『ワイキキごんざえもんの憂鬱』③ ウクレレえいじ
第六章「明治アマゾネス刑罰史」
ごんざえもん(司会)とすず(アシスタント)が出逢ったネット番組は凄まじいエログロナンセンス極まりない番組だった。
伝説の番組『明治アマゾネス刑罰史』だ。
番組中に子供が55人も授かっている。
当時88歳だった玉野金三少子化担当大臣がお忍びで観覧に来たほどだった。
そして玉野少子化担当大臣も翌年40歳下のグラマー熟女ハル竹城(48歳)と熱愛発覚。五つ子を孕ませたのだった。
基本的に出演するアイドルは全員南米の残酷女刑務所の女囚の設定で、ごんざえもんは看守長兼刑罰の執行人だった。
すずはグラビアでほんの少し売れていたのだがやはり女囚役で身体を張って頑張っていた。
放送時間は意味もなく月9ドラマの裏番組だった。
「この番組でメディアに革命を起こす!」
この番組のプロデューサー亀頭膨張助(きとうむくすけ)はあのバラエティ番組『全力ボーイ』の伝説のディレクターだった。
“バラエティ界のチェ・ゲバラ”
と異名を取っていた。
視聴率男だ。
鬼頭こそが『全力ボーイ』を国民的バラエティ番組にのし上げたのだが、番組が感動路線に変わった今は満足出来なかったのだ。鬼頭は危険なドリーマーだった。
鬼頭プロデューサーの狙い通り、インターネットは空前絶後の凄い盛り上がりを見せた。
渡る世間はエロばかりだなと鬼頭プロデューサーは思った。
番組内に人気コーナーがたくさん生まれた。
「乳《ちち》くらまんじゅう」
「乳《ちっち》向いてホイ!」
「半ケツ~お尻合いになりたい」
などの軽いバラエティ企画から、
『アマゾネス悶絶牛裂きの刑』
『アマゾネス逆さ磔《はりつけ》火あぶりの刑』
『アマゾネス鋸《のこぎり》挽きの刑』
などのハードな企画まであった。
たまにロケもあり、『アマゾネス市中引きまわしの刑』もあった。
企画内容は読者の想像にお任せしよう。
基本は生放送で1時間番組。
時間配分は
9:00~9:50「アマゾネス刑罰史」
9:50~9:55「アマゾネスの逆襲」
9:55~10:00「いい湯だな」(エンディング)
だった。
瞬間最高視聴率は意外に「アマゾネスの逆襲」のコーナーだった。
番組の最後に女囚たちが看守長のごんざえもんをエグい拷問にかける「アマゾネスの逆襲」のコーナーだった。
中世ヨーロッパで実際に使用していたホンモノのギロチン台にごんざえもんの男性自身を載せて復讐する『死刑台のエレベーター~リアルギロチンチン』
膀胱破裂するまで女囚が水を飲ませ復讐する
『集団膀胱暴行!ごんざえもん危機一髪』
『種馬万歳』など。
復讐して脱獄して自由を得て最後は歌って終わるという勧善懲悪型の『水戸黄門』的バラエティ番組となっていた。
なんとアイドルたちはノーギャラで、疲弊していった。ごんざえもんは少しギャラをもらっていたが同じ思いだった。
アイドルたちはそのままAV女優になる女の子もいた。
自分の意思でなったのか、それとも事務所に騙されてなったのか。
ごんざえもんにはどうすることも出来なかった。
ある日の『明治アマゾネス刑罰史』の生放送。すずは番組を休んだ。ドタキャンらしく、スタジオは騒然としていた。
すずは美しく、番組で人気があり別格だった。
頭もよかった。
すずは父鴈治郎の借金返済のために悪徳事務所に捕まり、仕方なくグラビアアイドルをやらされていたのだった。
番組終了後、夜中にすずはごんざえもんに電話してきた。
「ごんさん、助けてください!」
すずは悪徳事務所からAV出演を強要されたのだった。
「すずさん、今どこにいるの?すぐに迎えに行くから!」
その頃ごんざえもんは山谷のゲットーに住んでいた。四畳半風呂なしトイレ共同。家賃二万三千円。陽当たりゼロ。
安アパートのピンク電話。
ごんざえもんは鬼頭プロデューサーに電話で辞める挨拶をして番組を去った。
鬼頭はごんざえもんを唯一認めてくれた業界人で、何度も仕事をくれた恩人だったからだ。
すずと一緒に北海道に逃げた。いざ網走へ。
網走の海辺の小屋ですずとの同棲生活が始まった。
金もなく、ごんざえもんはヒグマが食い散らかしたシャケを浜辺に拾いに行って凌いだ。
すずは近所のスーパーのレジ仕事を始めた。
ある日のこと。
ごんざえもんがシャケを拾いに行くとヒグマと出くわした。
ガオー!
うわあっ!
そこへ精悍な男が走ってきてヒグマに飛び蹴りを喰らわした。
ギョエー!
網走聡志という網走出身の格闘家だった。
彼は凶暴なヒグマと闘ったり、なだめたりする仕事をしていた。
第七章『網走番外地』
網走の謎の格闘家、網走聡志は色々とごんざえもんとすずの面倒を見てくれた。網走聡志のパトロンは日雇いの人材派遣会社『奴隷市場』を経営していた。
ごんざえもんも色々アルバイトを世話してもらった。
「男満別新国際空港建設反対のバイト」「草ラグビーの助っ人」「人間囲碁の碁石役(黒)」
「金持ちの飼ってるカムチャツカツキノワグマの散歩」などだった。
たまにヤバい裏の仕事の誘いもあった。
ある日のこと。
「ごんさん、一日で1本(100万円)稼げるけどどうする?」
脱獄の手伝いだった。
国際手配されてる知能犯カルロス・ビーンが北サハリン刑務所に収監されていた。
ごんざえもんは仲間と小舟でサハリンに密入国した。
網走聡志はこの仕事のリーダーだった。
しかし、カルロス・ビーンはすでに他の脱獄請負会社、パラグアイの脱獄専門会社「アルカトラズ・フリーダム」に助けられ脱獄していた。
「はい、半額だけ。前金でもらってたから」
網走聡志はごんざえもんに50万円渡した。
「最近、見慣れない怪しい連中がこの街に来てるらしい。ごんさんたちを探してるんじゃないか?東京に帰った方がいいよ。東京に俺の知り合いの凄い先生がいるから。これ、名刺。その手のトラブルを全部解決してくれるから大丈夫。これも持ってきな」
網走聡志は自分の報酬の50万円もごんざえもんに渡した。
「網走さん、すみません。ありがとうございます。何から何まで。どう御礼を言ったらいいのか…」
ごんざえもんは頭を垂れた。
「礼なんかいらないよ。だけどすずさんは大切にしなきゃいけないよ。俺に金はあんまり必要ねえのさ。時間もないし…」
格闘家の網走聡志は末期肛門癌とペストで余命1カ月の宣告を受けていた。
次の日、網走聡志は、流氷に乗ってやってきた伝説のアラスカマンモスヒグマ『タンバテツロー』と闘い、凄絶な死を遂げた。
ごんざえもんとすずはその金を持って東京に戻ったのだった。
「相談役 遠山銀治郎」
と名刺にあった。政治家から警察関係から裏の世界まで知らない者はない。
「大丈夫でござんす」
一発で解決した。
東京の御徒町にあるトリプルロック教会で黒人たちのゴスペルで祝ってもらい、ごんざえもんとすずは結婚した。
が、1年間のブランクは大きく、ごんざえもんにお笑い芸人の仕事は全くなかった。所属事務所のマネージャーもカンカンに怒っていた。
現実は厳しく、ごんざえもんはアルバイトをする毎日だった。
すずはしあわせだった。このまま二人暮らせるなら、芸人で成功しなくていいと思っていた。
すずは芸人のワイキキごんざえもんではなく、人間権堂英次が好きだった。
しかし今は…。
ごんざえもんはアルバイトを辞めてしまっていた。
ホンモノの芸だけで生きる実力派のあの若き落語家たちに出逢ったからだった。
「バイトしたほうがいいんじゃねえか?な、ごんさん」
舎人公園の池の畔。
カズちゃんだ。
「俺でさえ金が無くなりゃバイトしたりしたんだぜ。ほら、あの大震災の後は二年間くらいドカタやったりしたし。落語家だって隠れてバイトしてる奴なんていっぱいいるんだよ。俺は昔落語家だったから色々知ってるよ。言わないだけでさあ。それに何も毎日バイトすることないじゃないか。な?月に10日くらい働けばさ。すずちゃんも機嫌直るって」
「いや、このままでは追いつけない。バイトする時間というか、意識というか。全力で芸人だけに集中してみたいんだ。自分に言い訳出来ないように。正直今から毎日芸だけ集中してもあの人たちには追いつけないかもしれない…」
ごんざえもんはうなだれた。
「ごんさん、気持ちはわかるよ。だけどすずちゃんはどうすんだよ。ごんさんは結婚してるんだぜ」
カズちゃんはやさしい男だった。
ごんざえもんは東京に戻ってから生コンの手配師のアルバイトをしていた。毎日毎日。すずはしあわせだった。しかし、ごんざえもんは憂鬱だった。
俺はフリーターになるために東京に出てきたのか?
故郷の両親を捨てて、東京でフリーターするために。
一生このままで終わるのか。
今はまだ33歳だけど、死ぬまでこのアルバイトをやり続けるのか。
それに、こんな毎日で本当にすずをしあわせに出来るのか。
今から三カ月前のこと。
実力派の落語家の会にごんざえもんは呼ばれた。秋風亭勝太、梅乃家京太郎、桜家彦まろ、七遊亭白馬。
知名度は全国的にはまだまだだったが、高座はホンモノだった。
地に足がついた芸。150人くらいの小さな劇場だったが、超満員大爆笑。しかも四人は新作ネタおろしであった。この日は自作の新作落語会だったが、もちろん老若男女を満足させる古典落語もきっちり出来るプロフェッショナルでもあった。
顔つきも凛々しく、芸の裏側も深いのだった。
ごんざえもんも一応ウケたのだが、この日の芸が全てだった。一種類しかなかった。
33歳で20分のステージ一種類だけだった。
この四人の落語家は独演会で二時間、三時間、毎回新ネタをやり続けていた。
ワイキキごんざえもんはウクレレ漫談も真剣にやっていなかった。
苦し紛れで始めた芸だった。
ごんざえもんは芸人として初心者、考え方もアマチュアだった。
当時、ウクレレ漫談家は日本中誰もが知ってる演芸界の巨人、牧伸二師匠しかいなかった。
たまたまごんざえもんは新しいウクレレ漫談スタイルをやり、物珍しさにビギナーズラックで客にウケただけだった。
そして、落語家たちが絶妙な前説をしてくれたから、ごんざえもんはウケただけだった。
第八章「アルバイト仁義」
網走から東京に戻ったごんざえもんはアルバイトを始めた。生コンの手配師のバイト。芸能の仕事が入った時、比較的自由の利く会社だった。
毎日違う現場だった。
コンクリートの高層マンションの建設現場に、生コンのトラックを必要なだけ手配する仕事だった。
生コンの工場も一日に現場を何件も抱えているので、「今日の現場は1時間に何台生コン車を呼ぶのか?」「全部で生コンは何立米(なんりゅうべい)必要なのか?」等、朝7時前に細かく現場監督と話し合いをして決める仕事だった。
途中現場でトラブルがあれば生コン車を止めたりする判断をし、昼休み近くになると現場監督や土工さん、ポンプ屋さん、生コン車の運転手さん、警備員さん、生コンの検査屋さん等とコミュニケーションを取り、午前中の生コン車を後何台呼ぶか決める仕事とかだった。
とにかくスムーズに生コン車を廻し、現場を予定時間に終わらせなければいけない。
夕方五時までに終わらさないと、近隣住民から苦情が来るのだった。
生コンを打つ日は危ないし、騒音が凄い。
毎日現場が違うから、人も変わるし、頭や気を使う大変な仕事だった。
しかし、ごんざえもんは何故かコミュニケーションがうまく、現場で評判がよかった。
ごんざえもんはコントグループで舞台をやっていた時も作演出をしていたから、役者、照明、音響、舞台監督、スタッフいろんな人に気を使っていたのと同じことだった。
生コン車がトラブルで来なくなると、自腹を切り、全員に缶コーヒーを振る舞ったりしたし、とにかく正直に話して頭を下げ謝った。
「ごんさんだから仕方ないや」
信頼されだした。
名指しで現場監督に指名されたりもした。
ごんざえもんがアルバイトしていた生コン手配会社「涙橋コンクリート」はかろうじて株式会社の小さな中小企業だった。
それでも時には大きな仕事も任されたりした。
この生コン車の手配師の仕事は板挟みのストレスのたまる仕事で、よく現場で刃傷沙汰や死亡事故などトラブルが多かった。
ポンプ屋の巨大なホースは一見柔らかく見えるが、重い生コンがずっしり入っていて、電柱みたいに硬いのだった。
その重く硬いホースが一旦龍のように暴れ出すと、屈強なポンプ屋の親方たちも制御不能となり、作業している土工さんたちをなぎ倒してしまうのだった。
ごんざえもんは二年近く働いていたが、幸い事故はなかった。
ある年の師走。12月上旬。銀行に通帳記入しに行ったら会社から20万円振り込まれていた。給料日は月末だから会社が間違って振り込んだと思い、電話をかけた。ごんざえもんは真面目だった。
「あの、なんか20万円入ってましたけど」
「ああ、ごめん権堂くん。間違えちゃった!アハハ」
会社の重鎮のおばさん電話係の井上さんは明るい声で言った。
自分が間違えて振り込んだというのに笑っている。
「お金返しますので、会社の振込先教えてください」
ごんざえもんが言うと。
「いや大丈夫!こっちが間違えたのが悪いんだから!えへへ」
「大丈夫って?いや、そんな…」
「今、社長も電話の横にいるけど。大丈夫だって。他のみんなには内緒にしてね!じゃあね!」
ようやく、ごんざえもんは理解した。
ボーナスだった。
ごんざえもんは生コン車の手配師としてプロフェッショナルになりつつあったのだった。
すずも喜んだ。
この頃は毎日のようにチョメチョメしていた。
「権堂くん、社員にならないか?」
社長からだった。ごんざえもんはびっくりした。
ごんざえもんは夏も冬も「間違えちゃったボーナス」をもらっていた。
「ありがとうございます。少し考えさせてください」
ごんざえもんは複雑だった。
妻すずはしあわせそうだった。
しかし、生コンの手配師の仕事は全力でやるので、評判はよかったが、芸人としては益々マズかった。
普段のごんざえもんは無口で高倉健っぽかった。お笑いライブの時だけ、無理して明るくバカを演じていた。
ごんざえもんはバイト時は生コン会社専用のPHSを使っていた。プライベート用の携帯電話も持っていた。
とにかく生コンの手配師は生コン車の会社にガンガン電話をかける仕事だった。
ある日の夕方。仕事が終わって携帯を見てみたら。事務所のマネージャー桜井から着信と留守番電話が、八件くらい入っていた。
「ごんざえもん!至急折り返し電話ください!大っきい仕事が名指しで先方から来てます!急だけど今日撮影するそうです!スケジュール空いてるよね?予定あっても絶対断って!じゃあ連絡待ってます!よかったな!俺もうれしいよ!」
「ヤバい…」
ごんざえもんは慌てて事務所のマネージャーに電話をかけた。
「バカヤロー!遅いよ!もうお前には絶対仕事振らないからな」
ガチャンと切られた。
このマネージャー桜井は口は悪いがいつもごんざえもんを気にかけてくれていた。
この頃お笑い芸人は30歳を過ぎたらほぼみんな引退していた。
それにごんざえもんはアイドル番組『明治アマゾネス刑罰史』でドタキャンし、網走へ逃亡した前科があった。
桜井はそれでも見捨てなかったというのに…。
「生コンの社員になるしかないか…。必要とされてるし、すずもしあわせそうだし…」
翌日。先輩のくちびる五郎のひとり芝居『分厚いのがお好き』の打ち上げで、噂の実力派落語家の梅ノ家京太郎師匠に出逢った。
ごんざえもんは京太郎師匠に名刺を渡した。
「え?ワイキキごんざえもんさんって名前なんですか?」
京太郎師匠は笑っていた。
「今度、僕の独演会にゲストで出てもらえませんか?」
「いや、まずは僕の芸を見ていただいてから、気に入っていただいたら会に誘ってください」
京太郎師匠は凄い芸人と評判があり、ごんざえもんは怖かった。
しかし京太郎師匠は言った。
「大丈夫です!失礼ですが、ワイキキごんざえもんって名前だけで爆笑です」
すぐに京太郎師匠から独演会に呼ばれて、その後、あの『落語家四天王』と出逢ったのだった。
そして3月31日。落語会の翌日。
季節はずれの大雪が降った朝にごんざえもんはアルバイトを辞める決意をした。
アルバイト先の生コン会社に長い手紙を書いた。電話じゃ、辞めると言っても、口説き落とされて、続けてしまうだろうと思ったからだ。
無断欠勤した。
何度も留守番電話に井上さんの声が入っていた。
「権堂くん、何かあったの?お願いだから電話してね?無断欠勤なんて全然怒ってないからね?逆に二年近くもトラブル無しって凄いことなのよ。だから権堂くんはずっと我慢してたんだよね?言い出せなかったんだよね?他のバイトの子たちはいつも現場で揉めて、電話で愚痴を言うのに権堂くんは一度も言わなかったもんね。ごめんね…」
三日後。
留守番電話は途絶えた。
ごんざえもんの長い手紙が会社に届いたのだろうと思った。
次の月。
日割りのはずの給料が全額と、別に会社から季節はずれの『間違えちゃったボーナス』がまた振り込まれいた。
いつもの倍額だった。
「こんな酷い仕打ちをしたのに…」
ごんざえもんは嗚咽した。しかし同時に、芸で生きる強い決意をしたのだった。
〈続く〉