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『ワイキキごんざえもんの憂鬱』⑥ ウクレレえいじ
第十五章「結婚の資格」
現実的にごんざえもんに結婚する資格はなかった。
しかし現実にすずと結婚していた。
ごんざえもんは親を、恋人(ごんざえもんの片思いかもしれない高校の同級生の女性)を、故郷を捨てて東京に出てきたのだ。
つまり、家族を作ることを無意識に拒否していたのだ。
芸人で成功して、家族を迎える、親孝行をする、とかの発想も全くなかった。
ただ漠然としていた。
『何か』を探していた。
すべてが曖昧だった。
もちろん、両親も恋人も、故郷も嫌いじゃなかった。
ごんざえもんが東京に出たのは愛知県の三流大学を卒業したすぐの22歳。
1989年3月。
昭和天皇崩御。
ちょうど昭和から平成に変わる時代。
世界も日本も変革の時代《とき》だったのかもしれない。
時代の雰囲気になんとなく捲き込まれたような気もする。
しかし、ごんざえもんの父親は一流企業のサラリーマンで、五歳年上の兄も大学院を出て一流企業に務めて立派な家庭を築いていた。
ごんざえもんも最初はサラリーマンとして上京したのだった。
田舎者が芸人や役者に簡単に成れる時代ではなかった。
当時、芸能人になるなんて夢物語だった。
「オレが郷ひろみ、西城秀樹、沢田研二になれる訳がない」
ごんざえもんは、親にも言えず、東京で靴屋の店員をしながら芸能の道を模索しようと思ったが仕事が忙しく無理だった。
靴屋は年中無休でごんざえもんの休みは月に2回。
サラリーマンも厳しかった。
毎日必死に靴を売っていた。
ごんざえもんは、幼い頃(三歳くらいか?)、予防接種で左肩を壊してしまった。
母親に聞いたところ、肩の骨格がしっかり出来る前に注射を打った場所がいけなかったらしい。
そして兄に「死にかけ」と呼ばれていた。
ごんざえもんが生まれた時、全く泣かなかったらしい。
死にかけの状態で母親から世の中に出てきて、医者にビンタされてようやく泣いたらしい。
もしかしたら生まれた時、寝てたのかもとごんざえもんは思うのだが。
しかし、呼吸もしてなかったとも言われた。
トラブル続きで生きてきたのも頷ける。
死にながら産まれ出てきた赤ちゃんゾンビ。
ナチュラルボーンゾンビ。
そして、18歳くらいまでご飯をほとんど食べなくてガリガリだった。
お菓子は毎日食べていた。
食生活は好き嫌いがあるというより、嫌いだけだった。
ご飯、醤油、水、ラーメン、焼きそば…。
野菜、肉、魚も好きじゃなかった。
すべてが人と違う。
普通じゃない。
学校でもずっと浮いていた。
そのまま中学生になり、兄の影響で音楽とお笑いに目覚めた。
ラジオ『サウンドストリート』とテレビ『ひょうきん族』だけ観て、育ったのだった。
中学三年生の時は、クラス全員に漫才やコント、ものまねの台本を書き、演出をつけていた。
クリスマス会や学校の授業、休み時間等でライブをしていた。
ごんざえもんは司会、ものまね付き替え歌ギター弾き語り、構成、演出もやっていた。
とにかくそのまま高校、大学、靴屋と進み、色々あって芸人もどき、役者もどきになっていた。
今、テレビモニターが三台ある部屋でごんざえもんは寝転がっていた。
24時間部屋にいるのはごんざえもんだけだった。
番組収録はあと一日。
長いようで短いえせ夫婦生活は
明日で全て終わるのだった。
第十六章「夫婦喧嘩全国放送」
「夫婦シャッフル」収録最終日の朝。
日曜日。
四人全員仕事はお休み。
ごんざえもんはほぼ毎日お休みだったが。
ごんざえもんと優子、正良とすずはスタッフに起こされ、アイマスクを付けさせられた。
今日で企画は終わりだった。
なんでアイマスクをさせられるのかわからなかった。
昨夜の就寝時。
マイクを外した後。枕元で優子が囁くようにごんざえもんに言った。
「英次さん頑張ってくださいね。私英次さんのことずっと応援しています」
優子はごんざえもんの本名『英次さん』と呼んだ。
「ありがとうございます」
ごんざえもんは胸が張り裂けそうだった。
優子だけが一度も家に帰らなかったとテレビスタッフに聞いた。
「帰ったら二度と戻らないだろうから」
優子は笑って言ったが本音だったのだろう。
優子だけは何のメリットもないこのテレビ企画出演だった。
優子は普段全くテレビを見ないと言っていた。
サラリーマンの旦那正良のためではなく、ワイキキごんざえもんこと本名権堂英次のために最後まで企画に参加してくれたのだった。
優子にちゃんとお礼も言えずに突然の別れとなった。
一時間後。
アイマスクを外すと、目の前に妻すずがいた。
一ヶ月ぶりの再会だった。
なんだか不思議な感覚だった。
すずもごんざえもんのため、英次のためにテレビ企画に参加してくれたのだった。
すずは元アイドル崩れだから、テレビ企画も何とも思ってなかったのだろうか。
ギャラが多少入るし、働きにもいけるので逆に喜んでいたのか。
番組から生活費として10万円支給されていたので缶ビールも煙草も浴びるように嗜んでいた。
しかし、心の中は葛藤があったのかもしれない。
因みにごんざえもんの方は3万円支給されていて生活が苦しかったが、優子はダイエット中だったし、逆に二人は力を合わせて工夫して料理(ほぼ毎日そうめん)を作り、絆も深まっていた。
ごんざえもんとすずはカメラの前というのにいきなり夫婦喧嘩を始めた。
もちろんスタッフに夫婦について話し合って欲しいと言われたからだ。
妻すずは本気になり、まくし立てた。
ごんざえもんは、信じられなかった。
元々、妻は常識のない破天荒な女だった。
アイドルを辞めて、結婚して、いつしか普通の一般女性に変わっていたのだった。
ごんざえもんは同棲から結婚する時にはっきりと言った。
「結婚してもオレは変わらない」
と。
結婚も妻から切り出された。
「結婚するか、別れるかどっちかに決めて」
同棲は二年足らずだった。
この時、二人はすでに違う考え方になっていたのかもしれない。
ごんざえもんは、売れない芸人である。
その時は、生コンのアルバイトをしていて、芸人を半分諦めていた。
このまま、生コン手配会社の社員になってもいいかなと思っていた。
すずは芸人ワイキキごんざえもんではなく、権堂英次と結婚したかった。
当たり前か。
しかし、ごんざえもんは実力派の若手落語家たちに出逢ってしまったのだった。
芸人として目が覚めた。
しかし、ごんざえもんは落語家ではないし、今更落語家には成れない。
落語家になる実力も覚悟も才能もなかった。
バイトを辞めてから、すずと揉めだしたのだ。
ごんざえもんは一度、妻すずに別居しようと言った。
すずは泣いて、別れたくないと言った。
すずは結婚披露宴してから変わった。
普通の夫婦、平凡な夫婦に憧れていた。
この日、番組でも二人の話は平行線だった。
夫婦喧嘩が全国放送で流れる。
ごんざえもんはどうでもよかった。
とにかく知名度さえ上がればと自信があった。
舞台ではおもしろいと関係者に言われていたし、実際に客にも受けていた。
まだ20分間だけだが。
このスタイルでネタを増やせばやっていけると思っていた。
知名度さえあれば…。
ごんざえもんは焦っていた。
しかし。
知名度もマイナスになることがあることをごんざえもんはわかっていなかった。
「つまらない芸人」
「クズ芸人」
テレビ局の人間たちは企画に合わないことをやる芸人を嫌っていた。
『全力ボーイ』はドキュメンタリーだと思っていたが実際は全然違ったのだ。
台本らしきものが根底にあった。
だからつまらなくなってきたのだと思った。
「こうすれば数字(視聴率)が取れる」
とにかく『夫婦シャッフル』の撮影は終わった。
矛盾してるようだが、反響と視聴率はまあまあよかったようだった。
ごんざえもんとすずは一ヶ月ぶりに阿佐ヶ谷の安アパートに帰った。
半同棲の猫マツヤマが、玄関前にいた。
ちょっと警戒しながら二人を見ていたがやがて一緒に部屋に入ってきた。
二人はまだ夫婦喧嘩の状態で無言の帰宅だった。
第十七章「テレビパワー」
妻すずは約一ヶ月間の『全力ボーイ』の収録後もアルバイトに行っていた。
ごんざえもんは仕事が増えた。
落語会、結婚披露宴の余興、BSのクイズ番組、ウクレレイベント等であった。
全て「全力ボーイ」の『夫婦シャッフル』を見た人たちからの仕事依頼だった。
テレビパワー恐るべしである。
ワイキキごんざえもんは三ヶ月間(七月~九月)毎週テレビに出ていた。
収録は一ヶ月間だったが、番組は三ヶ月に渡って放送していた。
国民的バラエティ番組『全力ボーイ』は日曜日のお昼放送。
もちろん全国放送だ。
ワイキキごんざえもんはいつもアロハシャツを着てウクレレを持って歩いていたので、街で番組を見た人から声をかけられた。
しかし、他のテレビ番組に呼ばれるほどの反響はなかった。
そしてごんざえもんたちが出演した企画『夫婦シャッフル』最終回の後、番組スタッフから連絡があった。
知り合いに結婚してる、或いは同棲してる芸人夫婦はいないか?という連絡だった。
『夫婦シャッフル』は評判がよく、第二弾をやるらしかった。
ごんざえもんは、結婚してる知り合いの芸人二組に連絡して、その中のハンバーグ菅原に了解を得てスタッフに紹介した。
九月下旬の週末。
また番組スタッフから連絡があった。
「明日、ごんざえもんさん家にいますか?すずさんもいますか?」
なんでですか?
と聞いても、ちょっと明日聞きたいことがあるので家にいて欲しいという返事だった。
あまり気にも留めずにいた。
この『全力ボーイ』は番組改編期(春、秋、年末年始)にいつも特番(三時間放送)をやっていた。
もしかしたら、10月の特番に呼ばれるのかもと、ごんざえもんは思った。
というのも『夫婦シャッフル』のサラリーマン夫妻、正良と優子はまだ結婚式を挙げていなかった。
優子が旦那さんに少し不安を感じて、結婚式や披露宴を延期していたと言っていた。
だから、旦那さんの正良は番組で結婚について真面目に話したかったのかもしれない。
しかし優子は結婚の問題をテレビ番組に出て解決しようとする正良に逆にまた疑問を深めたのじゃないかと思った。
マリッジブルーとはちょっと違う気がした。
ともかく特番で、正良と優子が結婚式を挙げるんじゃないかとごんざえもんは思った。
披露宴にごんざえもんとすずも参加して、ウクレレ弾いてお祝いに駆けつけるみたいな演出を想像していた。
九月の末。
最後の土曜日。
午前五時過ぎ。
コンコン。
ドアがノックされた。
寝ぼけまなこでごんざえもんがドアを開けるとショッカーの戦闘員がいた。
「キーッ!」
あの『全力ボーイ』の悪名高い拉致要員だった。
ショッカーはカメラを回してごんざえもんを撮影していた。
ごんざえもんは寝起きが悪い不機嫌男だった。
「何ですか?」
「キーッ!」
「え?」
「キーッ!」
「あの、近所迷惑なんで叫ぶの辞めてもらえますか?」
ごんざえもんは益々不機嫌になった。
「すみません…」
ショッカーはカメラを止めてマスクを取った。
なんとショッカーはディレクターだった。
ショッカーは「夫婦シャッフル」のディレクターだったのだ。
「あの、僕です」
ショッカーは古澤さんだった。
ディレクターの中で唯一紳士でセンスのある人だった。
「おはようございます!でも古澤さんがなんでショッカーやってるんですか?」
「ADが寝坊しちゃって。朝早くからすみません」
「で、今日はなんですか?」
「ちょっとそこまで来て欲しいと思いまして。すずさんもいらっしゃいますか?」
「ええ、いますけど…」
「では僕がもう一度ドアを叩きますんで、ドアを開けたら『はい』『わかりました』って言ってついてきてもらえますか?後、ウクレレも持ってきてもらえますか?後、上着も。それから、アイマスクとウォークマンも装着お願いします」
かくして目隠し、ウォークマン姿のごんざえもんと妻すずは『全力ボーイ』の車にのせられた。
しかし。
ちょっとそこまでは、ちょっとそこまでではなかった。
〈続く〉