祈りの幕が下りる時(前編)
3月半ば、暖かな日差しが心地よい小春日和の中、世界ではこんな穏やかな状況とはかけ離れた状況下に置かれている民間人がいると思うと、何か手助けできることはないのかとつくづく感じます。
こんな情勢の中でも、どうでもいい芸能人のスキャンダルがテレビやネットで流され、自分たちには関係ないことでも、変な正義感を出している割には、文句を言わない人や誰もいない方向に向かって説教している日本は、まだまだ安全な国なんだなと感じる今日この頃です。
さて、バリュー・リノベーションズ・さの(VRS)が活動して早3年目を迎えており、この3月末をもって、「バリュー・リノベーションズ・さの」というまちづくりプロジェクトは終了します。
前回のnoteでお話しましたように、今回から2回に分けて、VRSの3年間の活動を振り返ります。
最後にお知らせもございますので、最後までご覧くださいね。
◆VRS誕生のきっかけ
活動を始めたのは2019年の7月1日ですが、VRSが誕生したのは、それより1か月ほど遡る5月27日です。
当時はどういう方向でまちづくりに取り組んでいくかという明確なビジョンがあったわけではなく、一つの仮定として、行政が行政の居場所でしか、まちを見ずに、「まちのために」という一方的なを支援をしても、まちで暮らす方々のニーズとミスマッチが起こり、それが原因で成果が上がっていないのではとつくづく感じていて、その仮定を実証するため・・・と言えば偉そうに聞こえますが・・・「バリュー・リノベーションズ・さの」というまちづくりプロジェクトを立ち上げ、「結果にコミットを」を旗印に掲げてスタートしました。
このプロジェクトを誕生させるまでも色々とありましたが、事の発端は、VRSが誕生する一年前、商店街の会合にお邪魔した時に、ある方が私の方を指さし、「こいつに任せとけば、シャッター通りになっている商店街の活性化につなげてくれるから何でも言ってくれ」と言われたことがきっかけです。
この言葉を言われたときに、「いくらなんでも商店街の活性化につなげていくことは無理だ」と心の中で叫びました。
まぁ、商店街の役員もその場では言いませんでしたが、全国でも成功事例が少ないのは商店街の役員も知っているみたいで、「いくらなんでも無理だろ~」と思っていたのか、商店街の再生事業は、いつしか聞こえてこなくなり、ひとまずは安堵しましたε-(´∀`*)ホッ
◆思い込みのフレームワークが崩れる
そこから4ヶ月が経った10月、縁があって宮崎県日南市にある、油津商店街にお邪魔する機会をいただきました。
この油津商店街に訪れたときに、「商店街」という名がありながらも、昔から知っている商店街のようなお店はあまりないのです。
あるのは、保育園や事務所、ゲストハウスなど店舗ではなく、どこかのオフィス街にも近いような感じの雰囲気でした。
訪れたときにお話を伺った田鹿 倫基さんが、油津商店街の取組を次のサイトで仰っています。
お話を伺った後、商店街を歩いて拝見したのですが、成功した商店街という触れ込みながらも、従来の商店街とは程遠く、店があまりないのが逆に印象的でした。
なぜお店があまりないのかと聞いてみますと、この商店街の近くに、広島東洋カープの春季キャンプ場があり、その当時、「カープ女子」という言葉が流行ったように、カープ選手を目当てで宿泊する人もいたそうで、その需要でゲストハウスが誕生したそうです。
それ以外でも、フリーアドレスの事務所があり、お邪魔したときには30名程度のスタッフの方々が色んなスペースで、パソコン片手に仕事をしていて、その事務所の向かいには、保育園があり、働きながら育児をする環境が整っているんだなぁと感じました。
このとき、ふと今まで商店街に出店をしていただくのは難しくても、商店街に人が集う仕組みを創ることであれば、自分でもできるのではないかと感じました。
それが、VRSの活動のコンセプトにもつながったわけです。
◆雪が舞い散る日に
油津商店街を訪れてから約半年後、運命的な出会いが訪れます。
VRSプロジェクトが立ち上げるまでも、紆余曲折がありましたが、なんとか事業化の目途が立ち、あとは予算を確保するだけまで漕ぎつけた3年前の2月11日に、運命的な出会いがありました。
この頃、まちづくりはやれば成果が出ると簡単に思っていたところもあり、よくVRSの活動を視察していただく方から、「どこのまちの取組みを参考にされましたか?」と尋ねられますが、具体的にどのまちの取組みを参考にしたわけではなく、敢えて言いますと、先ほど紹介した油津商店街のコンセプトですかね。
そんなあいまいな感じで、この方にお会いしてしまったのですが・・・💦
そうです、嶋田洋平さんです・・・💦
その当時、嶋田さんは、リノベーションスクールなどで各地のまち再生事業に取組みに関わっておられるレジェンドでもあり、そんなことも知らずに一緒にさの町場を歩いた記憶があります。
あとから聞いたところ、結構厳しい方だったそうですが、初対面のこの時は穏やかな感じで、人懐っこく、少年のような表情をするのが印象的でした。
観光ボランティアさんの案内で、さの町場を歩いていると、雪が舞い散り、底冷えする午前でした。
午後から嶋田さんは、泉佐野の他の場所を見られるということで、午前でお別れしました。
それが、私と嶋田さんとの最初の出会いでした。
◆再会
嶋田さんとの出会いから1ヶ月経った3月中旬頃、嶋田さんが大阪方面に訪れるので、その空き時間でお会いしませんかと言われ、空港の待合スペースで再会しました。
その時に、VRSプロジェクトの概要を説明したところ、嶋田さんの形相が一変し、「なに~っ、これぇ~!、なんで行政の補助金に頼ってまちづくりしようとするのか、意味がわかんない!」と一蹴されてしまいました💦
それもそうです。リノベーションスクールなどに関わった嶋田さんからすると、補助金に頼らないまちづくりを掲げて、各地のまち再生事業に関わった方からすると、「覚悟がない」と思われても仕方がないのですから。
それでも、事業として実施することが決まっていたこともあり、そのお話もしながら、この事業にかける思いを伝えました。
すると、嶋田さんは渡した資料を見直しながら、「うーん」と唸り、数分考えた後、「そうだ、家守を育てるまちづくり会社にすればいいんだ」と叫んで、納得していただきました。
こうして、嶋田さんがVRSプロジェクトに関わっていただくことになりました。
そして、嶋田さんは帰京するため、空港の搭乗口へと足を向け、私は嶋田さんの後姿を見送り、1時間程度の再会を終えました。
◆華やかに誕生
嶋田さんとの再会以降も、VRSが活動を始めるに当り、諸手続きに手間取り、活動できる時期もなかなか見通しが立たず、でもやることは山積みになっている状態で、なかなかハードな日々が続きました。
周囲の人たちとも手分けして作業をしていただき、ようやくVRSが活動できる時期の目途が立ちました。
VRS立上げメンバーを募集した時のチラシです(今は募集しておりませんのでご注意ください)。
こんな感じで立上げメンバーを募集して、紆余曲折をしながらも、なんとか7月1日の活動開始へとつなげることができました。
そして、2度目の嶋田さんとの再会となる、キックオフミーティングをさの町場にあるお寺の講堂で開催することになるわけですが、当日、少し雨がぱらつき、「嫌な天気だな」と思いながらも、キックオフミーティングが始まるまで天気がもってくれて、無事開催することができました。
最初は人が集まるのか不安でしたが、いざ始まると定員70名のところ、104名の方が参加していただき、しかも梅雨時の蒸し暑い中、また今では許してもらえないほど密集していましたが、最後まで出ていく人がおらず、この催しの終了後に、懇親会をしましたが、予約限定でしたはずが、どこからともなく人が増え、このお店の一番大きな部屋を予約していましたが、その定員がはるかにオーバーするほどの大盛況で終わりました。
このキックオフミーティングの数日後、今は使っていないご家族所有の古民家のことで相談を受けるのでした。
こうして誕生後すぐ、こうしたご相談を受け、課題はすぐに解決でき、どんどん実績につながっていくものばかり、この時は簡単に考えていましたが・・・(後編に続く)
◆お知らせ
今回はこれまでとなりますが、ここで書かせていただいたお話を含め、VRSの3年間の活動を、3人のスピーカーそれぞれの視点で、どのようにVRSの活動に取り組んできたのかや、さの町場の再生はどうなったのかなどをお話させていただく活動報告会「NEXT STAGE ~3人の想いが紡ぐまちの再生物語~」と題し、3月27日(日)14時~15時30分の90分間、お話をさせていただきます。
当日は、オンライン(YouTubeLive)のみの配信となりますので、日曜日の午後というなかなか出にくい時間帯でもありますが、「ステイホーム」の観点より、ご自宅などで楽しんでいただければと考えています。
この報告会の最後に、VRSから重要な報告もありますので、お見逃しのないように!
VRSとしては最後の活動報告ですので、ぜひご参加ください。
来週は後編です。こちらもお楽しみに!
それではまたお会いしましょう!