第13回 映画『PIGGY』を語る!!〜残酷だが、いじめはなくなることはなく、苦しむ人はこれからも生まれ続けるだろう。「いじめられる側も悪い」と言う人に欠落した視座とは?報復は何を意味し、何を残すのか??そして、善と悪が共存する人間を支えているものとは何なのか?(ネタバレあり!!)
くに:フォロワーの数が少しずつ増えてきました!このセリフちょっとだけ言ってみたかった(笑)
たけ:ウケる(笑) やっぱり途切れさせないで定期的にアップするの大事だね、view数かなり増えていってるもんね。継続するってやっぱり大切ですねー。でも最近忙しくてあんまり映画観れてなかったし、映画館全然行けてなくてさ。というわけで、私が実家帰ってきたということもあり、久々に2人で行ってきました!!今回のお題は?!
くに:『PIGGY』です!!
たけ:これ、お題にするかどうか迷ったんだけど、考えなければいけないこと沢山あるということで、これにしました〜。
くに:公開館数もそんな多くないし、スペイン映画でメジャーではないけど、まずは簡単にあらすじです↓
太った体型のせいで酷いいじめに遭っていた10代の少女サラ。彼女は、いじめっ子たちが攫われた誘拐事件の唯一の目撃者となったことで、運命を狂わされていく。
たけ:観てる間、しんどかったな〜俺。
くに:言ってたね〜それ。一応理由言っとくかい?
たけ:PIGGYって、まあ「豚ちゃん」とか「おデブちゃん」ていう意味じゃんね。主人公の女の子、凄い太っていて、友達から容姿についてとことんからかわれているんだけど、俺も昔、中学高校と太ってて同じようにからかわれていたことあったから、辛い気持ちわかるわ〜って思いながら観てた。実際に「ピッグ、ピッグ」って呼ぶ奴もいたよ。しかも、リサは言葉だけじゃなくて、フィジカル的な嫌がらせだったり、SNSにあげられるだったり、はたまた私物奪われるとか、結構ないじめを受けているからなおさらしんどかったよね。自分はそこまではされなかったけど、頻繁にそういった言葉をかけられていたからさ。これだけは言いたいのは、相手の容姿をからかうのは本当にやめてほしいっていうことです。ウケ狙いや冗談だとしても、言われた方は少しずつ傷つくんだよね。その場で笑っていたとしても、内心傷ついてしまう人必ずいるから。
くに:たけよく言ってたよね、冗談でも人の容姿をからかったりすることができないってね。お笑い芸人で容姿を売りにしている人いるけど、それもダメ、揶揄できないって言ってたよね。
たけ:そう。よく、「いじめられる側も悪い」って言う人いるけど、これ致命的な視座の欠落だと思ってまして。例えば、自分が誰かに言葉をかける時に持たなければいけない視座って、「もし相手が自分自身なら、その言葉は言うべき言葉なのか?」っていうこと、そして「そのかける言葉は言いたい言葉ではなく、言うべき言葉であるか?」ってことだと思うんだよね。罵詈雑言を言われて嬉しい人っていないよね、だから相手に投げかける言葉を選ぶ時、それがブーメランのように自分に返ってきた時、その言葉を聞いて自分はどう思うか?っていう思考を常に伴わなければならないと思うんだよね。次に、その言葉を言った時、それは自分がスッキリするためじゃなく、相手の成長や前進の為になるものなのか?というように、届かせるっていう努力をするというか、ワードチョイスしなければならないと思う。常に相手にかける言葉が自分に返ってくる、という前提で他者とコミュニケーションしなければいけないはずなんだけど、「いじめられる側も悪い」という論理には、その視座が全くないんだよね。これ、暴力の出発点だよね。テレビでているそういった類の芸人さんはそれでお笑いをとろうとしているのはわかるんだけどね〜、俺やっぱり無理なんよ。トラウマになっているのかもしれないねー。
くに:結構辛い思い出になっちゃったようだね、、、。映画の内容に入っていきたいんだけど、率直にどうだった??
たけ:まず、今回はネタバレ許してほしい!でないと話ができない映画でして、、、。とういうわけで、これもねえ、、、、、相互不信が極に達した結果、積もりに積もった苦しみが暴走してしまうというお話だったよねえ。友達からいじめられ、一番安心できるはずの家族の中でもあまり大事にされず、特に母親からは一方的に価値観押し付けられて、自分の気持ちを聞いてもらえる関係性が全く築けておらず、リサには吐き出すあてがどこにもない。そんな気持ちをある種デトックスする方法が、食べること。しかもかなり高カロリーな甘いお菓子ね。。だから母親にダイエットしろって言われても全く続かない。根っこの問題が何も手当てされていないからね。
くに:そんなある日、リサをいじめていた女の子たちが男に誘拐されますよ、と。で、リサもこの男に顔を見られて、もしや一緒に誘拐されるのか?!はたまた殺されちゃうのか?!と思うんだけど、友達が奪ったリサの服を返してあげるんだよね。要するに、この男はリサに危害を加えるどころか、驚くことにリサを守ろうとする存在である、と。さらに、この誘拐した男が何を象徴してるかというと、リサの内面の具現化なんだよね。いじめられていく中で、「お前ら全員死んじゃえばいい」っていう気持ちが芽生えていくんだけど、それを自分の代わりにやってくれる人がいきなり現れちゃうっていう。リサの悪の部分がいきなり目の前に現れるっていう。
たけ:映画見ながら思ったよね、「これ、魔人ブウじゃん!」って(笑)
くに:懐かしい!!魔人ブウが最初に分裂する時ね(笑) Mr.サタンと一緒に可愛がっていた犬が悪いやつに殺されちゃった時、頭から煙出て、悪の魔人ブウが出現するっていう、苦しみが極に達して暴走するシーンという意味でまさに一緒だったね。ちなみに、ドラゴンボールでは最初の魔人ブウは悪の魔人ブウに完全に飲み込まれちゃったけど、じゃあこの映画のリサはどうなってしまうんでしょうか?!!っていう方向にまさに繋がっていきます。この映画のストーリーに沿うとつまりこういうことです、実際には倫理的にとてもできない事や願望を想像しているさなか、自分以外の人が代わりにやってくれるとなった時、あなたはそれを見届けますか?止めますか?という人間の倫理観をギリギリまで追い詰める内容です。
たけ:結論から言うと、リサは自分の悪の分身とも言えるその男を殺し、自分をいじめていた女の子たちを助けるんだよね。。。どうしようもない奴らなんだから、殺しちゃえばいいじゃん!!っていう風にその男にそそのかされるんだけど、自分の倫理観をギリギリのところで繋ぎ止めて、男の方を殺すっていう結末になります。コレはズシッときたね、、、。
くに:個人的にはコレ見て、「男を殺す=邪悪な自分と決別する」という選択をすることで、全ての苦しみから解放されようとしたのかなって思った。
もしいじめていた子たちを殺したとしても、その罪は一生つきまとってきて、リサ自身を苦しめると思う。だから、リサはある意味そのいじめていた子達を許し、邪悪な自分とおさらばしていくことを選んだっていう、キリスト教的な内容だなあって。
たけ:今年公開された『対峙』っていう映画もそうだったよね。自分の子供を殺された両親と、殺してしまった子の両親が和解するために話し合いをするっていう映画だけど、被害者側の母親が、「あなたたちを許します、そうしないと辛くて生きていくことができない」って言う。つまり、誰かを恨んだり呪ったりすることは回り回って自分自身を苦しめることになる。だから、唯一の救いは、許すことにあるって言う内容だったよね。もちろんすぐにそんな感情になれるはずもないから、長い時間をかけていかなければいけないんだけど、どのみちそうするべき時がやってくると言うことであってさ。でも、リサがあの緊迫した中で、そのように考えていたのかどうかはわからないけど、ギリギリ理性を保っていられたのはどんな要因があるんだろってのは凄い考えた。リサ自身の手で男を葬る一方で、いじめ女子を助けるという結末って、相反することが同時に起こってしまうわけで。つまり、この映画の一番重要なポイントは、「人間は善でもあり悪でもある、はっきりと線引きできる存在ではない。では、悪の道に導かれてしまうことを引き止めてくれるものは何なのか?」という点。くにはどう思う?
くに:ん〜難しいね。。。。リサを理解しようとしてくれる人はゼロではなかったよね。いじめてる女の子グループとよくつるんでいる男友達は比較的良いヤツだったり、プールで事件が起きた時、リサの話をちゃんと聞こうとする警官だったり。お父さんはお母さんと違って比較的優しかったり、可愛い弟がいたり。そういった存在がリサを完全に悪の方に行かせなかったのかもしれないな〜とは思った。
たけ:俺も似たような事を思ったんだよねえ。つまり、毎日いろんな人と関わりあう中で、何気ない接し方だったり、それこそ誰かの些細な気遣いや優しさ、挨拶、笑顔、会話、相ずちだったりが、実は自分たちにまとわりついた何かを洗い流してくれていたりしているのかもしれないっていうこと。それは時には映画や音楽や芸術もそう言った意味を持つものになり得るだろうね。逆に言うと、それをおろそかにしていると、そのストレスが積もりに積もって、ある日糸が切れて、取り返しのつかない事になるかもしれないっていう事も同時に思った。だから、「とてもそのような事をする人とは思えなかった人が、驚く行為に出た」みたいな事って実際にあって、それはそういったことの積み重ねであって、誰にでも起こり得ることなんだろうな〜って。
くに:なるほどな、、、。話聞いてて、自分たちの行いって、一つ一つは些細なことかもしれないけど、実は繋がっていて、どこかで知らない誰かを支えてるのかもしれないな〜って思ったなあ。そして私たちもまた、そう言ったことで支えられているのかもしれないね。今回もありがとう!!