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『ワイキキごんざえもんの憂鬱』⑤ ウクレレえいじ

第十二章「夫婦シャッフル」

「あたし、やる気ありませんから」

新企画『夫婦シャッフル』の撮影は拉致されたその夜、その部屋でいきなり始まった。

サラリーマン夫婦と芸人夫婦が各部屋で、結婚や夫婦について語るというのは嘘だった。

芸人の旦那ごんざえもんとサラリーマンの妻、サラリーマンの旦那と芸人の妻すずが各部屋で結婚や夫婦について語るという、夫婦を交換したスタイルだった。

元々は二組のサラリーマン夫婦同士でやる予定だったが、撮影前日に一組のサラリーマン夫婦がドタキャン、企画は頓挫した。

サラリーマンはつまり素人で、ドタキャンや途中で辞める企画も過去に多々あったという。

そりゃそうだろう、芸人は有名になる、売れるチャンスだが、素人は芸人に転職しない限りあまり意味がない。

「全力ボーイ」で、企画会議を重ね、もう一組素人夫婦を探すのは難しいという結論に至った。

しかし、二組とも芸人夫婦同士だと、シャッフルして夫婦について語り合っても新鮮味に欠けると思ったらしい。

そこで、サラリーマン夫婦と芸人夫婦をシャッフルさせる、お互いの違う人生観を語り合い、いいところ、悪いところを感じ合うということになったらしい。

サラリーマン夫婦は一組いるから、芸人夫婦を一組探すだけ。

それで、ワイキキごんざえもん夫婦に白羽の矢が立てられたのだ。

ごんざえもんは、「全力ボーイ」の前説の仕事でバイアグラテポドンズの時に一度行ったことがある。
ごんざえもんのキャラクターを名物プロデューサーは覚えていたのだった。

そして今、30歳を過ぎてウクレレ芸と夫婦について真剣に悩むワイキキごんざえもんに興味を持ったのだった。

しかし…。

ごんざえもんと擬似夫婦生活を送ることになったサラリーマンの妻優子はテレビが大嫌いだった。

普段から全くテレビを見ていないという。

優子は平凡なOLだった。

なんでこのテレビ企画に応募したのかとごんざえもんは聞いてみた。

「旦那がテレビ好きで勝手に応募したんです。そんなの決まる訳がないとほっといたら、忘れた頃にテレビの撮影の人たちがドカドカといきなり部屋に現れて…。断れなくなって、ここに連れてこられたんです。テレビって怖いですね。とても暴力的で断るどころか、言葉が出なくなりました…」

ワイキキごんざえもんは困ってしまった。

彼女がこの企画を降りると言ったら、ごんざえもんも終わりもだった。

部屋には無人のカメラが三台取り付けられ、ドラマのセットみたいだった。

ごんざえもんと優子の二人はここで一ヶ月間暮らす予定だった。

優子の旦那正良と、ごんざえもんの妻のすずはどうなっているのか全くわからなかった。

仕事は行っていいルール。

生活費はそれぞれの旦那の収入でやり繰りすることになっていた。

サラリーマンの旦那組は十万円、芸人の旦那組は三万円だった。

優子は二十三歳、美人だった。

お互いに
ピンマイクを付けられた。

優子は終始不機嫌だったが、ごんざえもんには何故かやさしく話した。

たまに別室からカメラモニターを覗いているらしい、若い女のAD糸柳から指示が出された。

彼女は典型的な寝てないADによくあるタイプで常にイライラしていた。

「優子さん、カメラの方に顔を向けてください」

「優子さん、声をもっと大きく出して話せますか?」

優子がトイレから戻ってくると。

「優子さん、マイクのスイッチ切ったままです。入れてください」

優子は、その都度黙った。

せっかく、ごんざえもんが優子をほぐしていい雰囲気にしていてもAD糸柳が空気をぶち壊すのだ。

ワイキキごんざえもんは憂鬱になった。

これは無理だな、と思った。

優子さんは途中で絶対に企画を降りると思った。

やっぱり甘くないのだ。

そして俺には運がないのだ。

ウディ・アレンが言っていた。

「売れるのに必要なものは1%の才能と、1%の努力。後は運だけだ」

優子はふて腐れたまま布団に入った。

ごんざえもんも布団に入った。

奥にも部屋があったが二人は
カメラのある部屋で布団を並べて寝た。

優子の寝息が聞こえてきた。

ごんざえもんは思った。

いったい俺は今、何をやっているのだろうかと。


第十三章「サラリーマンの旦那とすず」

ごんざえもんの妻すずが目隠しを取ると隣りに知らない男性が立っていた。

すずは人見知りが激しく、非社交的で、嫌いな人間とは一切喋らなかった。

ごんざえもんは、この企画を完全に諦めていた。

優子もそうだが、すずも絶対にこの企画を降りるだろう。

サラリーマンの優子の旦那正良がいくらテレビ崇拝者で、いい人だとしても厳しいだろう。

AD糸柳にも問題がある。

あきらかに優子への態度が悪い。

ごんざえもんは考えると憂鬱になった。

部屋にはテレビモニターが備え付けてあった。

たまにお互いの部屋の様子が映し出され、自分の旦那、或いは妻の様子を見させて心を揺さぶるテレビ側の演出だった。

撮影の一ヶ月間、この四人は、外で絶対会ってはいけないルールになっていた。

すずはどうしたことか、明るく番組に参加していた。

久しぶりのバラエティ番組で楽しもうと覚悟を決めたのか、元アイドルだけに根っからのタレントだからなのか。

しかし、すずは今回元アイドルとしてではなく、今現在の職業、喫茶店アルバイトの一般人『妻すずさん』という肩書きで企画に参加していた。

すずは売れないグラビアアイドルを引退してもう三年以上経っていた。

すずが元売れないアイドルだったことなんて日本中誰も知る者はいなかった。

この企画が決まった時もテレビスタッフは誰もすずが昔アイドルだったということを知らなかったのだ。

ちょっと可愛い奥さんだなと思われただけだった。

そして同様に、ワイキキごんざえもんなんてお笑い芸人の存在を、世間もテレビ業界も誰も知らなかった。

ごんざえもんを覚えていたのは「全力ボーイ」のプロデューサーだけだった。

業界の回転はそれくらい速いのだった。

すずとサラリーマンの正良は別々の部屋に布団を敷いて寝ていた。

それに引き換え、ごんざえもんと優子は仲良く本当の夫婦のように真横に布団を並べて寝ていた。

ごんざえもんはどうしようか迷った挙げ句、下心ではなく(カメラが回っているし、スタッフが二十四時間ずっと見張ってるから当たり前だが)、隣りにいないと、優子が今にも自分の本当の家に帰ってしまうと思われたからだった。

情にすがる訳ではないが、優子の近くにいた方がいいとごんざえもんは判断した。

布団を並べて寝間着で寝ているごんざえもんと優子が、すずの部屋のモニターに映し出された。

「何一緒に寝てんだよ!」

すずはブチ切れて、リビングに備え付けてあるテレビモニターに思いっきり十六文キックを喰らわせた。

すずとごんざえもんはプライベートでも別々に寝ていた。

すずは初日から飲んだくれ、煙草も吸いまくっていた。

なにせ番組側から支給された10万円分の生活費があるのだ。

荒れている本当の自分を全てテレビに曝け出していた。
すずは裏表のない感情的な女だった。

テレビ側はシメシメと思っていた。


第十四章「優子とえいじ」

かくして擬似夫婦生活『夫婦シャッフル』が始まった。
お笑い芸人ワイキキごんざえもんとサラリーマン正良の妻優子、サラリーマンの正良と芸人の妻すずが別々の部屋で生活するのだ。

もちろん肉体関係はない。それぞれの部屋にはカメラが三台備え付けてあり、何人かのADが交替で同じマンションの別の部屋からモニターを監視しているらしかった。

部屋にはADからの声が聞こえるシステムになっていた。

例えば、ごんざえもんが部屋でネタを作っていたら。

「ごんさん、あまりネタ作り頑張らないでください」

サラリーマン夫妻とすずが仕事に出掛けて、ごんざえもんは部屋で仕事せずにひとり寝転んでウクレレを弾いてる画が欲しいのだ。

テレビ側はクズ芸人という分かり易いキャラクターを作っていくのだ。

ごんざえもんは意外に真面目で努力家だった。
ネタも沢山作ってきたし、舞台の演出もたくさんしていた。

しかし、このテレビ企画では、努力家のお笑い芸人は要らなかった。

一見ドキュメンタリーのようで、実は作り物のドラマのようだった。

ヒモ的な芸人が欲しかったのだ。

ごんざえもんはずっと生コンのアルバイトをしていたのに。
芸人の勝負をかけるためにアルバイトを辞めたのに。それも何日も悩んで苦しんで
決断したことだった。
そんなごんざえもんの心の葛藤は一切放送されない。

テレビは若い美人妻すずに働かせて、家でごろごろするだけの寄生虫のようなクズ芸人を演出して、視聴者を煽るのだった。

「ごんさん、優子さんを企画から降りないように努力してください」

AD糸柳がとにかく指示してきた。
ごんざえもんも優子に企画を降板されたら、チャンスが無くなるから必死だった。

テレビに魂を売り渡したかのようにごんざえもんはテレビ側のいいなりになった。

いや、すでに魂を売り渡していた。

ごんざえもんは必死だった。

手作りのカレンダーを作ったり、そうめんを作ったり、すごろくを作ったりして、優子を喜ばせた。

優子は毎日毎晩、「私は最後までやる気ないですからね。」と言っていたし、AD糸柳と険悪なムードになっていた。

しかし、優子はごんざえもんにはなぜか優しかった。

笑うこともあったし、ビールを飲んで腕相撲したりすることもあった。

優子はごんざえもんに少しずつ情が湧いてきた。

優子はウクレレに興味を示してきたので、ごんざえもんはウクレレで「星に願いを」を弾いた。

優子はうっとり聴いていた。

その日優子は誕生日だった。

三日後の夜。
部屋の灯りを消して並んだ布団の中
ピンマイクを外して、優子がごんざえもんにそっと言った。

「ごんさん、起きてますか?」

「はい、起きてますよ」

ごんざえもんはドキドキした。
とうとうきたか。
明日、企画を降りますと言われると思った。ごんざえもんはいつもネガティブ思考だった。

「ごんさんにとってこの企画はチャンスなんですよね?」

「え?まあ、そうなりますかねえ…」

ごんざえもんは困った。

優子はキッパリと言った。

「あたし、この企画、最後までやります。おやすみなさい」

「…」

ごんざえもんは絶句した。

自分は自分が売れるためにこのサラリーマンの妻を世間に晒しているのだ。

すでにテレビ側の下僕になっているのだった。

そんな俺に優子は協力してくれると俺だけに宣言してくれたのだった。

次の日から、優子はまた明るくなった。
スタッフとはまだぎこちなかったが、AD糸柳もごんざえもんにこう言った。

「ごんさん、優子さん何かあったんですか?昨日のスタッフ会議でも出たんですが、『急に二人が本当の夫婦みたいになってる』って」

優子は、ごんざえもんが新しい仕事が決まったと伝えると本当に喜んでくれた。

クッキーを焼いてくれたり、ウクレレを磨く布を作ってくれたり。

新しい余興の仕事が決まりだしたのも、この企画がテレビで放送され始めたからだった。

テレビの力ではあるが、優子の力でもあった。

もちろん、サラリーマンの旦那正良やすずのおかげでもあるのだが。

テレビ好きのサラリーマン正良はテレビに出れて、満足らしいし、ごんざえもんの妻すずはごんざえもんに仕事が来たら直接メリットがあるし毎日酒を飲み煙草が吸えた。

優子だけは何もメリットがなかった。

だけどごんざえもんは優子に特別な感情を抱いていた。

もちろん精神的に。

「ありがとうございます」

優子はとびきり美味しいカツカレーを作ってくれた。

モニターで見ていた酔った妻すずはちょっとキレていた。

「イチャイチャしてんじゃねーよ!」

サラリーマン正良は手に負えないのか、毎日ブチ切れるすずに困惑して別の部屋に避難しているらしかった。

ごんざえもんは、いい加減だった。

結婚も同棲も同じだと思っていた。

〈続く〉

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