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3年間の振り返り
ご挨拶
はじめまして、くにめと申します。
今年4月から高校生となり 自らを見つめ直す為この3年間の振り返りをしたいと思い、ブログを始めました。長い上に所々変なところがあると思いますがそれでもよければ見ていただけると嬉しいです。
1年生
入学式の後、1.2回ほど通学してから不登校になりました。小学6年生の頃から腸の調子を悪くしており腹痛に悩むことが多く、当時はスマブラにめちゃくちゃハマっていたのもあり学校に行かなくなってしまいました。スマブラ自体は最初は軽くやっていたのですが、YouTubeライブでいわゆる参加型の文化を知りオンライン対戦を始めたのもその頃です。ただ最初はキャラの操作もおぼつかないど素人、更に自分の使うキャラはコマンドを使用する特殊仕様のキャラだったんですね。それもあり全然勝てずにいたのですが、下手くそでも継続すれば上手くなっていくもので、始めてから1.2ヶ月程でオンラインでちょくちょく勝てるくらいの実力が付きました。そしてその年の9月 親がスマホを買ってくれました。(それまでは父親のお下がりを使用していた)これによりTwitterやDiscord等のアプリを使えるようになり、一層オンラインの世界に浸かるようになりました。
しかし...周りの方々と接する事が増え 対戦する機会が増えたのですが、そこでレベルの違いを痛感しました。自分は学校に行かず毎日ゲームをしているのに、仕事や学校で時間が限られている人達よりずっと弱い事に焦りと不安を覚えたんですね。今にして思えば何年もやってる人達と始めて半年ちょいの自分じゃ実力に差があるのは当たり前だろと思いますが、当時は本当にそれで悩んでいました。そしてその事ばかりを意識するようになり、自分の中でスマブラが義務化してしまいました。負けるとストレスを感じ、不安になり焦るという まぁはっきり言って最悪の状態だったと思います。その翌年2月頃に同じキャラを使っているスマブラ仲間とスマブラのチームを立ち上げました、これが自分のレベルアップにも繋がるだろうという希望もあったのかもしれません。しかしそのチームはトラブルが多く、その対応に追われた為正直状況を悪化させただけと当時はちょっと後悔しました。3月頃 自分がよく見ていた配信者がポケモン対戦参加型をすると聞き、暇だからと参加することに。当時自分はポケモンはストーリーだけクリアしていて対戦の事は1ミリも知らなかったのですが、相手の配信者は言い方は悪いですがゲームが下手で スマブラの方では毎回勝ててたので(まぁ勝てるだろ)くらいの気持ちで挑みました。その結果...
負けました
普通に素人同士の戦いで、互いに何が何だかわからない対戦だったのですが 結果として自分が負けました。これがかなり悔しく、その配信者にリベンジする為2週間ほど本気でポケモンをやり始めます。
・努力値 個体値 種族値と呼ばれる3値
・強いポケモンを知る
・アイテムの使用方法等を知る
これ等を2週間で身につけて、構築を組みリベンジの日が来ました。その結果...
勝てました
それはもうすんごい嬉しかったです、そしてポケモンはリベンジが終わったらやめよう と最初は考えていたのですが、ポケモンが楽しくてそのままポケモン対戦デビューを決めました。ここで1年生時代は終わりです
2年生
正直1年生時代より語る事は無いです
スマブラのチームの事で悩むことはありましたが、ポケモンを始めてからスマブラの実力で悩むことはあんまり無くなりました。「ゲームは楽しくてなんぼ」という考え方になったんだと思います、単純な奴ですね。とにかくポケモン生活は楽しく、非常に愉快な日々を送っていたのですが、ある日からチームのトラブルが増えました。正直毎回対応するのも疲れ、メンバーとの話し合いの末 解散を決めます。最後に知り合いのチームと対抗戦を行い、そのチームは解散しました。しかし、今にして思えば色んなことを学べたいい経験だったとも思います。そしてそこからは完全にポケモンがメインになり、ポケモン関係の知り合いも増えました。スマブラ同様下手くそも継続すれば上手くなるもので、ポケモン対戦もある程度上手くなっていきました。DLCもありそこから2023年中はずっと楽しかったです 2024年になっても相変わらずポケモンばっかりやってたのですが、ある日気分転換にスマブラをやったところ 昔どれだけ練習しても出来なかったコンボ等が軽々出来るようになってました。やっぱりこんを詰めすぎないのも大事なんだと実感しましたね、そして何よりまたスマブラを楽しいと思えるようになった。これが自分の中では凄く嬉しかったのを覚えてます、正直楽しめる今の方が実力ありますしね。2年生時代はこれで終わりです。
3年生
一番長いです。
進級早々風邪をひき最悪のスタートを切った3年生時代ですが、その風邪がこの1年を大きく変えました。風邪で部屋で寝込んでいた時、暇だった為YouTubeを見ていました。その際昔見ていたベイブレードの動画を見つけました、その動画を見ている最中今のベイブレードはどうなってるんだろうと気になったんです。ベイブレードXという新シリーズが始まったのは知っており発売日に一式揃えていたのですがあまり触っておらず、調べた結果UX(ユニークライン)という新たなシステムが登場するのを知りました。好きなものは徹底的にやりたいタイプなので風邪が治ったらそれ等を買いたいと思ったのですが、インターネット通販では売り切れておりその時は買えませんでした。それから2週間程で風邪が治り外食に行こうという話になり、その店に着いた際隣の家電屋に行きました。別店舗ではありますがその家電屋でおもちゃをよく買ってたので「ワンチャン無いかな...」くらいの気持ちで立ち寄った結果...
ありました
それもその時に出てたベイ全部、お年玉が貯まりに貯まっていたのでやってない間に出てたベイも含め迷わず購入(大体1万円分)ご飯食べた後家に帰り、使っておらず埃を被ったスタジアムを拭いてウキウキで遊びました。時間を忘れるほど楽しく、気づいたら1時間ほど経ってましたね。ここから毎月新商品が出たら買うようになります。ポケモンの方は、ちょうどその時期にランクマッチのルールが変わり、伝説のポケモンが1体まで使えるようになりました。そして充実した日々で気分が良くなったからなのかは知りませんが、週に1.2回5.6時間目にだけ登校することを決めます。他の人から見たらちょっとしたことでしたが、自分的には大きな挑戦だったので最初こそ緊張しましたが学校生活もかなり充実していました。そして同年8月、とある特番が放送されました
SASUKEワールドカップ
SASUKE自体は第37回から視聴しておりほぼ毎年視聴していたのですが、このワールドカップの影響を受けSASUKEにハマりスポーツに興味を持ちます。本当に単純な奴ですね
そしてSASUKEにハマるにつれてSASUKE関連の動画を見ることが増えたある日、中島結太という選手の動画を見つけます。彼は山田勝己率いる山田軍団黒虎の団員で、歳は高校1年生と自分とあまり変わらないにも関わらずSASUKEでは凄い活躍を見せました。この手のものに歳は関係ないという言葉がありますが、いざ目の当たりにすると衝撃を受けるもので自分は彼に対し憧れを抱きます。
そんな中島さんは小柄なのですが、その身体の筋肉を見て自分も身体を鍛えたいなと思い、先のベイブレードにおいても腕の力が求められ丁度いいと思い親のダンベルを借りて筋トレを始めました。そこからはボルダリングも始め気分が良い生活を続いていたある日、ポケモンを始めるきっかけになった配信者が引退を表明。流石に落ち込みました、そうこうあって12月頃 待ちに待った第42回大会SASUKEが放送されます。応援していた中島結太さんは前回リタイアした2ndステージをクリアし、史上最年少で3rdステージ進出を決めます。これをリアルタイムで見た時は猛烈に感動しました。結果としては3rdステージの難所、クリフディメンションの2回目の飛び移りでリタイアとなってしまったのですが「歳の近い人でもこんな凄い事が出来るんだ」と自分の筋トレのモチベーションは更に上がりました。
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そして2025年 新年早々インフルになりました。筋トレ出来ないわベイブレード出来ないわで正直気分は最悪、更にインフルが治ったかと思いきや次は咳が止まらず 病院に行ったところマイコプラズマ肺炎かもという追い討ち。更に咳の影響で肋を痛め、先週くらいに整形外科に行ったところ...
肋骨が2本折れてました
幸いもうくっついてるようで、痛く無いようであれば運動してもいいとのこと。しかも不幸の連続では無いようで、高校受かりました。これで自分の振り返りは終わりです。
最後に
いかがだったでしょうか、薄っぺらい内容かも知れませんが自分的にはかなり記憶に残る3年間でした。これからももしかしたら何か投稿するかもしれないので、その時はまた見ていただけると嬉しいです。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました