結局は、答えは自分の中にあるのだと思う
大学の授業がオンラインになったことで、移動がなくなり自宅での充実した学びの時間が過ごせて、かなり上機嫌です、笑。
一気に来週末あるA-Yogaのアドバンスコース(徒手での介入)と、6月末にあるヨガジェネさんのヨガ動作学の講座の大きな改編に取り組むべく、色々なことを整理しています。(もっとわかりやすく、でも質を下げず)
学べば学ぶほど、見失うこともある。
知れば知るほど、わからなくなることもある。
やればやるほど、これは私のやりたかったことなのかとふと思うこともある。
終わりなきこの学びはどこに行くのか、、、と考える。
動作教育としてA-Yogaを進めてきて、毎年自分に問いかける。
「これをどこにもっていきたいのか、、、」
「これは誰のためになっているのか」
「もっと誰かのためになるには、何が必要なのか」
「そのために私ができること、私がやらなくてはいけないこと、私だからできることは何か」
「何を学び、それをどう考えればいいのだろうか。」
そんな言葉がふと浮かんだ時、先日、聞いた知り合いのある対話が浮かんだ。(動作学のオンラインサロン「動作学プラネテス」の中の企画でのこと)
その中で一人の人が「一時期は、とにかく学ぶのが楽しくて、次から次へと学ぶことに夢中だったけど、最近はその意欲がでない自分がいる、、、」みたいな感じのことを言っていた。
そんな一言に、対話相手の人がとても丁寧に会話を進めていって、その問いかけに彼はとっても素直に反応していた。
その深く興味深い話をかなり割愛して、私が感じたことで話をまとめると、きっと彼が言っていたことは「以前は学びが楽しくて楽しくて学ぶことに没頭をしていたけど、ふと気が付いたときにその学びが自分に何をもたらしてくれたのか、気が付いたら周りに共通した理解を示す人がいない状況もあって、自分がいいと思って学んでも、それを一緒にいいね!って共感してくれる人がいない環境、それ(新しいことを学ぶこと)を評価してくれる環境でなくなった時、学びの意欲がわいてこない、、、」そんな感じ。
そして対話相手の問いかけから浮かんできたのが、「最先端を学んで、自分が頑張っても、上には上がいて、その人たちに近づいて追い越したいと思っても、そこにはなかなか到達できないという虚無感から学ぶ意欲が浮かばないのでは、、、」というもの。
そんなことから考えると、学びの行動を後押しするのは、
① 自分の興味を満たしてくれると感じるものがある
② その学びによって自分が誰かよりも優れていると感じられる
③ その学びが誰かとの共感を生む(同僚、患者さん、選手、などなど)
④ その学びによって自分の成長を感じられる
きっとこんな感じなのかな、、、と。
でも忘れてはいけないのは、
「その学びの先にある誰かと何か」
そして
「その先にいる自分はどんな自分なのかを想像する」
ではないかと思う。
たとえば、人を理解するうえで、脳科学、脳神経系を理解することは大切な要素になる。脳神経科学の分野の発見が目覚ましい今、今までブラックボックスだったところが、見え始めたことで、たくさんの状況や人のお手伝いができるようになった。我々人間の中枢である脳神経系を理解することはとても大切だと感じている。
なぜ痛みが出るのか。
なぜ不調が起こるのか。
なぜそういう考え方になるのか。
何がそれを作り出しているのか。
そういったものの土台が脳神経系の働きから説明できることもある。でもできないこともたくさんある。
動作を入り口として、その人の不調や不快感を少しでも減らすだけでなく、その人がその人らしい人生(Well-Being:健全)を歩むお手伝いができるために、どのように脳神経系を理解し、どのように動作を考え、どのようにアプローチをするか、、、。
方法は様々。
筋収縮力を活性化させる。ウエイトを上げる、バンドを使う、自重で行う、素早く、ゆっくり、部分的に、全体的に。
緊張している筋肉を緩める。ストレッチ、道具を使って、マッサージをして、機械を使って。
神経系にアプローチして
筋膜(Fascia)にアプローチをして
経絡にアプローチをして
エネルギーワークを意識して
呼吸をつかった自律神経系から
瞑想
イメージ
認知行動療法
カウンセリング
様々な方法で人の健全をサポートすることはできる。(結局どれも脳神経系を介在はするけど)
世の中本当にいろいろな方法があるから、さらに学ぶことで、何がベストなのか、、、自分が何をしようとしているのか、わからなくなることもある。
さらに新しいことを学ぶということは、これまでを否定すると感じるようなこと、これまでを覆すことも出てくる。それを受け入れることで新しい景色が見えてくることを知ることも大事であると同時に、どちらもあっていいことを知ることも大切。
この学びの先にあるものは何か。
この学びを通してどんな世界を作り出したいのか。
目の前の一人の人のために
5人の人のために
30人の人のために
100人、1000人の人のために。
それぞれの人がいる世界にあった、その人なりの学びの先にあるもの。
選択権は自分にあるし、自分にない。
それでも大事なのは、自分が好きで(好きだから得意とは限らない)、自分だからできることを突き詰めていくことじゃないかなぁ、、、と。
動作のあるべき未来を考える。
医療を補完する動作のあり方とは何か、、、。
そのために必要な事。
そのために伝えること。
それをどういう風に伝えることがベストなのか。
結構なところまできた、、、とアスレティックトレーナーになって24年くらい、A-Yogaをスタートして17年くらい歩んできて思ったけど、やっぱりまだ終わりは見えない。
まだかぁ、、、って思うと、がっくりくることもあるけど、
きっと答えはみんなが教えてくれる。
そしてきっと答えは私の中にある。
そう思って、今日も学び続けよう。