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【#一日一題 木曜更新】スケベな文章
山陽新聞の「一日一題」が大好きな岡山在住の人間が、勝手に自分の「一日一題」を新聞と同様800字程度で書き、週に1度木曜日に更新します。
文章にスケベ心を出すなという内容の記事を読み、少し緊張している。詳細は省くが、これまでのあれこれを振り返ると、心当たりがあり過ぎて死にたくなった。
家族のことを書くときは、どうしてもスケベ心が出てしまう。せっかく読んでもらうなら楽しんでほしいし、どうせなら笑って帰ってなどと思うと、息子のアホなエピソードはもりもりと盛りつける。盛りと嘘の間のぎりぎりのところで、これは脚色なのだとニンマリしながら書く文章は、どうしてこう楽しいんだろう。ああ、やはりスケベなやり方だ。
そして泣かせる文章は案外に簡単で、文章を書く人なら読者の落涙の切り札になるネタや表現方法を持っている。ある作家さんが、「書けと言われたら10個の嘘を書いて人を泣かせる。それがプロ」と言っていたという。SNSの伝聞なのでそのことばの真偽はわからないが、物書きの在り方はきっとそういうことなんだろう。
だからというわけではないが、自分には禁じ手にしている題材がある。長らくここnoteで雑文を書き散らかしているが、一度も公開したことがないのが亡くなった人との思い出話で、これまでの下書きを読み返すとそれこそ下心がエロエロとあふれていて、スケベな筆致としか言いようがない。むすこの笑い話とは違い決して嘘も盛りもないはずなのに、自分と亡くなった人との間にある思い出は、どれも真実を確かめようがないためか、独りよがりに美化された上でこぎれいに悲しく表現されている。
亡くなった人との思い出について、自分から一切のスケベ心を排除したら一体どんな文章になるんだろう。そんなことを考えながら、最近は重松清さんの小説を再読している。重松さんの人の機微の描き方はため息もので、どこかで見てきたのか取材の上なのか、見逃しがちな人の様子を切り取った描写に圧倒される。自分がこれをやろうとしたら、きっとスケベ心が前面にでてしまう。ああもう、自分のアレコレは、やはりまだまだ下書きに置いておくしかないようだ。
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