないことや、能楽を牽引してきた名人の逝去や能楽師の減少を背景に、市場規模や公演回数、観客数は年々減り続けています。
能楽が芸能でありエンターテイメントであるならば、時代や観客が求めるものを提供すべきという疑義は、資本主義的世界において、ある意味は正しい理解だと思います。
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では、何故能楽は変わらないのか?
先に挙げた印象を持ち合わせていたわたしが能楽学舎を立ち上げることになった理由の一つに、能楽が持つ精神性の高さが挙げられます。狂言師 先代山本東次郎師の一節をご紹介します。
「乱れて盛んになるより、むしろ固く守って滅びよ」
乱れという言葉ですが、演者にとっては観客に楽しんでもらうことが快感故に過剰な演技に繋がり、やがて型が崩れていく様を表現したものです。滅びよという言葉は、乱れを戒めるための激しい表現ですが、師の芸に対する覚悟や生き様が表れています。
一時的には喜んでもらえても、本質ではないものはすぐに消費され、忘れられてしまう。たとえ辛くても観客に媚びずに正しく芸を継承していけば、滅びることはないという逆説的な一節です。
そう、変わらないのではなく、あえて変えないのです。
決まり事や様式が存在し、受け継がれているのには深い理由があります。観客と演者が対等な関係であり、相互理解で成立する世界です。わたし自身は、観客=お客様という受け身の立場ではなく、その世界を知ろうとする能動的な態度が大切だと考えています。
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VUCAと言われる時代に突入し、未来の予測が難しくなっていくからこそ、能楽が受け継いできた歴史やアイデンティティに触れてほしい。ひとは変化にあわせ続けると疲弊してしまいます。
本質に触れることで、今までの自分にはない新しい価値観や発想に出会うことができるはずです。そういった能楽を学びたいというモチベーションと、その場所を提供することが仁和能楽学舎の役割です。
さて、前置きが大分長くなってしまいました。今回は仁和能楽學舎が主催するウェビナー「はじめまして、能楽」をダイジェスト版でご紹介させて頂きます。
それでは。
そもそも能楽とは?
能楽は、謡と舞を中心に展開する物語である能と、喜劇的な会話劇である狂言から構成されています。ユネスコの無形文化遺産に登録されており、武家式楽としての格式を今に伝えています。
伝統芸能における能楽の位置づけですが、一般的には人形浄瑠璃・歌舞伎・能楽をもって日本の3大国劇と称されています。
その中でも特異な表現が能楽です。人形浄瑠璃や歌舞伎は、世俗的な性格を持っていますが、能は極めて抽象的です。成り立ちから言えば、大衆芸能的な要素を持っているのですが、動作が派手ではなく写実的なところがない。それゆえ敷居の高さに繋がっているともいえます。
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能が伝える世界観の一つには、無常観が取り上げられます。形作られた当時の状況(争乱や飢饉)を色濃く反映しており、末法思想など仏教の影響も見られます。
もう一つは、描かれる哀しみの感情が特徴的な悲劇的なお話です。人間の心の真実に触れるような表現です。
最後に観客の想像力に訴える夢幻能です。これは世阿弥が始めた様式ですが、現実の世界とあの世とを登場人物が行き来する構成です。
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能楽は田楽や散学、猿楽などの大衆芸能を土台に成立し、室町時代に観阿弥・世阿弥の親子によって大成されました。ヨーロッパではルネサンスが起こり、中国では王朝が元から明に王朝が移った頃です。
舞台の特徴
能楽が演じられる舞台は、非常にシンプルな空間です。屋根がついていたり、橋の手すりがある渡り廊下が伸びていたり、松ノ木が立っています。これは元々野外で上演されていたことに起因します。
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橋掛かりに植えられている一ノ松から三ノ松は、手前から次第に小ぶりになりますが、これは遠近法を用いた工夫です。照明も自然光と同様の状態を作り出すため控えめです。本舞台は三間(5.4メートル)四方の正方形で、その中で演者の舞が行われます。
明治時代には、能舞台を別の建設物で覆う能楽堂が出現しました。昔からの野外舞台を持つ寺社では、例祭で能を奉納することもあり、薪能などが野外で上演されることもあります。
演目のレパートリー
現在上演されている演目のほとんどは室町時代に書かれ、今日までに受け継がれてきたものです。
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演目のレパートリーは「神・男・女・狂・鬼」の五番に大別されます。江戸時代、能は1日の興行で狂言をはさんで5種類上演されるのが正式なものとされ、内容によって演能の順が決まってました。これを五番立といいます。
神は平和や幸福、豊作を願うもの
男は源平の争乱などにおける苦しみや修羅道を描くもの
女は美しい装束で女性が優雅に舞う姿
狂は子を亡くした母親の姿など女性の苦しみを美しく描き出すもの
鬼は良きにせよ悪きにせよ強烈なパワーをもつ存在を描くもの
演能順を決めるものでもあり、大まかなジャンル分けともなっています。翁は式三番と言われ、能であり能でない原典を指します。
能楽の登場人物、演技と音楽
能の登場人物は、謡と演技を担当するシテ方(主役)・ワキ方(脇役)・狂言方の3つの役と、伴奏担当の囃子方は、笛方・小鼓方・大鼓方・太鼓方の4つの役から成立します。
能は完全な分業制で、専門の役割を演じています。さらに複数の流派に分かれています。
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同じ役割の中で、別々の流派が共演するということは原則としてありません。役割が異なれば、すべての流派がどの流派とも組むことができます。つまり、理論的には組み合わせは2×3×5×3×4×5×2通りあることになります。
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所作にあるカマエやハコビは、一見するとゆっくりとした動きに見えますが、コマがフル回転しているように強い力が均衡し成り立っています。大切なのは自分なりの動作をしないことでく。型に従い、そこに心を入れ込むことが大切です。
謡は、腹式呼吸を基本とし、丹田から息を吐くとともに声を出します。絶対的な音程は定められていませんが、全般的に低めのトーンで、女の役でも男の声でそのまま謡われます。
囃子は音楽全体を統率します。打楽器奏者が掛け声を発するのも特徴的で、出演者はこの掛け声で拍数や間合いをはかっています。
能楽には指揮者はいませんが、皆で協調しながら一つの舞台を作りあげています。日本の一つの姿を象徴的に捉えているように感じます。
おわりに
ここまで説明してきましたが、能楽とは「心で感じ、心で見る演劇」だとわたしは考えます。分かりやすいストーリーや演出、オチが用意されている訳ではないため解釈は常に観客に委ねられます。
小説のように、どんどん自分の中で想像を膨らませて、豊かにその世界を感じ取る。それが能の世界です。入口はとっつきにくいけれど、入り込むに従い広がる世界がそこにはあります。
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観客の知性や感性を信じているからこそ、世俗的な押しつけはしないのです。わたしたちが想像力を膨らませる余韻や余白が存在し、そこに美学を感じるのです。
はじめまして、能楽。次回の開催は6月11日(土)です。この記事で能楽に興味を持った方がいれば以下リンクからお申込み下さい。お待ちしています!