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『ワイキキごんざえもんの憂鬱』⑦ ウクレレえいじ
第十八章「ちょっとそこまで」
2001年9月末日。
午前五時過ぎ。
目隠し、ヘッドフォン(ウォークマン装着)姿でごんざえもんと妻すずはどこに連れて行かれるのかわからないまま阿佐ヶ谷の安アパートを出た。
ごんざえもん、すずの他に
遅刻してきたADやらが数人ロケ車に乗せられたようだ。
目隠しにウォークマン姿だからごんざえもんの想像である。
ごんざえもんは、勝手に「夫婦シャッフル」のサラリーマン夫婦正良と優子の披露宴だと思っていた。
「ちょっとそこまで」
多分、都内にあるテレビ局のスタジオか、結婚式場だと思っていた。
しかし。
中々着かない。
数時間後、ようやく車から降ろされたが、まだどこかへ行くようだった。
ごんざえもんがスタッフから手渡されたウォークマンは、往復90分聴けるカセットテープだった。
しかし、A面は目いっぱい曲が入っていたが、B面は何故か二曲しか入ってなかった。
だからB面のその無音状態の時に外の音が聞けたのだった。
その時だった。
「羽田空港発青森行きの便は間もなく搭乗手続き開始になります」
え?青森行き?
ごんざえもんは心の中で思った。
「トイレ大丈夫?」
その時、目隠しを一瞬乱暴に外された。
「夫婦シャッフル」の時のタメ口で喋ってくる、生意気なディレクター馬鹿野《ばかの》だった。
馬鹿野は
いつも番組や会社の愚痴を言う『one-piece』好きの20代後半の年下の男だった。
「こいつもくるのか…」
ごんざえもんはイヤな予感がした。
飛行機の中に座らされた。
ディレクター馬鹿野が客室乗務員に注意されていた。
「お客様、失礼いたします。お連れ様のアイマスクを外していただけますでしょうか?」
「え?なんで?」
馬鹿野は客室乗務員の女性にもタメ口で横柄な態度だった。
「無理ですね。こっちも仕事なんですよねえ」
生意気だった。
この『全力ボーイ』は全国区の人気番組だが、関わった一般の人々からはクレームが殺到していると噂を聞いていた。
現地入りしたスタッフが、地元住民に対して横柄な態度をとるという噂だった。
視聴率至上主義。
テレビスタッフ側は天狗になり、勘違いしてるのだった。
数人を除いて基本的に現場スタッフは常にイライラしていた。
そして、下っ端の現場スタッフ(ADたち)はゴミのように扱われて、フラストレーションが溜まっていた。
プロデューサーやディレクターではなく、現地の一般人や弱い事務所やフリーの芸人に強く当たるのだ。
純粋で優しい弱い人たちに。
このディレクター馬鹿野は中でも最悪の部類だった。
頭と性格が悪いくせに、自分の才能が凄いと言い切る自分至上主義者だった。
ごんざえもんはこのディレクター馬鹿野に会うと嘔吐しそうになる。
世界で一番嫌いな人間だった。
「こんな御時世ですので。出来ればご協力よろしくお願いいたします」
客室乗務員は呆れ果てていた。
実はこのごんざえもんとすずが番組に拉致される二週間前に、「9.11アメリカ同時多発テロ事件」が起こったばかりだった。
『全力ボーイ』は国民的バラエティ番組のようだったが、実は国際感覚のない三流番組だった。
出演しているごんざえもんも所詮は同じ穴の狢《ムジナ》だった。
この勘違いした狂気の三流番組にどっぷり参加している売れない芸人なのだから。
ごんざえもんは憂鬱になった。
もっと謙虚になれよバカヤロー。
このクソディレクターは隣の席で、ケチャップのついたハンバーガーやコーラを飲んでるようだった。
匂いでわかる。
ごんざえもんとすずは朝から飲まず食わずだった。
青森空港に着いた。
ごんざえもんとすずはまだ目隠しやウォークマンを付けたままだった。
青森空港からまた車に乗せられた。
三時間以上か。
ガタガタ道を車は行く。
ごんざえもんは何もない荒野を走ってるように思えた。
「降りてください」
ブワーッ。
ゴォー。
凄い風だった。
一体ここはどこなんだ?
「目隠しを取ってください」
二人が目隠しを取ると番組名物のZ専務と秘書のキャンディが髪を強風になびかせ風の中に立っていた。
「よ!」
Z専務が言った。
「こんにちは…」
ごんざえもんは挨拶を返したが訳がわからなかった。
サラリーマン夫婦正良と優子は見当たらない。
ここはどこなんだ?
何が始まるんだ?
「ここ、どこかわかる?」
Z専務が言った。
「いやあ、わからないです」
ごんざえもんは答えた。
「龍飛崎(たっぴざき)だよ」
「龍飛崎?」
強風というか、暴風というか。
みんな立ってるのもやっとだった。
それでもZ専務はニヤニヤしていた。
ごんざえもんは何故かZ専務が嫌いじゃなかった。
顔の系統が似ているような気がして、いつも親近感が湧いた。
芸人たちはみんなZ専務の過酷な企画の指令にビビって、肉体的、精神的に病気になったりしていた。
この番組に参加したごんざえもんの仲間も何人か病気になっていたし、芸人を辞めていた。
それくらい過酷だった。
だけど、ごんざえもんはもっと上をいく変態だったのかもしれない。
常識がないというか、餓鬼のように必死だった。
Z専務の指令はこうだった。
「夫婦シャッフル」の最終回で、すずの出した答えは、「ごんざえもんが1年間芸人をやって売れなかったら離婚する」だった。
『全力ボーイ』の会議でその話題になり「1年間は長い。3か月で別れてもらおう」とZ専務の鶴の一声で急遽新企画が決まったという。
企画していた「夫婦シャッフル2」はその時なくなった。
新企画とは。
「ウクレレ夫婦貧困旅行記」
だった。
第十九章「ウクレレ夫婦貧困旅行記」
強風吹きすさぶ龍飛崎に四人は立っていた。
ごんざえもん、妻すず、Z専務、秘書のキャンディ。
Z専務が叫ぶように言った。
「元気ぃ?」
叫ばないと聞こえないほど風は強かった。
みんな足を踏ん張っていた。
あの嫌いなディレクター馬鹿野がカメラを回していた。
「はい!元気ですぅ~!」
ごんざえもんも叫んだ。
Z専務は続ける。
「すずさん、確か番組の最終回で一年間でごんざえもんが売れなかったら離婚するって言ってましたよね~?」
「はい、言いましたあ~!」
すずが叫びながら答えた。
確かに『夫婦シャッフル』最終回で妻すずは言った。
しかし、ごんざえもんは番組内だけの話だろうと思っていた。
しかし、すずは本気だった。
Z専務が続ける。
「一年間は長いから三ヶ月にしませんか?三ヶ月間で結論を出してもらいましょう」
Z専務が提案した企画はこうだった。
三ヶ月間、この龍飛崎のある青森から日本海側を夫婦で旅して、山口県まで毎週ライブをやる。
そのライブ総動員数が一万人集まらなかったら離婚するという提案だった。
もちろん旅すると言っても『全力ボーイ』だ。
飲まず食わずの過酷な冬の野宿旅に決まっている。
それに三ヶ月間で観客動員数一万人。
毎週ライブをしても月4回として、合計12回。
ライブ1回平均約900人は呼ばなくてはいけない。
先日逗子マリーナの駐車場でやったワイキキごんざえもん単独ライブは3日間で観客動員数計15人だった。
離婚確定である。
でもごんざえもんは覚悟の上だった。
ごんざえもんは妻すずの気持ちや結婚のことを深く考えていなかった。
どっちみち売れないと二人に未来はないとだけは漠然と思っていた。
演劇、お笑い、音楽、アイドル番組…。
今までいろいろやってきた、ごんざえもんにとって売れるということは全国区のテレビ番組に出るということだけだった。
落語家や力のあるお笑い芸人たちには到底敵わないとごんざえもんは思っていた。
自分の笑いはマニアックだし、ごんざえもんはもう33歳なのだった。
Z専務が最後に言った。
「新企画『ウクレレ夫婦貧困旅行記』やりますか?」
「やります」
ごんざえもんは即答した。
やる気満々だった。
「夫婦シャッフル」ですでにテレビに魂を売っていた。
やるしかない。
テレビに出続けるしかないのだ。
番組の内容なんてどうでもよかった。
もちろん離婚はしたくない。
離婚したくないからテレビに出るのだ。
すずには申し訳ないがチャンスだった。
ごんざえもんは終わった後のことを考えていた。
テレビで知名度さえ上がればオレもなんとかやっていける。
すずを幸せに出来る。
根拠のない自信がいつもあった。
そして、すずも「夫婦シャッフル」が終わった後、ごんざえもんにうれしそうに話していた。
「バイトも出来て、ギャラも貰えて、酒、煙草、飯食べ放題。天国だったよ」
Z専務が今度はすずに聞いた。
「すずさん、この新企画やりますか?」
妻すずは即座に答えた。
「やりません」
え?
一瞬風が止まったようにごんざえもんは感じた。
Z専務の笑顔が消えた。
「一回(カメラを)止めます!」
ディレクター馬鹿野が叫んだ。
そして、風の中、ごんざえもんを呼びつけた。
「おい!何寝言言ってんだよ!わかってんのか?この企画のために物凄い金がもう動いてんだよ!奧さん説得しろよ!それにおまえチャンスなんだぞ!」
悔しいがここは嫌いなディレクター馬鹿野と意見が一致した。
馬鹿野がカメラを再び回した。
「二人でじっくり考えてください」
Z専務が言った。
ごんざえもんはすずを連れ出した。
「すず、頼む。チャンスなんだよ」
「イヤだよ。あんた一人でやりなよ。あたし新しいバイト決めて月曜から仕事始めるんだよ!」
すずは「夫婦シャッフル」の反響で居辛くなり、前のバイトを辞めていた。
10月から新しいバイト先でようやく新スタートを切る気持ちでいたのだ。
「だけどさ…」
「聞いてみなよ。一人でやるのではダメですか?って」
板挟みのごんざえもんはディレクター馬鹿野に聞いた。
馬鹿野が叫んだ。
「駄目だよ!夫婦二人で旅する企画って会議で決まってんだよ!」
「しかし、すずは飲まず食わずとか絶対イヤみたいなんです」
ごんざえもんはすずのマネージャーみたいだった。
馬鹿野は言った。
「ちっ。しょうがねえなあ。わかったよ。すずさんは一般人だからこっそり飯食わせるから。食ってるとこカメラには写さないから。酒と煙草も大目に見るから。それでいいだろ?」
ごんざえもんはまたすずを説得した。
すずは愚図っていたが、ようやく頷いた。
すずはごんざえもんより、テレビに警戒心を持ってるようだった。
離婚のこともごんざえもんより深刻に考えていたのかもしれない。
よく考えたら、すずが一番常識人だった。
しかし、すずは売れない芸人の女房なのだった。
こうして『ウクレレ夫婦貧困旅行記』に夫婦で参加することになった。
ごんざえもんはアンプとウクレレと地図と二人分の寝袋を渡され大荷物を抱え、まるで冬支度のホームレスのようだった。
妻すずは手ぶら。
すずは若く美しく、ごんざえもんはひ弱な強力(ごうりき)のようだった。
ごんざえもんは東京で幾つか仕事が決まっていたので、代演の芸人を頼まなくてはいけなかった。
妻すずもせっかく決まった新しいアルバイト先に連絡しなくてはいけない。
一度、東京に戻れると思っていたが、甘かった。
「戻れる訳ねーだろ!バカ」
ディレクター馬鹿野は吐き捨てた。
いきなり『ウクレレ夫婦貧困旅行記』は始まったのだった。
第二十章「初めての野宿」
龍飛崎から三厩(みんまや)駅までバスに乗って移動。
所持金は二人合わせ二千円弱だった。
普通、この番組では財布没収がお決まりであったが、妻すずは約束(酒、煙草、飯を食わせる)が違ったらいつでも辞めてやると番組側に強く宣言していた。
ごんざえもんは「夫婦シャッフル」の優子を思い出した。
優子も「私やる気ないですから」と言ったのを最後までなんとか出てもらえたのは、半分はごんざえもんの必死の努力だった。
ごんざえもんはいつでも半分芸人半分マネージャーだった。
しかも今回は半分自分の奥さんのマネージャーだった。
三厩駅の自転車置き場で野宿することになった。
ごんざえもんはADに携帯電話を借りた。
ディレクターやADほかスタッフ陣はホテルに泊まるのだった。
ごんざえもんは携帯電話でウクレレの教え子で日頃お世話になっている知り合いの落語家、桜家彦きちに連絡した。
全ての仕事の代演をお願いした。
「え?五つもですか?!」
よくわからないBSのクイズ番組の出演とかもお願いした。
桜家彦きちはごんざえもんより年下の二つ目の落語家で29歳。
新作落語、古典落語、フリートークもやる叩き上げの実力派の落語家だった。
ごんざえもんが下北沢で見た彦きち独演会は一人でフリートークを二時間半喋り続けていた。
妻すずも新しいバイト先に電話していた。
「あの~、主人が仕事で急に青森に転勤になりまして…」
青森に転勤って…。
妻すずも少し笑っていた。
青森の三厩駅で今から野宿するのだ。
苦労かけるなあ、
とごんざえもんは思った。
スタッフが初日だから特別と言って、菓子パンとおにぎりをくれた。
2001年9月末日夜8時。
青森の北の田舎町の小さな駅舎の自転車置き場。
真っ暗で東北の秋の夜はもう肌寒かった。
スタッフが帰ると物寂しく、そして怖かった。
知らない町の夜に生まれて初めての野宿。
すずに何かあったら大変だ。
ごんざえもんはその時初めて自分がすずに野宿旅を強要したことを悔いた。
暴漢に襲われたらすずを守ることが出来るのか?
「怖くて眠れないよう」
すずが寝袋の中で叫んだ。
「わかった、オレ起きてるから」
ごんざえもんはいろいろありすぎてどちみち眠れなかった。
安心したのかすぐにすずは寝袋の中でぐうぐう眠りだした。
ごんざえもんは満天の星空を見ていた。
お。
野良猫がやってきた。
ごんざえもんは、阿佐ヶ谷のアパートの半同棲の猫マツヤマとブクチンを思った。
近所の知り合いの虫喰い芸人バーゴン三郎に鍵を預けて、餌やりを頼んだ。
心配なのはバーゴン三郎は自らもキャットフードを食べる男だった。
三厩駅の野良猫をさわろうとしたら。
え?
デッカいドブネズミを口に咥えていた。
前を向いて青森の野良猫はごんざえもんに目もくれず堂々と横切っていった。
あんな風に強く生きれたらなあ、ごんざえもんはまた憂鬱になった。
妻すずの豪快なイビキを聞きながら眠れない長い夜を過ごすのであった。
〈続く〉