人生会議やACPは有意義かという問いへの当事者の考え
もしバナマイスタープログラムで人生会議やACPは有意義かという問いがあった。
僕はとても重要と考えている。
ひとつはゴールである「死」について話し合うのか、「死に向かうプロセス」を話し合うのかという捉え方がポイントだ。
僕自身、がん告知後、一年間は死を見つめて生きていた。生きる力を失い彷徨うように細々と過ごしていた。
ある日、「死ぬまでは生きている」という言葉が浮かんだ。
その瞬間から死へのプロセス、人生の過ごし方を意識するようになり、
実現したい事、やりたい事など日々の過ごし方を充実させるように変わった。
がんになる前よりいきいきし始めた。だから人生会議は有意義だと考える。
たとえ死が身近に迫っていても死ぬまでは生きているのだから。
もうひとつはACPは有意義である。
僕の中ではACPは人生の最終段階の医療とケアというイメージが強い。
70%の方が最後に自分の意思を伝えられない状態になる。
この時にどのように過ごしたいか、どのように最期を迎えたいかをはっきりと代理人に伝えておくことは重要である。
人生のエンディングが望み通りにならないなんて悔いが残る。
自分では伝えられないのだから悔いを残しながら旅立つ、
もしくは悔いを抱えたまま生きることになる。
自由を失い精神的抑制を最後に感じたまま生きることになる。
もしバナゲームは最期の過ごし方やありかたを改めて考えることが出来る。
シンプルな表現で言語されているためひとつづつ意味を考えながらイメージできる。
ゲーム中にカードの取捨選択という意思決定が繰り返されるため価値の優先順位についても自然な形で行える。
死は誰にも平等にやってくる。
そして、死はいつやってくるか誰も知らない。
だから人生会議やACPは人や時を選ぶ必要はない。
縁起でもない話ではなく人生を豊かにする話し合い。
そのきっかけとしてのもしバナゲームの存在。
僕はマイスターとして仲間と共に普及に努めていく。
しあわせです感謝
詳しいことは拙書「死ぬまでに読んでおけ」を。
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