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『ワイキキごんざえもんの憂鬱』⑧ ウクレレえいじ
第二十一章「旅の始まり」
2001年10月1日。
旅の始まり。
三厩駅の待合室でごんざえもんとすずとAD近田は地図を広げた。
スタッフは東京に戻り、ADの近田だけが現地に残った。
他に車両の青沼も残った。
AD近田の話では旅の企画は現場スタッフが何度も入れ替わるらしい。
マンネリにならないためなのか、近田も理由はよくわからないようだった。
三厩駅から電車で蟹田駅まで行くことになった。
地図を見るかぎりまあまあ大きい街のようだった。
しかし。
蟹田駅に着いてみると駅前は夕暮れ時で寂しい感じだった。
一万人集めるには大きな街に行くしかないと話し合い、青森駅まで行くことにした。
青森駅に着いた頃はすっかり夜になり、激しい雨が降っていた。
「とりあえず、カッパ着ましょう」
三人、龍飛崎で手渡されていたカッパを着る。
この企画は旅のルールが幾つかあった。
路上ライブ禁止、ライブ以外のカンパ金や食べ物などの差し入れを貰わないなどだった。
基本的に一週間単位で街を移動する。
月曜か火曜までにライブ会場を借りる。水曜から金曜まで宣伝、チラシ配布。週末土日にライブをやる。
三カ月間(12回ライブ)で一万人観客を集めなければいけないから、一回につき900人平均動員しなくてはならない。
ごんざえもんは、冷静になって驚いた。
しかも毎回一週間以内に会場を決めて、宣伝して、ライブをやるのだ。
持ち金二千円は電車に乗ったりしてもうほぼない。
ライブのカンパ金だけでやりくりするというルールだった。
「なんて無謀な…」
ライブは約20分間。
ごんざえもんはそれしかネタがなかったし、テレビ側もライブの場面はそんなに必要ないみたいだった。
ごんざえもんはウクレレ漫談を始めてまだ二年弱くらいだった。
AD近田は驚いていた。
33歳で、持ちネタが20分しかないって。
ごんざえもんはずっとコントをやっていたから、仕方ないのだが。
言わば喰うためになんとなくウクレレ漫談を始めたのだった。
そんな状態でいきなりテレビの世界に放り込まれ、自身も飛び込んだのだった。
でも現実はそんな言い訳は通用しない。
コントグループや舞台も全く無名で、売れてないのだから。
無名の売れない33歳の自称ウクレレ漫談家。
それが現実のワイキキごんざえもんの肩書きだった。
「もう夜だし、雨も降ってますのでまずは野宿先を探しませんか?」
AD近田が言った。
一応、この『全力ボーイ』はドキュメンタリー風の番組が売りだから、スタッフは「こうしましょう」とは絶対言わないのだった。
“ヤラセ,,と言われるのを極端に嫌っていた。
ごんざえもんは面倒くせえなあ、と思っていた。
ヤラセとかヤラセじゃないなんてどうでもいいだろ?
カメラ回して、編集してる時点でドキュメンタリーも作り物もないだろう。
『ゆきゆきて・神軍』を見てみろよ。
ごんざえもんは思った。
しかし、中々野宿先は見つからなかった。
やっと二時間歩いて小さな公園の屋根のあるスペースを見つけた。
妻すずはすぐに寝袋の中へ。
ごんざえもんは昨日三厩駅で徹夜していたのでふらふらだった。
AD近田はまだ23歳の男性で若く、やたら移動時も話しかけてきた。
「この番組どう思います?」
「芸人としてこの番組に出るって本当にメリットがあるんですかね?」
ごんざえもんはどうでもよかった。
企画の内容なんて興味なかった。
醒めていた。
仕事だよ。
毎週テレビに出ることだけが目的だよ。
ごんざえもんは心の中で答えた。
知名度が欲しいだけだった。
AD近田は編集作業のため、ホテルへ。
ごんざえもんも寝ようと寝袋に入った。
するとすずが言った。
「怖くて眠れないよう」
「…」
ごんざえもんはウクレレを取り出した。
「わかった。起きてるから大丈夫」
ごんざえもんは二徹した。
第二十二章「津軽じょんがら節」
青森駅の近くの小さな公園で、ごんざえもんとすずは野宿した。
「カメラ置いてきますので。練習風景とか、夜中なんかネタになりそうなことあったらこれで撮影してください」
AD近田が言った。
近田はホテルで今日撮影した分を粗(あら)編集して東京にデータ(当時はビデオテープ)を送る作業をしなくてはならないのだ。
一日中ほぼカメラを回しっぱなしだから、毎日8時間分は撮っているだろう。
膨大な量だった。
だから、撮られているごんざえもんもすずもカメラを向けられっぱなしで疲れ果てるのだった。
ごんざえもんは寝袋の中で起きていた。
眠かったが、野宿に慣れてないし、知らない街の野宿は何があるかわからない。
アメリカの同時多発テロ事件が起きて、まだ三週間足らずしか経っていなかった。
無理やり、すずを旅の道連れにしたのだ。
後でスタッフに聞いたが、『夫婦シャッフル』ではごんざえもんのキャラクターより、すずのキャラクターがお茶の間でウケていたらしい。
『夫婦シャッフル』は中年夫婦や、主婦層にウケていた。
ダメな芸人を支える健気で美人で若い妻。
酒と煙草を嗜み、天真爛漫で裏表がなかった。
元売れないアイドルという過去は封印されていた。
あくまでも旦那のために過酷な旅に同行する素人(妻)というキャラクターだった。
もちろんもうアイドルは引退して久しいのだが。
ごんざえもんがうとうとし始めた午前四時過ぎ。
まだ真っ暗闇だった。
ごそごそ何やら聞こえてきた。
声も聞こえる。
誰か近くにやってきた。
ごんざえもんは目が覚めた。
すずに何かあったら、オレの責任である。
企画出演を引き受けた時、ごんざえもんはすずは一般人なのだから、ホテルに泊めて欲しいと嫌いなディレクター馬鹿野に交渉した。
「無理に決まってるだろ」
嫌いなディレクター馬鹿野は嘲り、笑った。
結局、ごんざえもんがすずのボディガードをするしかなかった。
眠いし、気を使うし、ごんざえもんは疲れきっていた。
そこへ暗闇から何者かがやってきたのだ。
ごんざえもんは目を凝らしたが真っ暗で何も見えなかった。
声や物音は聞こえるが、近づいてくる気配はなかった。
「@‡※§◑♯…」
言葉が聞き取れなかった。
日本人か?
おばさん?
夜明けを待つしかない。
すると声は複数になってきた。
「§※‡@&♪…」
「@&☆§※◎」
「@&§‡※…」
一体どうなってるんだ?
ごんざえもんは起き上がろうとしたが、疲れ果て、起きることが出来なかった。
そして、ようやく夜明けがきて明るくなった頃。
「ここさで何やってるだべか?」
爺様の声だった。
ごんざえもんは寝袋のチャックを降ろしてようやく起き上がった。
肌寒い秋の朝だった。
見ると何か棒を持った老人老婆が10人くらいいた。
「ここで野宿はいかん!出て行け!」
と追い出されるのかと思った。
俺たち夫婦はよそ者で、季節外れの野宿旅。
地元の人たちが警戒するのは無理もない。
すずは寝袋で眠ったままだ。
この番組のルールで、一般人にテレビの企画ですと言ってはいけないと強く言われていた。
やがてテレビ放送が始まるとパニックになるからだろう。
日本人はテレビが大好きだった。
「あの、夫婦で旅をしてまして」
ごんざえもんは答えた。
「旅ったって、もう寒いべな。野宿なんかして風邪ひくべえ」
爺様は言った。
「はい、そうなんですが。でも野宿で旅するって夫婦で決めてまして」
爺様は仲間たちのところに戻って説明していた。
「これ、よかったら。腹減ってるんだべ?」
爺様はみかんを手渡してきた。
差し入れ受け取り禁止だったが、朝早いからスタッフもいないし内緒ですずに食べさせようと思った。
ごんざえもんは寝てないから、何か食わないと倒れてしまう。
番組スタッフは、倒れるのもネタとして扱うのだろうけど。
まだ旅は始まったばかり、倒れる訳にはいかない。
ごんざえもんはみかんを受け取った。
他のお爺さんお婆さんが缶コーヒーやおにぎり、リンゴも持ってきてくれた。
みんな早朝ゲートボールの仲間だった。
品のいいお婆さんが申し訳なさそうにやってきて紙包みを渡そうとした。
二千円入っていた。
「ありがとうございます。でもお金は大丈夫です。お気持ちだけいただきます」
お婆さんは恥ずかしそうにお金を戻しゲートボール仲間の方に戻っていった。
迷って、可哀想な僕らにお金を渡そうとしてくださったのだった。
心の中で、祈りたい気持ちだった。
優しい気持ちに。
それと同時に乞食の夫婦だと思われているとも感じた。
ごんざえもんはウクレレを持っていたから。
青森は津軽。
瞽女さん。
津軽三味線で門付けする芸人と被ったのかもしれない。
それとさすがに金が増えていたらマズいとも思った。
番組スタッフはごんざえもん夫婦の財布もカバンも毎日チェックしていた。
爺様たちもごんざえもんを気に入ったのかゲートボールに誘ってくれた。
ごんざえもんは寝たかったが、食べ物をもらって、断ることは出来ない。
青森の公園で老人たちと徹夜でゲートボールをしている。
「オレは何をやってるのだろうか」
ごんざえもんはふわふわ浮いていた。
すずは
まだ寝袋の中で眠り続けていた。
ゲートボール仲間たちが引き上げた後、ごんざえもんは眠れずウクレレを弾いていた。
ライブ用の新ネタや曲も作らなければいけなかった。
「今日中にライブ会場を探さなきゃ」
土曜と日曜に二回ライブ。
もう今日は火曜日だ。
ごんざえもんはもらったみかんを食べた。
〈続く〉