終活。生前遺影を撮るということは…
「海外旅行の帰りに、楽しかったねぇなんて言いながら二人一緒に死ぬのが一番いい」
その昔、夫の両親からその言葉を聞いた時は「やめてくれー、まだ若いじゃないの」と思った。それに「海外旅行の帰りに」が指すのは、飛行機他、移動の交通機関で何か非常事態が起こるということ。ますますやめてくれ。そんな事態を想像しただけで苦しくなる。
でも。
あれから10年経ち、いつのまにか親は後期高齢者。旅行云々じゃなくても、いつ何が起こってもおかしくない年齢になった。ここ数年で耳が遠くなり、歩くスピードが遅くなった。外出が好きな両親だけど、行動の「はじめの一歩」に時間かかるようになった。でも、その身体的変化にはっきりとした「自覚」はないようだ。
まだまだ自分は元気だと、そう思っているだろう。
横断歩道のない車道を、のんびりと渡る高齢者がいる。
若い私たちから見ると「車が来ているのになぜそこを渡る…?」と疑問だが、当人にはなんら不思議はない。それは「車が近づいてくるまでに、自分は向こうまで渡りきれる」と思っているからなのだ。
つまりは、脳の司令に身体の動きが伴っていない。老いるってそういうこと。
★★★
父母が六十代後半だったある年の正月、夫の姉家族と私たち家族が二年ぶりに全員実家に揃った。父は子どもたちが奥の部屋で遊んでいるうちにと、大人を集めて書類を広げ始めた。
その書類は、リビングウィルの書類。
リビングウィルとは平たく言うと「生前の意思」。
父母が用意した書類の内容は、「回復の見込みが無い場合、医療延命措置の一切を拒否します」というもの。
詳しくは下記の日本尊厳死協会という団体の説明をどうぞ。
日本では、このリビングウィルの書類になんら法的効力はない。そのため、いざとなると医療現場では本人より身内の想いが尊重され、スムーズにことが運ばない場合も多いようだ。
そんな例がこちら。
その程度のものとわかっていながら、両親は書類を用意している。
外出が好きで、旅行が好きで、孫たちとの触れ合いが好きで。それらがもう叶わなくなるのなら、身体中に管を這わせてまで生き延びたくないと言う。ましてや、90前後になってからの胃ろうなんて言語道断。人間は死ぬ間際食べられなくなっていくのが普通だ。食べたいのに食べられないならまだしも、食欲が落ちたからと内臓に直接栄養を入れないでほしいと。そのとき、もし認知症を患っていたら?おそらく自分ではノーとは言えない。だから、今言っておくと宣言された。
リベラルな夫婦である。なにごとにも。
こうときめたら、多少のことでは揺るがない人たちなので、実の子である姉と夫は「はいはい、わかりました」といつものノリで快諾する。
あ、ついでに。という感じで姉が議題を追加した。
「お母さん、前から戒名はいらない、葬式は花をたくさん飾って、香典はお断り。骨はよっちゃん(猫)のと混ぜて三浦の海に散骨してくれって言ってたじゃない。なら、葬儀屋も手配しておいてね。病院で亡くなるとすぐに葬儀屋がきて、あれよあれよと契約させられるみたいだから。今はね、初めからそういうつもりで死ぬ前に申し込んでおけば、希望通りにやってくれる葬儀屋さんもたくさんあるから」
実の娘は強い(笑)
★★★
父は数年前から大量の写真アルバムを整理していた。
旅行先で撮った紙焼きの写真。写真好きな自分にはとても大切なものだけど、他人にはただのゴミ。自分の父親が亡くなった時の片付けでそう痛感したらしい。
最終的には、お気に入りのものは、五冊一箱のアルバムにコンパクトにまとめていた。最近の写真は全てSDカードに。クラウドなんて知らない人なので、ここ数年はSDカードに次々と保管している。その写真を鑑賞するのは専らテレビ。「俺が死んだら、この箱ごと捨てていいからな。荷物にならなくていいだろう」と笑う。
母は母で、古い着物やガラクタのような貴金属、昔の友人との手紙など、もう何年も手に取っていないものを整理し始めた。食器も好きで集めていたけれど、夫婦とたまに来る私たちが使う分だけあればいいと、使い勝手の良いものと、少しカッコつけたい時用のものを残し、どんどん手放した。姉と私を前に「財産になるような指輪も宝石もないわねぇ」と笑う。
そうです、これは終活。
父母は、リビングウィルの用意の他に、数年前から少しずつ身の回りを整理し始めた。現在は一段落ついたところ。
家の中や押入れが見違えてスッキリした。元々物に執着の無い夫婦だったけど、ここまでやるとは驚いた。
★★★
そしてその終活のひとつが、この夏の「生前遺影撮影」。
とはいえ、話の始めは姉の提案による、金婚式祝いの家族写真撮影。母に企画を話したら「あら、じゃあ生前遺影ってやつも撮ってくれないかしら」と自ら頼んできた。
クィーンオブリベラル。人によっては縁起でもないと怒り出しそうだが、母は全く気にしない。父も乗り気である。
撮影は、私が家族写真を何度かお願いしている海野恭輔さん。(事務所は横浜と静岡)海野さんは「家族写真」で依頼すると、時間の許す限り夫婦、家族、子どもたちだけ、祖父母と孫などなど、ありとあらゆるパターンを依頼人の好きな場所で撮影してくれます。
今回は家の中で撮影した後、三浦半島の海岸、近所の公園(生前遺影はココ)、最後に自宅の車の前と、場所を変えた。
そして帰り際、海野さんは撮影したものをざっとパソコンで見せてくれた。
海をバックに、公園の緑をバッグに。
自然の中で撮った普段着の家族写真はとても清々しい。特に父母の生前遺影は、グリーンの背景がどこの避暑地かと思うほど。二人の自然な笑顔に、家族も笑う。
「もうこれで、いつ何があっても大丈夫」夫が冗談を飛ばす。
「後のことは頼んだぞ」
父母も呼応して場を和ます。
こんなに明るく「生前遺影」が撮れるのは、父母がまだ元気で、将来必ず訪れるであろう「死」を私たちが遠くに感じているからだろう。(実際、中学生の娘に「生前遺影」の話をしたら訝しい顔をされた)
海野さんの話によると、余命宣告をされている人からの撮影依頼もあるらしい。「弱って動けなくなるうちに」と、自分と家族の写真を残しておくのだそうだ。
そのような事情に比べると、私たち家族のなんとお気楽なことか。でも、この撮影のために皆で予定を擦り合わせて集合したのこと、カメラマンがわざわざ自宅に来てオーダーメイドで撮影してくれたことを、父母はとても喜んでくれた。
私と夫は、親に対する感情は割と希薄だ。
良くも悪くも薄情かもしれない。離れて暮らし、一年に一、二度と会う生活が二十年になるせいか、親がその時を迎えてもきっと冷静だろうとお互いに予想している。
離れて暮らしているにも関わらず、親への想いが強い友人を見ていると、キツイなと思う。その一方で、そんなドライな自分をおかしいのか?と悩んだ時期もあったが、幡野広志さんの著書にあったNASAのくだりを読んで、私の考えはさほど奇異ではないと感じた。
それでも、やはり孫の顔をみて嬉しそうにする親を見ると、遥々会いに来てよかったなと感じるのだ。その辺りは、やはり情というもの?
私たち世代にとっては、毎年のこんな行動のひとつひとつが、親の終活の手伝いなのかもしれない。
数年後、父母がまだまだ元気だったら、生前遺影は更新しよう。撮影のために全員でまた集合して、さほど様子の変わらない大人と、どんどん変わっていく孫たち四人で、家族写真も更新しよう。
そして、「この遺影、いつ使うんだよ一体」と夫が軽口を叩き、また皆で思いきり笑うのだ。
私たち家族は、あと何回、夏の集合がかなうだろう。親への想いは希薄と言いながらも、父母の遺影を囲みながら「あの夏に撮影したよねぇ」と皆でしみじみ話すのは、やはりまだまだ先であってほしいと願っている。
そんな2019年、夏の帰省。