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7.國部龍太郎 その人とvol.1 -光と闇-

先日noteのテーマを募集した時に、「カレー」の次に多かったのが「僕(=國部)の過去」についてだった。
中でも特に人生の転機となった高校時代について、改めてしっかり聞きたいという有難くも不可思議な声が沢山あった。

自分でこういうことを言うのはとてもダサいと思うだが、確かに客観的に振り返ると多少奇妙な人生を送っているのかもしれない。
それなりに挫折も多く、何度も行き当たりばったりの路線変更をしてきた。
僕自身は「植物のような平穏な人生」を望んでいたり、望んでいなかったりするのだが、これを読んだ人が僕と同じような道を歩まないようにするため、と正当化しながら自分の過去から今までの歴史を書いてみようと思う。
(『ボクとカレー』シリーズ続編もまた書きます)

僕のことを知らない人が地雷を踏まないように、本シリーズは大胆なタイトルをつけた。
基本的にはカレー以上に興味を惹くはずがない内容なので、時間を無駄にする前にYouTubeを開くことをオススメする。
勿論、それでも僕は気にせずに書き続ける。

なぜなら、僕はnoteを書きたい人だからだ。






國部 龍太郎(くにべ りゅうたろう)
平成元年12月8日、宮崎県に國部家3人兄弟(弟、妹)の長男として生まれる。
ただ宮崎県は母方の実家であり本当に生まれただけの土地なので、父の仕事の関係ですぐに引越してしまったから、宮崎の記憶は皆無に等しい。

いわゆる転勤族というやつで、引っ越し先の埼玉県で3,4年過ごしたのち、今度は兵庫県神戸市に引っ越すことになる。
そこから高校卒業までの大部分を神戸で過ごしたので、「地元は?」という質問には神戸と答えるものの、転勤族の例に漏れず地元意識はかなり低い。

勿論、神戸の中でも何度も引っ越した。
なんなら小学3年生の時には三重県へ1年だけ引っ越し、神戸の同じ小学校に戻ってきたこともあるくらいだ。
転校した学校に出戻りするなんてあまり聞かない話だろうが、あの時の同級生総立ちのツッコミは今でも覚えている。
物事に対する執着の無さはこの頃の感覚に端を発しているのかもしれない。


そんなこんなで転校を繰り返した小学校時代。
当時の僕は転校生効果を一身に受け続け、今となっては信じられないと思うが常に注目を浴びている存在だった。
それに加えて勉強は同級生の誰よりもできたし、サッカー・空手・水泳・ピアノを習っていたので、運動も音楽もできるというまさかの万能人間。
さらに、これは転校生あるあるだと思うが、瞬時に輪に溶け込むための社交性が磨かれていたので、性格も明るくお祭り男、いわゆる陽キャラだった。

そんなんだから異性にモテない訳がない。
思春期が遅くて当時全く異性に興味が無かったことを悔やむばかりだが、人生最初で最後のモテ期は確かに小学校時代だった。
悩みなんて何も無い、國部の光の時代がそこにはあった。






さぁみなさんお待ちかね、やっとこさ闇の時代の到来である。
ここから少しは面白くなることを祈りながら書いてみる。

小学6年生、それまで順風満帆な人生を送っていた國部少年は中学受験をすることになる。
そもそも僕の父はガチガチの学歴社会で生きてきた人間。
【幸せ=良い会社=良い大学】
という考えだから、受験をして良い中学に行くことが当たり前だった。
当時周りに比べ自分のことを特別だと思い勘違いしていた僕は、親に言われるがまま何も考えず中学受験をするのだが、そこで人生で初めての挫折を味わうこととなる。

そう、受験に大失敗したのだ。

まず、第一志望のO中学(当時大阪で一番賢かった学校)に不合格。
特にその学校の校風などに興味があったわけではなく、他に学校を選ぶ理由が存在しなかったから、単純に一番偏差値の高い学校という理由で選んだ学校。

勿論、当時の現状にあぐらをかいて勉強をしなかったわけではない。
なんなら小学4年生の時から色んな意味で厳しい塾に入れられ、毎日朝から晩までみっちり勉強して望んだ結果だった。
大袈裟かもしれないが、才能があって努力をしても届かないものがこの世にあるなんて...と思ったし、今思っても人生で一番勉強したと思えるくらい、かなり努力をした結果なだけに、それは大きな絶望だった。
ただ、挫折はこの不合格のことではない。

次に、第二志望のR中学(実家の近くでそこそこ有名な学校)に、願書を出しそびれ不合格。
第一志望の学校ですら理由があってないようなものなので、こちらを選んだ理由は「家から近く、そこそこ偏差値が高かったから」である。
当時の僕の学力で言うと、まず間違っても落ちない学校。
それがなんと願書を出しそびれて不合格。
これに関してはショックを通り越して、親への怒りの感情に近かったが、これも挫折ではない。


本当の挫折は最終的な進路として、第三志望のS中学に入学してしまったことだった。
そのS中学は当時大阪の中ではど真ん中の中堅校で、「父の母校の姉妹校だから」というよく分からない理由で記念受験をした学校である。
必ず第一志望に行く!もし間違っても第二志望に行く!
と考えていた僕にとっては、想定外も想定外。
勿論、そこがどんな学校かも知らないし、そこに通うイメージなんて1mmもできていない。

・通学に電車で2時間以上かかる
・毎月頭髪検査があり、基本全員坊主
・毎日中庭で全校生徒による読経イベントあり
・グランドが無いため運動部はほぼ無し
・ちなみにプールも無い
・男子校(これ一番大事)


この中の一つでも事前に調べて知っていたら、当時の僕は絶対に選ばなかった学校だろう。
しかもこれが中高の6年間続くのである。

ただ、ここしか受からなかったんだから仕方がない。
勉強の仕方が間違っていたんだから仕方がない。
大事な手続きを人任せにしていたのだから仕方がない。
自分でちゃんと調べなかったんだから仕方がない。

考えれば全て自業自得なのだが、まだ幼い國部少年を責めないであげて欲しい。






入学から3ヶ月後、國部は学校に行くのをやめた。


今回の教訓:自分の人生を人任せにしない
 
(noteのお題くらいなら良いけどね)

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