俺と内田篤人
ついに、この日がやってきてしまった。内田篤人引退。
いままで、3回の投稿で自分と大学サッカーについて書きましたが、今日はせっかくなので、自分にとって一番大切で憧れた、内田篤人選手について書きます。今後も、大学サッカーについて書いていこうと思うので、以降重複するかもしれませんがあまり気にしないでください。
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2016年。大学2年の夏。「引退するか、長くて1年のリハビリになるが手術をするか。」その選択に迫られたとき、まだ、彼のファンではなかった。どちらかというと、長友のような選手になりたいなあ。と思っていた。そして、手術の恐怖におびえていた9月下旬でふとこんなニュースを見た。
もう、昔のこと過ぎてあまり記事は出てこないけど、その時「シャルケ内田。MRIの結果次第では引退の可能性も。」とドイツの一部記事がセンセーショナルな記事を出していた。奇しくも、自分自身がなんどもMRI検査を受けて1年以上のリハビリ生活を送ることが決まっていたため、このころから内田選手の動向を気にするようになった。
そして、手術が終わり、ベットの上で嬉しい記事を見た。
「そっか。うっちーよくなってるんだ。俺も頑張ろう。」珍しいと思う。彼の端正な顔立ちでもなく、グラウンドで相手を翻弄したり、守備に奮闘する姿ではなく、リハビリを懸命に行う彼の姿に感情移入して、彼のファンというより、自信を重ね合わせるようになった。
そして、ついにELザルツブルク戦で639日ぶりに公式戦に復帰した。まだ、松葉杖で生活していたが、「長い怪我しても、ちゃんと復帰できるんだ。うっちーもまだまだこれからだし、俺もリハビリ生活ここから長いけど頑張ろう。」と思った。
手術から、10か月後。2017年。大学3年の夏。チームの練習に一部復帰して、ようやくトレーニングを再開した日。手術をした右足に激痛が走った。再びMRIをしたところ、手術をした箇所に内出血が見つかり、再びリハビリ生活を送ることになった。チームを離れてから、1年4か月がたっていた。もう、サッカーをやめよう。無理だ。完全にこころが折れてしまった。しかし、この時自分を救ってくれたはまたうっちーだった。
「内田篤人。練習試合で1試合2得点。」このとき、もう少しだけ頑張ろうと思えた。「うっちーがブンデスリーガ―として復帰するのを自分が選手として見届けたい。」
しかし、再びリハビリ生活を送るなか、こんなニュースがはいいてきた。「内田篤人、シャルケ退団。ドイツ2部ウニオンベルリン加入。」このとき、「そうか。長期離脱すると、怪我でサッカー選手は復帰できなくなるのか。」率直にそう思ってしまった。しかし、うっちーのコメントを聞いて、そんな気持ちは一気になくなった。「サッカーを楽しみたい。場所は関係ない」そんなコメントに勇気をもらった。今は、試合に出るために移籍したけど、ブンデス1部だって、日本代表だってもう一度見れるはず!そう思った。遠回りになるかもしれないけど、うっちーは諦めてない。俺も諦めない。
そして、3年の11月。チームを離れてから1年8か月。練習試合。残り20分でその時が来た。シーズン最後の練習試合でようやく、実戦に復帰することができた。チームを離れてからしばらくたっていたので、練習試合用のユニフォームの背番号をわざわざ2番に変更した。このころから、何があっても下を向くことがなくなった。うっちーもこれから。俺も公式戦に出られるようになるように、これから頑張ろう。そう、決意することができた。そんな時、あのニュースが入ってきた。「内田篤人、鹿島アントラーズ復帰」
ブンデスリーガに復帰できなかった。そういう事実もあるが、それ以上に「W杯に出たい」そう語ってくれたうっちーに胸を打たれた。ブンデスリーガやCLに出ることも大切かもしれないが、それ以上にまだ上を向いて戦い続ける姿を見て、残り1年の最後のシーズン。絶対につらいことがあるけど、頑張ろう。絶対に下を向かない。そう誓った。
2018年。大学4年を迎える直前の2月。やってしまった。練習中に無理なプレーをして、手術をした足と逆の左足を怪我してしまった。「全治4か月。今後もサッカーを続けたいなら、今手術をしておいた方がいい。手術したら半年はかかる。」迷いはなかった。俺は大学サッカーに全てをかける。今後サッカーができなくなってもいい。あと1年でやり切ろう。保存療法を選択した。選手として、戦力にならないであろうことが決まってしまっても関係なかった。大学4年のうち2年半以上をグラウンドの外で過ごした俺は、客観的に見ても、とてもチームの戦力になるような状態じゃなかった。もう、「サッカーがしたい。最初の目標は無理かもしれないけど、今可能な限り少しでも選手としてレベルアップしたい。」そんな、絶望的な状況でも前向きになれたのはウッチーのおかげだと思う。
2018年6月。W杯のメンバーが発表された。このころ、筋肉系の怪我を繰り返していた、うっちーの名前はやはりなかった。
「落ち込んでいない」そのコメントの裏側にどれほど、悔しい気持ちがこもっていたんだろう。でも、前向きだった。「俺も引退したときに後悔がないと言い切れるように頑張ろう。」
2018年11月。大学4年。Bチームの公式戦に出場をすることを目標に懸命にサッカーをしていたが、結局、一度もベンチ入りすることができなかった。引退した日、後悔しまくりだった。悲しかった。でも、最後まであきらめずに手を抜かずに、前を向いてやれたことは自信を持てた。都合3年と7か月の大学サッカーで2年半もサッカーができない時期があっても、ちゃんと選手としての終わりを迎えることができた。「こんなリハビリ耐えられるの俺とうっちーくらいだろ!」うっちーがいなかったら絶対に大学サッカーを途中でやめていたと思う。しかし、最後まで、前向きにさせてくれたうっちーには感謝してもしきれない。
そして、2020年8月23日。選手として最後の日を迎えた。自分が大学サッカーを引退しから、何度かうっちーの試合を見にカシマまで行った。しかし、2019年ごろから、何かがおかしかった。スタメンを外れたり、筋肉系の怪我が長引いたり、グラウンドであきらかに苦しんでいるうっちーがいた。かつての姿はもうなかった。痛々しい右ひざのテーピングを見るのが辛かった。それでも、戦い続けてる。これから、うっちーがどんな結末を迎えても、決して目をそらさずにちゃんと最後まで見届けよう。Jリーグに復帰してから、今日まで放送権の関係で見られない試合以外、うっちーの出場試合は全て見た。
しかし、今日の試合はどの試合とも違った。守備、パス、ポジショニング。最高だった。このレベルの選手が引退しないといけなかったのか。最後のインタビューで「選手として終わったと思った。」と答えていました。今日の試合内容でも本当にそう思ったのか。そうか。すべてを出し切ればJ1でもまだまだやれるんだろうけど、1試合だけなら何とかなっても、継続していくのが厳しかったのかな。最後の試合でのプレー伝えたかったこと。ちゃんと伝わってきました。
「元の状態に戻らない」この一言に全てが詰まっていたと思います。どれほど苦しんだんだろう。つらかったんだろう。想像がつかない。自分も2年半リハビリを送ったが、それどころじゃなかった。ブラジルW杯を戦ってから、6年。ずっと苦しんできたんだ。それでも弱みを見せずに戦い続けた。背中で、プレーで示そうとし続けた。「不言実行」自分が苦しんでいる姿は見せない。そんな寡黙な背中に惹かれて最後は少しだけ、そのつらかった気持ちも教えてくれて本当にありがとう。自分にとって、本当に特別な選手です。
大学サッカーをやり切れたのも、今でもサッカーが好きだとちゃんと言えるのも、社会人リーグでもう一度頑張ろうと思えたのも、うっちーのおかげです。
本当にありがとう。お疲れ様でした。
「また」会えることを楽しみにしてます!!