私を作るもの
言葉には色々なものが隠れている
そしてじつはその隠されたものの中に、多くの宝が存在する。
私を作るもの
このタイトルからなにを思いましたか?
私=
私?(山本邦子)
私?(森本邦子)
私?(これを読んでいるあなた)
私(これを読んでいる作者がメッセージを送っている全ての個人)
あなたはどれを想像しましたか?
作る=
自分で作る?
誰かに作ってもらう?(作ってくれる)
自然と作る
もの=
生物学的(骨や細胞など)
人格
性格
環境
あなたはどう受け取っただろうか?
ざっくりだけどこんな風にそれぞれの言葉にはその中に様々な意味を含んでいる。
どう解釈するか
そしてその解釈が作者の意図したものに近いかどうか、、、は、時間(読み進める)、又は私との関係性、今のあなたの心理的状態によって変わってくる。
人生は解釈の連続
日々の交流や経験の中で起こることをどう解釈するかは自分次第。
経験(朝からマッハで駅まで走ったとか、、、私はそれはまずないですけど、、、)は変わらないけど、その出来事をどう解釈するかは自分次第。
めっちゃ朝からいい運動した
→これも悪くない
朝から気分悪いわぁ
→1日の始まりが悪かったから今日は何か嫌な予感
昨日のあの人の一言で眠れなくてあいつのせいだ、、、→あの人は危険リストに載せよう
昨夜の最後のあの一杯のせいで
→酒が悪い俺じゃない (いやいや、飲む選択をしたのはあなたでしょ、、、酒のせいではない)
なんて、解釈は様々。
人生は解釈の積み重ね。
それが自分を作り、自分の行動や選択に影響を与える。
私で言えば、常に奥底にあるのは
「人の明日に保証はない」というもの。
子供の頃の強烈な体験(兄の死)が、私にその解釈をもたらした。
だからこそ今があるとも言えるし(毎日を全力で駆け抜ける、興味があることは楽しみ、ワクワクしないものは時間の無駄なのでやらない、けどやるなら楽しむ)、それが足かせになる事もある。
未来を見れない
未来を見ない
見ているようでどこかで目の前はdead end、なんてこともある。
そんな自分を見守りながら、過去の経験の解釈を変化させながら、生きていけばいいのだ。
私の見る先には道は続き、地平線に落ちる大きな太陽の中に立つ人々がそこにいる。
未来には一人ではないたくさんの人と時間が待っている。