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抗がんライフ…嬉しい意外な経過報告…

私ごとエッセイである、
抗がん治療に興味のある方への経過報告…

さてさて、余命1〜2ヶ月との宣告を受けてから、相変わらずその時は一向に訪れず、抗がん治療をずっと続けながらも何とか安定した体調を維持している。
既に2年と2ヶ月が過ぎた。
末期(ステージ4)の膵臓癌ということなので、手術は不可能。
正直何をどう調べてももう手立てがないことは重々分かっていたし、もちろん覚悟もしていた。
しかし、思いとは裏腹に時はどんどん過ぎてゆく…

体調時計は止まったままだ…

心残りだった南阿蘇への滞在も何度もしたし、無理をしないようにあちこち途中の街を訪れたりもした。

治療の合間には旅を楽しんだ。

ヤケクソで自宅の新築計画もガンガン進めた。
宣告当時は64kgあった体重は43kgまで落ち、食欲も最低だったが、治療を始めると何とか食欲も戻り、体重は50kgに…そこでピタッと止まり、あとはいくら食べても増えも減りもしない。

お酒も少しなら飲めるし、煙草もやめていない。
抗がん剤の副作用は脱毛はもちろん、手足の強い痺れやむくみ、味覚障害、鼻水、鼻血、口内炎など諸々あるものの、周囲の患者さんと比べると比較的軽く、諸々の症状と付き合うのも慣れてきた。
そんな状態でずっと留まっている。

副作用にもすっかり慣れた抗がん剤

毎週1回抗がん剤を点滴しに通院する。

週1回の点滴もすっかり習慣となった。

毎回朝一番で採血し、その数値を担当医に診断してもらってその日点滴が出来るかどうか判断して貰うのだ。

朝の診察室前…
治療室前の呼び出しボード…

数値に問題があったことは一度もなく、いつも順調に治療を受けられた。
これまで何度か画像検査も行ったが、どうやら当初確認されていた患部周囲への転移や浸潤はおさまっているようだ。

私の『癌』は何だかすっかり大人しくなっているらしい。
医者は首を傾げるばかりだが、悪化しないので私としては御の字だ。

家族はもちろん友人、知り合い、いろんな方が会いにきてくれて、自宅の新築計画もどんどん急ピッチに進んで、合間合間で治療休みを余分に取って家内と二人旅行にも出掛け、様子を見ながらだが心置きなく残り僅かと言われている人生を駆け抜け…
2年が過ぎ、2歳歳を取ったが、一向にその日が訪れる気配もない…

お陰でたくさんの人との出会いもあった。

ある日突然訪れるのだろうと、いつも覚悟だけはしている。


そして2025年を迎え、予定通り竣工した新居への引っ越しも無事終えた。

1年弱お世話になった仮住まいマンション
そして、新居も完成した。

『さて、これってここからどうなるのだろう?』
何と言っても私としては人生初めてのことなので(当たり前だ)、次の展開が全く見えない。
担当医も毎回毎回「今日も数値はいいですね。治療を続けましょう」を繰り返すばかり。

すっかりお馴染みとなった周囲の長期治療の患者さん(それほどは多くない)を見ても、途中入院となったり、歩行が難しくなったり… 私のように長く安定している患者は物凄く珍しいのだ。
短期の間に入れ替わる顔ぶれも少なくない。

いつどうなってもおかしくないという認定の要介護1。

さらに、この2年間、様々な検査を受けてきた中で、実は私には結構重大な別の疾患があることが発見された。
『心臓弁膜症』だ。
エコー画像で見ると心臓の弁の一つがビロンビロンになってて、血液がダダ漏れなのだ。
ただし自分としては自覚症状は一切ない。
循環器の担当医によれば、症状としては手術を要する状態らしいが、これで一切自覚症状がないということは、相当な以前、かなり若い頃から発症していて、身体がすっかり順応してしまっているということらしい。
現状は動悸もないし息切れもしない。
血圧も安定しているし、胸や背中が痛むことなど皆無なのだ。
若い頃から体力・持久力には自信があったので『そんなモノを抱えていたのか…』と考えると空恐ろしくなる。
そう言えば以前から医者にかかると聴診器をあてた時に「ちょっと雑音がありますねえ」と言われることがよくあった。
今は癌の治療を優先すべきと、こちらは様子を見ることとなった。


まあ、次から次に様々な問題が噴出してくるのだが、全てが終わるのも時間の問題。
担当医師からは「進行を止めることが出来たとしても、癌が消えることはありません。もし消えたとしても膵臓の場合は必ず再発し、切除以外で完治することはあり得ませんから」とキッパリ言われているのだ。
そうまで言われりゃあ仕様が無い。
覚悟を決めてその日までの人生を可能な限り楽しむだけだ。


で、前回の治療前の診察の時のことだ。
診療室の引き戸が少し開いていた…
その前で待機していると、前の癌患者さんに主治医が「今日は尿蛋白の数値がちょっと高いので、点滴は見送って、様子を見ましょう…」と告げていた。
『そうか…こうやってそれぞれに何かが始まっていくのか…』
そして、次に呼ばれたのは私だった。

血液検査の結果表を見ながら担当医が口を開く…
「うーん…今回も検査結果いいですね〜。問題なく治療できますよ」
「あ、はい…」
「何か体調の変化はありますか?」
「いえ、特に変わりはありません」
「えーと、川崎さんはもう2年以上になりますよねー」
「ええ…」
「随分長いこと安定していて…こんなことは普通ないんで…多分もう手術ができる状態になっている可能性が大きいと思います」
「え?」
「来月予定の画像検査の結果を見て、外科の方とも相談して切除手術を考えてみましょう。多分この状態だと大丈夫だと思いますが、いいですか?」
「手術…出来る様になったっていうことですか?」
「ええ。そう思いますよ。まあこんなことは滅多にないんですが…」
「そうですか…よろしくお願いします…」

私と家内は狐に摘まれた気分で診療室を出た。
この2年間、ずっと私の人生の最終章は『癌』との付き合いで終わるのだとばかり思っていた。
それはいつまで長く『癌』と上手に付き合い続けられるかがテーマなのだと…
それが、突然降って湧いたように『完治』の可能性が提示されたのだ。

もちろん、この先何があるのか、どうなるのかは分からない。
全てが上手く運ぶとは限らない。
しかし、0%の世界に大きな『可能性』が生まれたのである。


さてさて、いずれにしろ全ては来月以降の話だ。
どうやら今の状態が最後のステージではなく私の人生には次の章が待っているということだ。

私は一体何処に向かうのであろう?
大きな楽しみの扉が開いた…

南阿蘇にて…







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