【#一日一題 木曜更新】 追憶のバタークリーム
山陽新聞の「一日一題」が大好きな岡山在住の人間が、勝手に自分の「一日一題」を新聞と同様800字程度で書き、週に1度木曜日に更新します。ほらいつか岡山在住ライターとして一日一題から依頼が来るかもしれないし……し…?
今日はどこに行くの?と言って私は祖母を車に乗せた。
祖母は80歳を超えて急に足が弱くなった。誕生日に家族で様子の良い杖をプレゼントしたのに、祖母は「年寄り扱いするな」と一蹴し、杖は玄関に放置されたまま。年寄りって一体何歳からなんだろう。
そんなわけで、私は買い物好きな祖母のために時折ドライバーになっていた。
ある日の買い物帰りに、祖母は「仏壇にケーキが欲しいから壺屋に行って」と言った。帰路を考えるとかなり遠回りになる。家の近くの店じゃダメ?と渋る私に「バタークリームは壺屋にしかない」と祖母は言う。バタークリーム?なんで? 仏壇から下げたあとに食べるならイチゴの生クリームケーキの方が美味しいのに。年々頑なになる祖母に私は内心舌打ちして、壺屋へ車を走らせた。
祖母が一人で店の中へ入り、店員さんと何やら話している。車に戻った祖母は手ぶらで、「作ってもらってるから、2時間後に取りに来て」としれっと言った。2時間後?じゃあ家の近くのケーキ屋でいいじゃないと私はごねたが、祖母は「もう頼んだから」と譲らない。ああもう。
2時間後に引き取りに行くと、箱の中にはホールのバタークリームケーキが入っていた。チョコレート色の台の上に白いクリームと緑と赤の丸いゼリー、銀色のアラザンが乗った古臭い面持ち。
祖母に「仏さんに置いといて。明日ミエちゃんの誕生日なの。好きだったから、壺屋のケーキ」と言われ、私は小さな仏壇の前にケーキの箱を置いた。「ミエちゃん」は、中学卒業後に家を出て東京で美容師になった私の母の妹。忙しくて滅多に北海道の実家に帰れず、そのまま東京で結婚して若くして病気で亡くなった。私はミエおばさんを写真でしか知らなくて、葬式の時、祖母と母が棺にすがりついて泣いていたことだけをぼんやり覚えている。
ミエおばさんの位牌は祖母が作ったものだ。私は亡くなった日を目でなぞった。
昭和56年。
私は祖母がバタークリームケーキにこだわったわけを理解した。
祖母が小さなミエおばさんの誕生日を祝っていた頃、生クリームのホールケーキは一般的ではなかったはず。祖母の記憶にあるミエちゃんは、バタークリームケーキの前で笑っていたのだ。
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