見出し画像

『ワイキキごんざえもんの憂鬱』⑨ ウクレレえいじ

第二十三章「会場探し」

昼過ぎまですずは寝ていた。
すずは不機嫌な顔つきでみかんを食べながら煙草を吸っている。
寝起きは最悪の女だった。

すずと出逢ったばかりの頃。
何度もデートを寝坊ですっぽかされた。
そしてすずは一度も謝らなかった。 
謝るという概念を持たない女だった。
父鴈治郎は大金持ちだったから、すずにはお嬢様の血が流れているのだ。

しかし。
やるときにやる女だった。

同棲初期。
極貧だけど熱々青春の誤解時代。
ある年のごんざえもんの誕生日。

「明日誕生日でしょ。何食べたい?」

すずは言った。

「寿司食べたいなあ。茹でた海老の寿司」

すずはニヤニヤした。

寿司なんて食べれっこなかった。

当時、二人は品川の西小山の安アパート
に同棲していた。
すずが転がり込んできたのだ。
家賃2万5千円。
四畳半、風呂無し、陽当たりゼロ。
ごんざえもんは常に家賃を三カ月滞納していた。

ごんざえもんが日払いのアルバイトから家に帰ると。

部屋の木の横引きの扉の前に暖簾がかかっていた。

「ん?なんだ?」

部屋に入ると、着物姿のすずがいた。

「へい、いらっしゃい!何握りやしょう?」

照れくさそうだが満面に笑みをたたえたすずが言った。

部屋の壁にネタが書いてある紙がたくさん貼ってあった。

エビ、イカ、タコ…。

安いネタばかりだが、ごんざえもんの好物ばかりだった。
酢飯も作ってあった。

永谷園のすし太郎の袋がゴミ箱に捨ててあった。

ごんざえもんはその夜、すずを抱いた。

しかし、今日のこの青森の野宿先のすずは別人だった。
くわえ煙草のすずが言った。

「ああ、酒飲みてえなあ」

ごんざえもんは、いつすずが「辞める!」っていうかハラハラしていた。

自分がテレビで芸人としてどう思われるとか企画内容とかはもう、二の次、三の次だった。

それが、今の芸人としてのごんざえもんのリアルだった。

ようやく午後昼過ぎになって、AD近田が公園にやって来た。
寝ぐせがついていた。
後で聞いたが、この『全力ボーイ』の制作会社は、テレビ業界に典型的なブラック企業で、ADは東京では毎日一時間くらいしか眠れないのだった。

ディレクターがスタジオで編集してる時もADは廊下で24時間待機。

テレビ局はそれが普通らしかった。

あの嫌いなディレクター馬鹿野もそれをやってきたから、後輩ADや売れない芸人、一般人等の弱い人間に対して生意気な態度をとるのだった。

昨夜のAD近田は朝まで編集ではなく、地方へ来て、車両の青沼運転手とキャバクラで飲み明かしていたらしい。

青沼は少しいい加減だが明るい人で、ごんざえもんやすずに優しく、全部話してくれた。

AD近田は鬼の居ぬ間に地方の酒場でストレス解消していたのだった。

この企画も以降、現場のADは三、四人くらいで入れ替わっていたが、どのADも基本的に毎日午後にやってきた。
東京の会議、つまりこの旅の企画の打ち合わせが終わってから、行動していたのかもしれない。

Z専務の鶴の一声で急遽決まった企画だから、企画の方針を毎日会議してるらしかった。

近田と青沼は地方ロケで羽を伸ばしていたのだ。

車輌の青沼は40代くらいだが、ADたちはみんな20代で若かった。

すずも20代。

ごんざえもんだけ30代、浮いていた。

優しい青沼がいてくれてよかった。

「今日は会場探しですかね?」

AD近田が言った。

三人、寝床の公園から出掛けるといきなり雨が降ってきた。

「とりあえず、市役所とか行ってみますか?」

近田が言った。

ごんざえもんに行く当ては無い。
とにかく、金がないのでただで貸してもらわなければいけない。
しかも今週の土日、そしてなるべく大きい会場だ。

市役所の担当者は若い男性でやさしく迎えてくれたが、どこも金がかかるし、スケジュールが急過ぎると言った。

当たり前だ。
火曜日に会場を借りて、その週末にライブをやるバカはいない。
例え借りられたとしても、客が来ないだろう。

宣伝も水曜木曜金曜の3日しかない。

ローリングストーンズでも難しいんじゃないか。

やるわけないか。

「学祭はどうですか?」

なんと市役所の担当者が青森じゅうの大学に電話してくれた。

この職員はこの旅企画の前の「夫婦シャッフル」を見てくれていたようだ。

「大変ですね~」

ビニールの雨合羽姿でびしょ濡れの夫婦を見て哀れに思ったのだろう、片っ端から一生懸命に電話してくれた。

三人はずっと待っていた。

やがて。

「ごんざえもんさん、一つ決まりそうですよ!今から実行委員会で話し合うそうなんですがほぼ大丈夫みたいです!一時間後に正式に返事しますと言ってました!」

「ありがとうございます!」

ごんざえもん、すず、近田三人は喜び握手を交わした。
幸先良いスタートだ。

しかし、10分後。どこかに電話していた近田が戻ってきてごんざえもんに言った。
顔は真剣だった。

「ごんさん、大学祭とか、そんな安易な考え方で決めていいんですか?」

「え?」

ごんざえもんはあいた口が塞がらなかった。

さっき一緒に喜んでいたのに何を言い出すのか。

「電話も市役所の人が全部して。ごんさん、何にも努力してないじゃないですか!」

確かにそうだがさっきお前も喜んでいただろうが。

後でわかったが、そう簡単にはライブ会場が借りられなくて、みたいなことを東京の番組スタッフは考えていたようだ。

それがいきなり一軒目でトントン拍子に決まって。

10月、11月は
学園祭のシーズンだし、学園祭がOKなら、大学は全国にあるから観客動員数一万人も意外と簡単に達成可能かもしれなかった。

この『全力ボーイ』は国民的バラエティ番組で、若い人たちも存在を知っていた。

「学園祭はダメだって?先に言ってくれよ!」

ごんざえもんと近田は揉めていた。

あの市役所の人に何と言って断るのか。
一時間くらいあちこち電話してくれて探してくれたのに…。

多分近田は学園祭が決まったことを東京のディレクター馬鹿野に報告したのだ。
そこで即座に反対された。
東京の番組スタッフたちは現地のことを何も考えていない。

ごんざえもんは市役所の担当者に謝った。

「そうですか。それは仕方ありませんね…」

市役所の担当者は残念そうだった。

ごんざえもんは深く頭を下げた。

すずもムッとして、近田とはそれ以降口をきかなくなった。

ごんざえもんとすずは雨の中やみくもに歩いた。

「どこへ行くんですか?」

近田がごんざえもんに聞いた。

「わかりません。とにかく歩いてライブハウスかなんか探しますよ」

ごんざえもんも少しキレていた。

近田は仕方がない。
ADに権限はないのだ。
近田もくやしいだろう。
ごんざえもんと同じ意見のはずだった。学園祭が決まった時、めちゃくちゃ喜んでいたのだから。

「ん?」

ごんざえもんはポスターを見つけた。

ジャズのライブのポスターだった。

ごんざえもんがレコードを持っているジャズミュージシャンだった。

「この人、凄いジャズピアニストなんですよ。ナベサダ(渡辺貞夫)と一緒にやってる人ですよ」

青森のジャズクラブか市民会館でやるのかとポスターの会場欄を見てみた。

「会場は佐藤リンゴ倉庫。え?リンゴ倉庫?」

場所は新青森駅徒歩5分とあった。

「行ってみましょう!」

リンゴ倉庫なら無料で貸してくれるかもしれない。
ごん、すず、近田は電車に乗り、新青森駅まで行って、佐藤リンゴ倉庫を探した。

「ここかな?」

家の表札に『佐藤』と書いてあった。

あのジャズコンサートのポスターも貼ってあった。

「ごんさん、僕は後ろから隠し撮りしますので。何聞かれても僕は居ないと思って無視して交渉してください」

ドキュメンタリーで撮影するのがこの番組のやり方だった。

もし、交渉して会場が借りられたとしても、会場側がテレビのオンエアNGならなかったことになり、振り出しに戻るのだ。

ごんざえもんが借りる交渉をする時、番組名も出してはいけないルールなのだ。

面倒くせえ番組だな。

ごんざえもんはまた憂鬱になった。

「すみませ~ん!」

ごんざえもんは呼び鈴を鳴らしても誰も来ないので叫んだ。

佐藤邸は大きな屋敷で広い敷地だった。

「はい。何ですか?」

50歳くらいのおじさんが玄関に現れた。
佐藤リンゴ園の社長だった。

「あの、突然スミマセン。わたくしワイキキごんざえもんという者なんですが。お宅のリンゴ倉庫を貸していただいてライブをやらせてもらえませんでしょうか?」

「ちょっと待って。あのカメラは何?」

佐藤社長は木に隠れて盗撮している近田にすぐ気がついた。

ごんざえもんは振り返ったが、無視しろと言われていたので強引に言った。

「え?誰も居ませんけど」

「いや、居るでしょ、ほら?」

あきらかに近田は盗撮していて怪しかった。

もうちょっと上手く撮影しろよ、バカだなあ。
とごんざえもんは思ったが押し通した。

「誰なんでしょうねえ?そんなことより、リンゴ倉庫お借り出来ないでしょうか?」

「いや、貸すのは別にいいんだけど。ワイキキさんだっけ?ミュージシャンなの?」

「いえ、芸人なんですが。一応、ウクレレ弾いて歌も歌います」

「ほお、ウクレレか。珍しいねえ。昔ここでフラダンスの発表会やったことあるよ。かみさんがフラやっててね。OK、いいよ」

「え?!本当ですか!ありがとうございます!」

第一関門突破。

次はスケジュールの交渉だ。

「で、ライブはいつやるの?」

「実は…、今週の土曜か日曜なんですが…」

「え?今週?今日火曜だよ。むちゃくちゃだな。空いてるから貸すのはいいけど、客集められるの?」

「頑張ります!よろしくお願いいたします!」

次は第二関門。
お金の相談だ。

「で、お借りする会場費というか、お金のご相談なんですが…」

「お金ないんでしょ?大丈夫、無料《ただ》でいいよ」

佐藤社長は笑って言った。

「その根性気に入ったよ。日曜は用事あって駄目なんで土曜日でいいかな?土曜なら僕も家にいるから。近所の人にも宣伝しとくよ」

「ありがとうございます!」

ごんざえもんは優しさに触れた。

「あの人は誰?」

すずのことだった。

「あの、僕の嫁です」

「嫁さんかあ。さあ奥さん、冷えるから家にお上がんなさい。お茶でも飲んで。ワイキキさんもカメラのきみもさあどうぞ」

「ありがとうございます!」

その後、近田が頭を下げながら佐藤社長にテレビ番組の撮影許可の交渉をした。

交渉は即OKだった。

「そう、テレビですか。あんまり僕はテレビ見ないんでね。失敬失敬。ほお、東京から。奥さんも大変だねえ」

佐藤社長はお茶と饅頭を出してくれた。

「このトラックの荷台をステージにして、客席にリンゴ箱並べて椅子にしたらどう?」

佐藤社長はエンタテインメントが本当に好きみたいだった。

ジャズミュージシャンの話もしたかったが時間がなかった。

まだこれから日曜日の会場も探さなければいけないのだ。

「これ持ってって」

佐藤社長は大きなリンゴを三個手渡した。

ごんざえもんとすずは頭を下げた。

「もっと渡してもいいんだけど。荷物になるでしょ?大変だけど頑張ってね。じゃあ土曜日に」

佐藤社長はずっと見送ってくれた。

ごんざえもんは感動していた。

「こんなどこの馬の骨かわからないよそ者に…。よし、頑張るぞ!」

ごんざえもんの心は晴れやかだった。


第二十四章「列車待合所」

ごんざえもん一行は新青森駅の佐藤社長のリンゴ倉庫から青森駅に戻った。

「ちょっと海の方に行きませんか?」

AD近田が言った。
この企画は日本海も裏テーマになっていた。

どうやら海沿いを歩く夫婦を撮影しろと、東京のスタッフから指令が出されたようだ。

青函連絡船があった。

「青函連絡船でライブ出来ないかな?」

「それに乗船したら北海道行っちゃいますよ!」

近田が言った。

「海の景色撮りたいんでしょ?」

「ええ、まあ…」

近田はニヤッと笑った。

ごんざえもんは、青函連絡船の事務局に行ってみた。
聞いてみないことには始まらない。

「青函連絡船でライブするのはダメなんですが。青函連絡船を待つ、列車待合所というのがありまして。そこなら勝手に使っていただいていいですよ。すぐそこですから」

「船なのに列車待合所なんですか?」

青函連絡船の事務所を出て見ると、港の方に二車両連結した時代遅れの古い電車がポツンとあった。

なるほど、使ってない古い列車を待合室にしているのだった。

日曜日はライブ会場としてはやや箱が小さいが、列車待合所でライブをやれることになった。

「よし!」

リンゴ倉庫、列車待合所二つライブ会場が決まった。

ごんざえもんもすずも近田も一安心した。

「や」

雨が降ってきた。

すっかり夜になり、雨に濡れ野宿先の公園に戻る。
一泊しただけなのに不思議と我が家のような安心感があった。

ごんざえもんはふらふらだった。

一日一膳。
ひとつのカップ麺を二人で分けて食べた。
リンゴは明日の朝飯だ。

「差し入れですけどリンゴは食べていいですから」

「食うに決まってんだろ!」

すずは近田にイライラをぶつけていた。

どうやら内緒で妻すずにだけ飯を食わせるという鬼畜ディレクター馬鹿野は約束を守っていないようだった。

近田は馬鹿野から約束を聞かされてないか、わがままなすずにキレているかだった。

近田はホテルに戻って行った。

ごんざえもんは今日こそ寝ようと思ったが、ライブのネタも作らなければならない。
青森の人が喜ぶご当地ネタを作ってくださいと近田から言われていた。

ごんざえもんは、もちろん集客もそうだが、笑いを取ってライブを成功させたかった。

ごんざえもんはウクレレ漫談はまだ始めたばかりで、単独ライブをやったことがないのだった。

テレビで初めて単独ライブを毎週やるのだ。

すずはチラシを書いていた。

すずは美術の才能があり、アイドル時代からチラシを作ったり、イラストを描いたりしていた。

夜になり、すずは眠った。

ごんざえもんも寝袋に入りうとうとしていた。
野外の青森の10月の夜は冷える。

二日目だから、すずも公園が我が家のように感じてすぐに眠りについた。

ごんざえもんも寝袋の中に入りすぐに眠りについた。

と、その時。

「※‡§&@?」

「えっ?!」

知らない若い男がごんざえもんの顔を覗き込んでいた。

誰なんだ?

凄い津軽弁だった。

彼はハーモニカを持っていた。

ごんざえもんのウクレレを指さしていた。

「え?ウクレレ?」

どうやら彼は同じ公園の違うベンチに座っていて、ごんざえもんのウクレレ練習を見ていたようだ。

この公園は夜9時を過ぎると暗くなり、このハーモニカ男が居ることが全くわからなかった。

声をかけようと思ったら、ごんざえもんが寝てしまったので男は慌ててやってきたらしい。

「セッション…。とんぼ…」

彼は津軽弁ではなく、言語障害だったのかもしれない。

真夜中、二人で長渕剛の『とんぼ』をハーモニカとウクレレでセッションした。

男は満足したらしく、頭を下げながら笑顔で去って行った。

「っていうか誰なんだよ」

ごんざえもんは、オレは一体何をしてるんだろうかと思った。

ごんざえもんは泥のように眠った。

朝一度目覚めたら缶コーヒーが二つ置いてあった。

多分とんぼの彼が置いていってくれたのだろう。

「とんぼくん、ありがとう」

ごんざえもんはまた、眠りについた。

〈続く〉

いいなと思ったら応援しよう!