"自由"について考える~思考の整理をしよう~
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先日、X(旧Twitter)にこのような投稿をした。
これに対して、以下のような反応を寄せる者がいた。
私のポストが、君が代を歌わないことや、"天皇制を認めたくない" などという意味不明な妄言を吐くことを、「自由として認められない」としていると言うのだ。
このアカウントのプロフィールには「反セクシズム反ファシズム反レイシズム」とあるので、いわゆる "リベラル左翼" のアカウントと言えるだろう。
このような考え方は、リベラル左翼を中心に広まっているように思う。
しかし、私はこれを真っ向から否定する。
本記事の内容は、思考の深い方にとっては "当たり前" のものとなるかもしれない。
しかし、社会を理解し、論じるうえでは非常に重要な内容であるので、ここで綴っておこうと思うのだ。
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便宜上、「私のポストが、君が代を歌わないことや、"天皇制を認めたくない" などという意味不明な妄言を吐くことを、『自由として認められない』としている」というような思考傾向を、本記事では「リベラル左翼の思考」とする。
この「リベラル左翼の思考」には、決定的な問題点がある。
そしてそれは、本来のリベラリズムからかけ離れたものであり、本来であればリベラルが対抗すべき思考傾向なのである。
では、その問題点とは何なのであろうか。
結論から言おう。
「リベラル左翼の思考」の決定的な問題点とは、、、
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