思想としての微生物達 侘び寂びと腸内細菌と発酵
今日の投稿は、僕が腸内細菌や発酵、微生物たちのことを極めようと考えるようになった1要因である侘び寂びの考えを紹介します。
侘寂の精神を知ったことが、発酵と微生物と人生が繋がったキッカケでもあります。
興味のない方には退屈な内容になってしまうかもしれません。
しかし、これだけは言わせてください。
読んでいただいた方は、
世界観が大きく変わるかもしれません
侘び寂びとは何か
まず、侘寂とは1つの言葉ではありません。
侘と寂2つの言葉があり、それぞれ意味があります。
では侘と寂はそれぞれどのような意味でしょうか。
“侘(わび、侘びとも)とは、
「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識」”
ソース: わび・さび – https://ja.wikipedia.org
“寂(さび、寂び、然びとも)は、
「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」”
ソース: わび・さび – https://ja.wikipedia.org
少しわかりづらいですね。
僕はこれから自分なりに解釈をし、次のように考えました。
侘とは、
生物が生まれたときや物が作られた時は、どれも似たような姿・形をしていますね。
僕たちは1つの細胞から始まりましたが、徐々に時間をかけ、細胞が分裂を繰り返し、ヒトとしての特徴を得ます。
母親のお腹から出てきて、成長していくとともに人間としての個性が出てきます。
どこで生まれ、どこで育ち、何を学び、どんな経験をしてきたかで顔つきも性格も価値観も変化していきます。
新品の製品はどれも同じ見た目をしていて、そこに個性はありまん。しかし、それが誰かに買われて、使われていけばいくほど、その製品の個性が出てきます。
どこの誰が使っているのか。
どこでどのように保管されているのか。
落としたりして傷がついたり、1部が壊れたりすればするほど、そのものにしかない特徴が浮き彫りになります。
他のどこにもない世界にたった1つしかない製品に変わります。
それに価値を見出したものが侘の精神であり、そのものが寂なのではないかと僕は考えました。
続きはブログで紹介しています。
興味のあるかたは、是非ご拝読ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。