愛車遍歴(その2)
そろそろ、彼が出向解除で富士重工に戻るので、戻る前に1台売らせてあげたいんで、ぜひ新車にしてくれないか?条件よくするから~
そんなオファーを茨城スバルさんからもらい、急遽1972年式のレオーネは引き取られ、1981年式の新車が我が家にやってきた。
写真の色よりももっと薄く、水色のレオーネは、父親が茨城時代に3台乗ってきた最後のスバルであった。
次のクルマに買い替えることが決まった1989年の夏に、父親の指導の下、(まだ免許取得に数年前の年齢の私だったが)こっそりと私道でこのレオーネを運転することができたので、初めて運転したクルマということになる。
ドアンダーで曲がらないFF車。4MTだったし、スバルはクラッチワイヤー式だったから、いまにして思えば癖も強かったと思うが、クルマはそんなものなのだろう、と思った次第。
1トンもなく軽い車体に、OHV時代のスバルエンジン(EA71)は、意外にも燃費が良く、田舎道だとリッター20キロほどだったので、第二次オイルショック後の高ガソリン時代に、お財布にも優しかったそうだ。
フロントにトラクションをかけるべく、スペアタイヤもこちらに収納されていたのも、古いスバルの特徴でもあった。
このクルマは、一度、側道から割り込もうとしたクルマにぶつけられたことがあったが、ウィンカーランプが割れた程度で、びくともしなかった。
一方、突っ込んできたトヨタ車は、見るも無残な状態だったのを覚えている。
保険会社をかませれば、相手:うち=9:1で行けるぐらいの状況ではあっのたけれど、壊れ具合がレオーネは軽微だったから、トヨタの若いドライバーに自分で修理してね!で、警察の現場検証後すぐ、示談成立したのだった。
安全なクルマであるということを、図らずも実感することができた瞬間でもあった。