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慢性的な痛みからの解放、新たな医療サポートの形へ
メルボルンから帰国しました。
痛み
動き
人間
いろいろな事を考えた3日間のセミナーでした
オーストラリアもどこの国も同じ問題に直面しているんだ、と感じた時間でもありました。
医学は進歩しているけれども、慢性的な痛みに長時間悩まされている人は一向に減らない。
医療システムの落とし穴
そんな言葉を色々な国の医療従事者が口にする。
講義の2日目に実際に慢性腰痛を持っている人が実技の被験者として来てくれた。
PTであるPeter O’Sullivanがセラピスト。
60歳になろうと言うこの人は、腰痛を30年以上持ち、腰痛によって仕事を変え、好きだったランニングもサッカーもゴルフもできなくなり(やってはいけないと言われたそうです)、孫を抱き上げることも腰に良くないからとできなかったと話す。
その内容は聞いていて本当にせつなく、かつオーストラリアでの出来事なのに、「そんなセラピーセッションを受けなければいけなかったことに本当にごめんなさい」と謝罪の気持ちしか浮かんでこなかった。
組織(筋肉や腱など)が切れている、折れているなど確実に物理的な損傷がなくても痛みが起こる。
半年前の捻挫が痛んだり、手術は成功して傷も治っているはずなのに、痛みがぶり返す。
そんな現実が沢山ある。
痛みは感情を伴い
痛みの記憶を変えることが必要になる。
なによりも体の制限(抑制)は、体を益々マイナス方向に持っていく。
前屈をしたら腰を痛めるから
姿勢が悪いと腰が痛くなるから
背中を丸めて床のものを取るのは危険だから
下に降りる時は、背筋を伸ばして股関節から膝を曲げて降りる。
聞いているだけで体が苦しくなる。
人は信頼に値すると思う人からの刷り込みに弱い。
医療関係者やトレーナーのような人間が
「〜はもうしないようがいい」
「〜すると体を痛める可能性があるから」
なんて言われたら、多くの人がそれに従う。
それで良くなったらいいけれども、それで良くならないとまた新しいアドバイスをもらって試す、で、まだ良くならない。
そのループにハマると、人は自分への信頼を失う。
「自分がダメなんだ」
「自分にはできないんだ」
自分への信頼は絶対的な安心材料となる。
それが痛みを変えることもある。
恐怖心が痛むを生むことも多々ある。
彼が言っていた
「病院では症状を言ったら、画像を撮る、検査をすると言うことにすぐに意識がいく」
「誰も自分の状態や今までの話をきちんと聞いてはくれなかった」
「彼らが興味があるのは私の痛い腰であり、私ではない事を感じることが多かった、、、」と。
痛みや症状の改善に何が必要ですか?と言われたら
信頼と安心
と答えるかもしれない。
相手の話に耳を傾け
その人の認識を整理して
なぜそう言う状態なのかを見直し、認識を変えていく。
ダメ
危ない
やってはいけない
もう無理
そう言われた体と心は自分の身を守るためにどんどん動きを制限し始める。(小さい子供によくある)
抑制の始まりは痛みや症状の始まり。
動くためにあるからだ
「動かすのをやめましょう」
ではなく
「どうやって動けるかを一緒に考える」
それがこれから必要な世界。