私になれない私
常に第三者の目で物事を見ることが染みついています。
それはおそらく職業柄もある気がします。
アスレティックトレーナーとして、選手を見て、選手とコーチの関係性を見て、選手と自分の関係性を見て。
自分の目線でその場にいると、感情的になるかもしれないことも、第三者の目線、相手の目線に立てることで、冷静に対応できる。
同時に組織(チーム)として、どういう状態であるか、もさらに上の目線から見ている。
その癖が思ったよりも強く身についていることを今回は強く感じた。
自分の中で起こっていることを第三者の立ち位置で見ている、感じている自分。
冷静に
まー、そう思ってたらそうなるよね
まー、そういう対応したらそうなるわ、、、
って想像してそこで次の判断を出す。
その判断だけは、自分の感覚としてオッケーであるかを確認している自分がいる。
見ているのは第三者
感じている事を分析しているのも第三者
でその第三者が、そんな感じらしいけどどう?
と問いかけて、そうだなそれはしっくりくるわ、
それはいけそうだな、、、
と、自分の体の声と一致したらオッケーが出る。
それがいいのか悪いのか。
もう少し探求してみよう。