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【1分で読める500字コラム】難しくて困るよね、権利と人権
何にでも「権利」に置き換える世の中に、少し疲れています。先日は「生理中に快適に過ごす権利」というキャッチコピーを目にして、どういう意味なのかと、1分ほど凝視してしまいました。いえ、広告が言わんとしていることは、頭では理解しているんですけども。
広告としてのコピーなら、アリか。アリだな。「権利」は範囲の決まっているもの。生理は女性特有のもので、しかも期間もある。権利は単なる装飾言葉で、主張を表すイメージ。イメージとしての言葉。ほーか。
対して「人権」は?
人権はフラットです。あるとかないと考える前に、そこに「あって当然」のもの。人間なら、老若男女でも犯罪者でも死刑囚でも「ある」もの。権利と違い持つ持たないではなく「ある」ものです。
と、なると。冒頭に挙げた「生理中に快適に過ごす権利」の権利は「人権」の意味合いに近いのではないかと。権利はあるなしの場合があって主張もできますが、人権は主張せずともあって当然のもの。
なんて。
このようなことを考えてしまうのも、最近は何かにつけ権利権利と言葉だけがひとり歩きをしている印象があるからです。「権利」がついていると、話題に正当性があるような気がしてしまう。
生理に権利なんて付随されては、たまらんなあと思うわけです。生理はどうしたって「ある」もの。文字通り、生理現象ですから。
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