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『ワイキキごんざえもんの憂鬱』① ウクレレえいじ

第一章「池の畔で」

「ファ~♪」

ウクレレの開放弦はC6。強い風が吹くと勝手に綺麗な音を奏でる。サウンドホールに耳を傾けると微かに聞こえるハーモニーが心地よい。

2001年4月東京。
ある晴れた午後。桜吹雪の下。ワイキキごんざえもんは舎人公園の池の畔に佇んでいた。

「はあ~」

ごんざえもんは大きな溜息をついた。鳥のさえずりが聞こえる。老人たちが池で静かに釣り糸を垂れていた。

ワイキキごんざえもんはジョン万次郎みたいな歴史上の人物ではない。本名ではない、芸名だ。ワイキキごんざえもんは2001年に生きる三流芸人、いや四流芸人だった。

本名は権堂英次(ごんどう えいじ)。苗字が「ごんどう」だからニックネームは「ごんざえもん」「ごん」「ごんさん」、なぜかたまに「高倉健」。子どもの頃からずっと不器用だった。

現在33歳。自称ウクレレ芸人。一応既婚者。今はバイトもせず、基本的に家でウクレレを弾いてるだけの陽気なニートで、妻のすずには醒めた目で見られ家庭内では会話は殆どなかった。
居たたまれなくなって、今日もウクレレ片手に公園に出てきたのであった。

ワイキキごんざえもんは一応ウクレレ漫談スタイル。マニアックなモノマネを連発するスタイルで、大衆に溶け込めない芸であまりウケないのだった。
古い映画の、古い俳優のモノマネで、しかもあまり似てないのだった。
例えばこういうネタだった。
''『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』より、海に頭から落ちる沢村いき雄、『温泉こんにゃく芸者』より、セックス対決二回戦に挑む小松方正、『東海道お化け道中』より、決闘を止めに入るも自分が斬られてしまう左卜全。,,
これを持ち時間全部使って連発するのだ。客席は暴動が起きそうになることもしばしばだった。

他にコミックソングも一応数曲あった。「愛ヨンヨン」「ルパン四世のテーマ」「ヨン・トワ・マミー」など。
数字の『5』と書いてあるティーシャツを着て歌っていた。
全くウケなかった。試しに全裸でやってみたが、やっぱりウケなかった。
ウケないどころかカップルの若いお客さんは憮然として帰っていった。

「二度と呼ばないからな」

ライブ主催者にこっぴどく説教を食らった。でもごんざえもんは平気だった。

「俺の笑いがそう簡単にわかってたまるか」

根拠のない自信がごんざえもんにはあった。

ワイキキごんざえもんはウクレレ漫談を始めてまだ一年足らずだった。

元々は舞台役者上がりで、コメディアン志望だった。
30名からなる巨大コントグループ『五寸釘の寅吉と未完成肛門楽団』では作・演出も担当し評判がよかったが放送禁止ネタが多かった。
メンバーはごんざえもん以外全員90歳以上で千秋楽はいつもメンバーがあの世へ旅立ち少なくなっていた。
ごんざえもんは根っからの子分肌で、30歳を過ぎてからもずっとヒモ状態だった。
そして、すずと出逢った。

「売れなくては」

ごんざえもんはウクレレの演奏が奇跡的にうまかった。
知り合いのジャズマンとよくセッションをしていた。
その仲間を集めて7人組のお笑いコントグループを作った。

「21世紀のクレイジーキャッツを目指そう」

いつも目標だけは大きかった。
グループ名はパンチのある名前にしようと「バイアグラ・テポドンズ」にした。

テレビのオーディションを片っ端から受けた。ごんざえもんは怖いもの知らずの世間知らずだった。こんなネタだ。

『バイアグラ・テポドンズの爆笑コント 近所迷惑』

ごんざえもんが半裸でTバック姿で部屋にひとり座っている。

ごんざえもん「ああ、今日は日曜日か。ゆっくり昼寝するぞ」

そこへ半裸のTバック姿のトランペット奏者が6人やってきて。

Tバック姿のメンバー全員がトランペットで、日野皓正みたいにほっぺたをカエルの如く膨らまして、Tバック姿で昼寝をするごんざえもんの耳元に、思いっ切りフリージャズをお見舞いした。

「♪プワアアア~」

「パパラパパラ~♪」

「ガガガガドバババ♪」

「うるさいよ!」

ごんざえもんのツッコミではなく、ネタを見ていたディレクターが叫んだ。

「それになんで全員Tバックなんだよ!意味わかんねーよ!」

ディレクターはこのネタを見て、両耳の鼓膜が破れたそうだ。因みにこのディレクターはスーツ姿だったが、中は亀甲縛りしていたらしい。

怒鳴られ強制終了。もちろん不合格。所属事務所のマネージャーにも折檻された。

後で気づいた。植木等も谷啓もハナ肇も居ないことに。
ごんざえもん以外は全員眼鏡を取った石橋エータローみたいな顔だった。
あえなくグループは解散。

そのままごんざえもんは仕方なく、趣味のウクレレを持ち出し、成り行きでピン芸人になったのだった。


第二章「北千住のチャップリン」

「ごんさん!ごめんごめん。いやあ昨日、パチスロ雑誌の原稿書いててさあ、徹夜しちゃって一睡もしてなくてさあ、もう大変だったんだよ。気がついたらお天道さんが上がっててさあ。参ったよ。はい、コーヒー」

巨人帽を被った男がやってきた。
芸人仲間のカズちゃんだ。
おもいっきり寝癖がついていた。
時間の概念は皆無で、いつも寝坊で遅刻してくる。

ドストエフスキー小松(本名小松和夫)。通称:北千住のチャップリン。芸人。元落語家。独身。33歳。
得意技はまゆ毛七変化。

カズちゃんはごんざえもんと一緒で売れない芸人である。基本的にギャラ飲みで生計を立てている。

ギャラ飲みというのは、飲み屋で金持ちの社長にヨイショして、一緒に飲み食いして盛り上げる仕事である。現代のリアル太鼓持ちみたいな職業。もちろん飲食代は社長のおごりで小遣いを貰うのである。
カズちゃんはギャラ飲みのプロフェッショナルだった。

社長がお気に入りの女性を連れてきたら、カズちゃんは全力で女性も褒めちぎる。もちろん社長はもっと褒める。例えばこんな感じで。

「あれ?社長、今日は芸能人の方と一緒なんですね?あの、失礼ですが、米倉涼子さんですよねえ?え?違う?普通のOLさん?本当ですか?米倉涼子さん本人じゃないんですか?それは失礼いたしました!あんまり似てたんでご本人かと。あらら?いや失礼、僕の股間が勝手に。僕の戦艦ポチョムキンがムクムクと…。鎮まりたまえ、鎮まりたまえ!アハハ、いやあ失礼いたしました!社長!ニクいですねえ!よっ!色男!まわりの客がこっちのテーブル見て騒然としてますよ。『あれ、キムタクと米倉涼子じゃない?』ってね!社長もキムタクそっくりでござんすからねえ!アイヤ~!」

社長は満更でもない顔でニコニコしている。女性も笑っている。カズちゃんはたたみかけ、話し続ける。他にもお座敷が掛かっていた。時は金なり。長居は無用だからだ。

「いやあ、気が利かないで失礼いたしました!ボクなんかお邪魔虫でございますよねえ。ジャン・ポール・ベルモンド、いや、アラン、ドロンさせていただきます!お暇《いとま》させていただきます!」

そしてカズちゃんはフィニッシュに向かう。得意技まゆ毛七変化だ。
カズちゃんはまゆ毛全剃りに付けまゆ毛をしているのだが、つけまの位置をお願いモード(下げまゆ毛)に変えた。

「全集中トッパライの呼吸』モードだ。

「それで社長、実はわたくしの住んでる竪穴式の崩壊寸前の昭和時代のアパートメントの家賃がビルゲイツの貯金くらい滞っておりまして。にっちもルイアームストロング、いや、にっちもサッチモいかなくてですね。今日も身体に爆裂弾をぐるぐる巻きにして渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で自爆死しようかと思ってたところでして。いやあ社長に呼び出していただいて思い直し、無一文のまま、家を飛び出し、六本木のこのお店まで徒歩でやってきた次第でして。いや、しかし不思議でございますね、社長に会いたいが一心で競歩並みの速さで歩き続け、首都高を歩いてたのですが、このドストエフスキー小松、気がついたらベンツやBMWを追い抜いてました。200キロくらいで歩いてたんですね。いやあ愛の力って凄いですねえ。次のオリンピック考えてますよ。あのベトナム人になってオリンピックに出た芸人の猫たかしみたいに。いやあ、社長は命の恩人、そしてオリンピアへの導きありがとうございます!」

カズちゃんは地ベタに土下座した。
社長は笑いながら懐から財布を取り出し、一万円札を三枚抜き取った。

隣の女が社長に耳打ちした。

社長は頷き、また財布から二枚取り出した。
カズちゃんは合計五万円をせしめたのだった。

そして次の社長の待つ夜の街に消えるのだった。

カズちゃんは昔、『トッパライ産業』というお笑いコンビを組んでいた。ちょこちょこテレビのネタ番組に出演したりしていた。カズちゃんは元落語家で喋りも達者だったが、しくじりも多かった。
今はまゆ毛七変化「人間福笑い」押しのピン芸人ドストエフスキー小松として活動していた。

「2歳以下の子どもとか70歳以上の年寄りは笑うんだよね。若い女とか日本を動かしてる層に全然ウケないんだよな。アイツらが一番金持ってるんだから堪んねえよ。だから仕事なんてブラック企業の社長のギャラ飲みしかねえんだよ」

トッパライ産業の相方だった谷やんもごんざえもんと知り合いだった。昔は一緒にネタを作ったりしていた。コンビ解散後はパニック谷本という芸名でヨウム漫談をしていた。

ヨウムというのは人間の3歳児くらいの知能を持つと言われる、訓練すると喋れる鳥である。オウムよりひとまわり大きい。

パニック谷本は190センチ120キロの堂々とした体格で、両肩に4匹(左右2匹ずつ)ヨウムを乗せてユルいドリフネタをやるのだった。

ヨウムの名前はいかりや、加藤、志村、荒井だった。

「ダメだこりゃ」「ちょっとだけョ」「アイーン」「なんだバカヤロー」「♪ババンババンバンバン~」

ヨウムは可愛くて、喋るだけでお客さんにウケるのだった。

しかし。
天井の高い会場や野外会場は天敵(鷲とか鷹)を警戒して野生に戻り、ピーピー鳴くだけで全く喋らなかった。オマケにヨウムには反抗期があり、その時期は2、3年喋らなくなるのだった。

しかし、谷本は普通半年から一年かけないと喋らないヨウムを三ヶ月で喋れるようにするのでペットショップから依頼を受けるようになり、今はヨウムのトップブリーダーとして生活していた。

ヨウムを異常に可愛がるパニック谷本に妻子は恐れをなして実家に帰ってしまった。

離婚を聞いて心配になったごんざえもんは谷本のアパートを訪ねた。

部屋は煙もうもうの中、数十羽のヨウムが放し飼いになっており、ヒッチコックの『鳥』状態になっていて戦慄した。パニック谷本は『地獄の黙示録』のカーツ大佐みたいに飛び交う鳥の中を、ソファーで何事もないように煙草を燻らせていた。

「おはよう、おはよう、おはよう…」

谷本が吹き込んだ抑揚のない声がラジカセから不気味に流れっぱなしになっていた。

この繰り返す声を聞いてヨウムは言葉を覚えるのだった。

おぞましい光景に怖気を振ったごんざえもんは、そうっとドアを閉め、そのまま帰っていったのだった。

それ以来暫く会ってなかったが、カズちゃんに最近の谷本の消息を聞いてみた。
今は2匹のグリーンアナコンダをネクタイみたいに首に巻いて捻って、中尾彬のものまねをして見世物小屋で活動しているという。

芸名はアナコンダ中尾。

みんな逞しく芸人として生きていた。

続く

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