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教養としての能楽
こんにちは、kuniです。
本日は仁和能楽學舎が毎月主催しているトークセッション企画「教養としての能楽」から加藤洋輝先生をお招きした回の内容をお送りします。
加藤先生が思う能楽の魅力や、囃子方の仕事と楽器について大変詳しく掘り下げて頂きました。能が日本を代表する総合芸術たる所以を具体的に語っていただいた内容は必見です。
パートは大きく分けて4つです。長い文章になっているので興味があるパートをご覧になって頂けますと幸いです。
それでは。
能楽に出会いプロになるまで
それではスライドに沿って簡単に自己紹介をさせていただきます。伝統芸能の世界は、芸を代々親から子へ、子から孫へ継承していく世襲のイメージがありますが、私はそういった家柄ではなくいわゆる一般の家庭に生まれました。
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能楽に出会ったのは大学生の頃です。名大観世会というサークルに入りお稽古をすることになるのですが、能に強い興味があったとか、日本文化が大好きだった訳ではなく「ちょっと変わったものを経験してみたいなぁ」そんな軽い動機で入りました。
一般に、能のお稽古というと謡と舞になりますが、名大観世会ではそれだけではなくお囃子(楽器)もやれるということでお稽古を始めることになります。入部してお稽古をしていく中でどんどん能の魅力に惹かれていきました。
大学卒業後に一旦就職もしたのですが、やはり能楽の道に進んでいきたいと思い直し、国立能楽堂で行われるプロの能楽師を養成する研修制度に参加をしました。
そこで当時の観世流太鼓方 家元である16世宗家 観世元信先生に師事し、6年間修行をすることになります。修行の期間は、太鼓だけではなく謡や舞、太鼓以外の他の楽器、さらに能の歴史や文字の読み方について勉強したり、礼儀作法を身につけるという意味でお茶のお稽古もしておりました。
平成17年に修了し、東京から地元愛知県に戻ってからは舞台を務めたり、一般の方に太鼓の指導をしたり、このような場で能の魅力や楽しさを伝える活動をしております。本日は宜しくお願いいたします。
能は日本の総合芸術たる所以
能というと、一般的にちょっと難しそうとか、敷居が高いイメージがあるかと思いますが、やっぱり日本を代表する伝統文化であると思います。
日本には色々な文化がありますが、その中で「何か一つ選ぼう」「日本文化を知りたい」という時にこれさえ押さえとけば大丈夫というのが能楽だと思うんですね。これは自分が能をやってるからというだけではなく、能は【総合芸術】であるということがいえるからです。様々なジャンルの芸術・文化を含んでいるということですね
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まずは【文学】です。能楽は演劇ですから当然物語があります。能では、昔の古事記・日本書紀・源氏物語・平家物語あるいは各地の寺社仏閣の縁起(寺社の起源や沿革、由来)に至るまで物語を含んでいます。
能が成立する前の文学だけではなく、能が成立した後も色んな文学に影響を与えています。例えば、能から歌舞伎や文楽が登場していますし、明治に入ってからの夏目漱石の小説にも影響を与えています。ということで、日本の文学を知るには、能を知っておけば大体おさえられるであろうということが言えます
それから【美術】です。能の特徴である能面。能と言えば能面を連想される方も多いかと思います。その昔、平安時代から鎌倉時代にかけて仏像の彫刻が大変発展しました。運慶・快慶という有名な仏師のことをご存じでしょうか。大変写実的、躍動的な彫刻で有名です。修学旅行で奈良・京都に行った際に見られた方や、学校の授業で習った方もいらっしゃるかと思います。
実は能面にも、そういった彫刻の流れがあります。長い間培われた技術の結晶であるという点で、能面は優れた美術品であるといえます。仏像は動かないですよね。能面はそれを役者が顔につけて演技をすることで、無表情の中に表情が生まれます。能面は表情を作るようにわざと作られているんです。人間の顔というのは、左右対称に見えて実は非対称なんです。もちろん能面もそのように作られています。
能舞台をご覧になられた方はご存知かと思いますが、客席から見て左手に廊下のような橋(橋掛リ)があり、登場人物がそこから登場をします。つまり、お客さんから見て左から右に向かって登場するわけですね。そうすると能面の右側がお客さんから見えるわけです。帰る時は逆。お客さんから見て右から左手に向かって帰るわけですが、その時は逆に能面の左側の方が見えます。
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非対称に作ることによって、登場する時と帰って行く時で表情が微妙に変わって見えるという風に作られているわけです。登場する時は憂いを含んでいたものが帰りには晴れやかな表情になるとか、あるいは能面を曇らせたり(傾けたり)あるいは照らしたり(上を向く)することによって、能面に当たる光の面積が変えることで表情を変えてみせるような繊細な作り方をされています。
続いて【工芸】です。能では大変豪華な衣装が登場しますが、本当に織物の技術の粋を尽くして作られた金や銀の糸を贅沢に使っています。登場人物がどのような装束・衣装を纏っているかをご覧になるのも楽しみの一つかと思います
続いて【音楽】です。
私は囃子方ということで、能の中の音楽を専門にしています。能楽師は専門が決まっており、シテ方・ワキ方・囃子方・狂言方という風に役割が決まっております。
囃子方の音楽は能の表現のなかで大変重要な位置を占めています。登場人物が舞台の上に現れる時の情景や、人物の心情表現を音楽で表現します。また、舞台の上で登場人物が舞を舞うときの伴奏をする役割もあります。
そんな能の音楽ですが、奈良時代に中国からもたらされた雅楽の影響を受けています。雅楽の理論を吸収して囃子は作られましたが、その流れで後世の歌舞伎や文楽の音楽に影響を与えていることを考えれば、能というのは日本の音楽のある意味中心と言っても過言ではないように思います。
最後に【宗教】です。能は神社やお寺の宣伝のために作られた部分もあります。勧進と言って、お寺がお堂を建てるための資金集めの際に興行を行い寄付を募ったということがあります。その時には神社やお寺の宣伝になるような内容を含んだ能が作られていました。日本の主な宗教である仏教や神道、仏教の中でも阿弥陀様、浄土宗、法華経あるいは天台密教など、能を通じて日本の宗教についても知ることができるのです。
能を切り口にすることで日本の伝統的な文化の色んな側面を知ることができます。つまり能を見たり学んだりすることで日本文化そのものの理解が広がることを実感できます。
太鼓の構造やその魅力
能のお囃子は4つの楽器から成立しています。笛、小鼓、大鼓、太鼓の4種類です。この中で笛だけがメロディを演奏することのできる楽器です。後の3つは全部打楽器でリズムを演奏します。小鼓は小さい鼓と書いて小鼓。大鼓は大きい鼓と書いて大鼓。太鼓は太い鼓と書いて太鼓ですね。
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このうち3つは全部「つづみ」という漢字が入り、同じ構造を持っています。二枚の皮と一つの胴、それから調べというオレンジ色の紐で組み合わされているのが鼓ということです。
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打つ面の太鼓の革、打たない裏側はこのようになっています。真ん中に胴が入っており、黒い漆に金で蒔絵が施してあります。演奏する時は、調べを締めた状態にしますが、閉めたままにしておくと皮が伸びてしまうため、使わないときは緩めて休ませます。バラバラにすることもできます。
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楽器の進化という面でいうと、太鼓はバチ皮という白い皮が真ん中に貼ってあります。このバチ皮は最初からあったわけではなく、長い歴史の中で途中から登場したものになります。
太鼓は真ん中の白いところだけを打つのですが、同じところを打っていると皮がすり減ってきたり、傷がついたり穴が開いたりということでバチ皮が考え出されました。当時、すり減った上からもう一枚このバチ皮を張ってみたところ、打ってみたら良い音がするし皮も長持ちするしで大変具合が良かったということで普及したと言われています。
もう一つに太鼓の台があります。太鼓は両手にバチを持って演奏するのですが、スタンドのような台に太鼓をおいて演奏します。この台が考え出されたのが江戸時代の頭ぐらいだったと言われてます。
太鼓持ちの語源は、台がなかった頃の太鼓を持つ役が語源だそうです。今まさに実在した能役者を主人公とした「犬王」というアニメ映画が上演されていますが、その中で太鼓を支えながら打っている描写があるそうです。
お囃子の話に戻ります。先程言った4種類の楽器のうち、笛と小鼓と大鼓の3つの楽器は全部の能に登場するのですが、太鼓だけ入る曲と入らない曲があります。
シテ方には5つの流派があります。流派によってレパートリーが微妙に異なっていたり、曲の呼び方が違うなどの違いがあったりしますが、そんな5つの流派を合わせて昔からあるのが250曲ぐらいかなと言われてるんですね。
室町時代に能ができた当時はどれも新作な訳です。新しいものを作ろう、面白いものを作ろうという流れの中で新作がたくさん生まれてきたわけですが、長い歴史の間にレパートリーが固定化されてきました。徐々に新作が作られなくなってきたのです。それでも専門家の方によると、650年とか700年の歴史の間に、3,000とか4,000もの曲が作られたらしいです。
時代と共に価値観が変わり、お話があんまり面白くないとかわかりにくいとかいろんな理由があって上演される曲は少なくなり、今でも上演されてるのは250曲くらいです。250曲の中で太鼓が入る曲というのが150曲くらい、大体6割ほど。その中でもよく出るものと、あんまり出ないものがあるので半分ほどと考えてもらっていいかもしれません。
太鼓が入る曲と入らない曲の違いは、この世のものじゃない神様や鬼、妖怪とか植物や動物の精を題材にした演目です。人間世界じゃないものが舞台に現れる時、演奏に登場するのが太鼓です。それでも最初から最後まで演奏に参加するわけではなくて、後半の盛り上がる部分に登場するという変わったポジションにあります。
太鼓を打つ時にだけ舞台に出れたら楽だなと思いますが、なかなかそういうわけにもいきません。演奏に参加してない時も舞台の上には参加しているということで、気を抜かずに姿勢を良くして座っています。
質疑応答
質問 能面について。右と左で表情や心情を変わるように作られているとありましたが、どのような構造になっているのでしょう。
加藤 正面から見ると目の角度は同じだけど、よくよく観察すると右側は伏し目がちで左側はちょっと上を見てるというようなほんのわずかな表情の違いを作り出す工夫がされています。さらに、能面の瞼の下が窪んでいるため、顔を伏せると影の部分が大きくなり、暗い表情や悲しげな表情になったりそういうことも計算されて作られています。能の演技は型で決まっていますが、単に型をなぞるだけではなく、能面が活きるように演技するのも腕の見せ所だったりします。
質問 座り続けていて足が痛んだりしびれたりしませんか?
加藤 痛いし痺れます。とはいえ慣れもあるかと思います。実は正座にもコツがあるんです。正座をする時は、かかとの上にお尻をのせますがそこに全体重をのせ過ぎないで分散させると良いです。あとはお客さんに気付かれないところで力の入れ方とか、体重のかけ方を変えて血液が流れるようにしています。板の間ですから痛いんですが、座布団の上に座っている方が痺れやすく感覚がなくなりやすかったりします。正座をした後、すぐに立ち上がるための痛みや痺れをとる技術もあったりします。
質問 先生が太鼓を選ばれた理由は何でしょうか?
加藤 これは本当にたまたまなんです。大学のサークルで能に出会ったとお話させて頂きましたが、同学年の方に比べると少し遅れてそのサークルに入ったんです。当時、太鼓をやりたいっていう人が少なかったらしく、なんとなく自然な流れで太鼓でもやってみようかという感じでお稽古をはじめました。
本当は笛がやりたかったんです。高校生の時に吹奏楽部でフルートを吹いていたこともあり、メロディも演奏できるしかっこいいなと思っていたのですが、お稽古してるうちに太鼓が凄く楽しくなりました。異次元と扉をつなぐ役割を担っているのが太鼓の魅力ですね。出番は少ないんですが、とてもやりがいのあるお囃子だなと思っています。
質問 超一流と一流の差はどんなところにありますか?
加藤 とても難しい質問ですね。学生時代に見た舞台で、わたしと一緒に行った友人の間で感想がまったく違うくらいに、観る人の感性で見え方が変わってしまうのが能です。抽象的で無駄や余分なものを削ぎ落として最後に残った一番きれいな大事なところだけをお見せする引き算の美学があります。それゆえに技術の差や違いがよく分からないっていうことになるかもしれませんね。何度もいろんな舞台をご覧になられて、経験を重ねていく中でご自身なりにこの人はいいなとか、この人はいまいちだなとかそういうことが分かってくるのかなと思います。
本日はありがとうございました。