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背徳純愛小説『藍に堕ちて』第二十一話「意地悪モアイの罠」

「まだ機嫌は治らないのか?」

 揶揄いを含んだ質問に、藍華は無言で意思表示をした。

 視線は真っ直ぐフロントガラスの向こう、真っ直ぐ伸びる道へと注いでいる。
 蒼穹に澄み渡る秋空がなんとも爽やかで清々しいが、強引に連れ出された藍華は正直面白くない。

「ま、別にいいけどな。そういうのも」

「何がですか」

 だというのに原因になった男がそんなことを言うものだから、つい反応してしまう。

 しまった、と思った時には後の祭りで、くくっと押し殺すような笑い声に悔しさが込み上げる。

 きっとルームミラー越しに睨みつけると、楽しそうに細められた黒い瞳と目が合った。

 今藍華がいるのは迎えの際に乗った濃いブルーカラーのSUVである。
 蒅が着ていた作務衣と同じ色をした車は乗り心地も良く文句は無いが、それがより厄介ですらあった。

 せめてもっとエンジン音が五月蝿ければ、蒅のよく通る声がこうもはっきり聞こえはしないだろうに。

「余所行きの顔が剥がれたんだ。楽しくもなる」

 さも本心だと言わんばかりの、というより正真正銘本心なのだろう。
 蒅は丁寧な運転とは裏腹に口端を上げ意味ありげに笑ってみせる。

 その顔を見て、藍華は内心「どこがモアイよ」と突っ込んでいた。

 表情が無いなんて大嘘だ。

 人の確信を鋭く突いたかと思えば皮肉げに笑ったり、名前を呼んだだけで嬉しそうにしたりと、裕の言っていた「モアイ」と今の彼は似ても似つかない。むしろ天邪鬼だ。

「……貴方って、案外意地が悪いのね」

「今更わかったか? 裕も言ってただろ」

 確かにそうだが、聞くのと体験するのとでは大違いだ。というより、まだ会って間もない人間にこうもずけずけ言ってくる者はそうはいない。彼が特殊なのだ。

「ま、ひねくれてる自覚はあるさ。それより、藍華」

「何ですか」

「どこか行きたい場所とかあるか? 前もって調べてたなら、連れて行くが」

 話題を変えて尋ねられ、藍華は一瞬迷ったものの既に車に乗っている状況を考えて観念することにした。

 彼が言う通り、ガイド役だと思えばよいのだ。

 体裁は一応気にはなるが、裕も知っているし、帰ってしまえば関係もなくなる。
 気にし過ぎだと言われればそうかもしれない。

「一応調べては来ましたけど……鳴門の渦潮とか、国際美術館、ドイツ館に阿波おどり会館とか……」

 徳島に来る前にネットで調べた情報を連ねてみる。阿波踊りはシーズンを過ぎてしまっているが、資料館などがあるのでそちらを見に行こうと考えていた。
 すると、蒅は特に何を言うでもなく淡々と頷く。

「ま、観光系サイトなら大抵そこいらが載ってるだろうな」

「どこかお勧めとかありますか?」

 強引だったとはいえ、一応ガイド役を申し出てくれたのだ。むしろ地元の人間である彼に聞くのが得策だろう。

 そう思ったのだが、蒅は一瞬「そうだな」と考え込んだ後、何やら意味ありげにふっと微笑んだ。

「あんた、高い所は平気か?」

「高いところ?」

 そして唐突にそう問われる。高いところ……特に苦手ということはない。

「今から行く場所は『かずら橋』って言うんだが、高所恐怖症の人間なんかはあまり好きじゃないだろうからな。一応確認したかった」

 疑問に思う藍華へ蒅が付言してくれる。

 なるほど。かずら橋については観光サイトにも乗っていたので見た覚えがある。
 正式には「祖谷のかずら橋」というらしい。

 読んだ記事ではかなり山深い名所にある橋だそうで、シラチクカズラという植物で編まれた吊り橋だとか。それも平安時代の氏族、平家のいわれがある橋だそうだ。

 古いものが好きな藍華はもちろん歴史も好きだ。
 学生時代だって地理より歴史の方が成績が良かったくらいである。

 今どきの歴女と言われる女性達ほど熱心なわけではないものの、せっかく観光に来たのだからその土地の史跡等も回ってみたいと思っていた。

(裕ちゃんに相談してみようとは思っていたけど……まさかこの人から勧められるなんて)

 行き先候補の一つに入れてはいたものの、裕が高所恐怖症なのもあって半分あきらめていた場所だ。

 藍華は渡りに船とばかりに頷いた。 

「そういうのはないので大丈夫ですよ」

「言ったな?」

「え」

 もし行けるのなら行ってみたいと、喜び混じりに答えた藍華だったが、間髪入れずに蒅がにやりと笑ったので思わず固まる。なんだか嫌な予感がした。

「なら一緒に渡るか」

「ええっ」

 しかもそう付け足されて、藍華はネットで僅かに見たかずら橋の写真について思い返していた。

(確か……ものすごい秘境みたいな所にあって、高さも相当あるみたいに書かれていたような……?)

 脳裏に浮かんだ画像はむせ返るような緑に包まれた山奥で、深い渓谷に吊り下げられた橋の姿はまさしく絶景と称するに値していた。

 怖いというより、美しさの方が勝っていたので特に気にも留めなかったが、蒅はそれをどうやら挑戦と受け取ったらしい。

「楽しみだ」

 そう柄にもなく満面の笑みを浮かべながら鼻歌でも歌いそうな勢いで運転する上機嫌の蒅と、これはまずいことを言ってしまったかもしれないと青褪める藍華の表情はまさに対照的である。

 もしもここに裕がいたなら、驚くと同時に爆笑していたかもしれない。

(わ、私もしかして、無謀なことを言ってしまったかも……?)

 戦々恐々とする藍華の隣で、偏屈な職人の男は悠々と田舎道を運転していた。

二十二話に続く


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