「何者かになりたい」は終わらない。でもそれでいいのかもしれない。
「何者かになりたい」は捨てたはずなのに、というnoteを以前書き、多くの方に読んでもらえました。
「今はどう考えてるんですか?」
そう問われたので、今日はそんなことを考えてみたいと思います。
いきなり結論ですが、他者における「何者か」の比重が下がり、自己の評価する「何者か」の比重が上がった。でもそれさえも途中だ。もっというと永遠に途中だ。みたいな感じです。
誰かから認められるための「何者か」は、評価する軸を他人に委ねてしまっています。それはつまり、客観的指標で評価できるもの価値が相対的に上がるってことです。端的にいうと数字。売上、利益、ユーザー数、従業員数、そういったもの。人は数字にすると同じ話をしていると勘違いできる生き物なので、他者評価は数字になりがち。んなわけないのに。「従業員10人」って言ったとして、それが同じ難易度、同じクオリティ、同じ躍動感あると思います?こう聞かれると「んなわけないでしょ」って答える人が、会話の中では「10人」と「100人」を比べて後者をすごいという前提を置いちゃう。数字の魔力。おそろしい。
だから、他者評価の「何者か」は、数字をベースにした客観的な指標で語ることになります。「いま、売上10億までは来てて」「ユーザー数がこの1ヶ月で1万人増えて」みたいなみたいな。
もうちょっとだけ補足すると、肩書きとかもこの種類です。「有名大学出身で」「IPO経験あって」「弁護士で」「上場会社の顧問で」みたいなやつです。
自己紹介の時は、相手の感度がどの程度がわからないので、こうした他者評価しやすいものをベースに「何者か」を語ります。やむをえぬ。
一方このことは、自分が大切にしている何かを大きく削ぎ落としていることにもなります。目の前の誰かの笑顔を見たくて始めたサービスが「いやぁまだ売上1億にも届いてなくて」って言った瞬間、何かが死んでます。あんなにわくわく始めた会社が「うちはIPOとか目指す会社じゃないんで」って言った時、過去のわくわくしてた自分の何かを殺してます。他者評価に自分を委ねるというのはそういうことです。
一方で、自己評価による「何者か」があるのではないか?
ってのがここ最近の気づきで、そちらの比重が増してきているって感じです。客観的に評価できない、もしくは評価してもしょうもないけど、確かに自分の衝動に基づく何かがあり、それを行なっている自分。その際、人とは比べない。ただそれをやる自分。そういう「何者か」。
僕の例で言うと、「最近は月に10万字文章を書いてます」。これは他者評価を気にして言ってるものになります。「最近毎朝文章を書いてる」これがリアルなもの。本当に自分のことを自分で評するなら「10万字」とか言わなくていいんですよ。やってるのは毎朝書いてるってだけなんで。そしてそれが他に世界中1億人いても関係ないんですよ。書いてるんで。紆余曲折の結果、「うん、僕は書くんだな」ってなって、それを続けてるだけなんで。認められようとしてない、単純に「ただ書く」が、今の僕なので。
一方で他者評価も気にした時、「ただ書く」の結果として、月10万字が生まれてて、それがおそらく唯一無二(もしくは超少数)だから、それを伝えてる。そういう関係性。「月10万字書いてます」って言うたびに、「それが本質じゃないんだけどなぁ」ってよく思います。でも言っちゃうし、ここまでわかってたら言っても大丈夫かなってのもあります。
若い人にはピンとこないかもしれないですが、当時「何者か」だった人は、今ほとんどいません。本当にほとんどです。数人残ってるかなぁくらいの感じです。その人たちの話が出た時どういうリアクションになるかと言うと「あぁ!いたねぇ!笑」です。僕たちが求めて止まない「何者か」は、そういうものです。ほしいですか?欲しいならいいと思います。これは本当に嫌味じゃなく、本当にいいと思ってます。だって、そういう凋落を見た後は素直に「何者かになりたい!」を目指せなくなってしまうから。目指せること自体ある種羨ましさもある。
今年もIVSに行った。会場には「何者か」になりたくて焦っている人がたくさんいた。「自分はこういう人間で」と今「何者か」として扱われてる人に一生懸命説明する。5年後には立場は逆かもしれない、両方ともいなくなってるかもしれない、そのままかもしれない。でもあたかもこの上下が一生固定されているかのようにお互い会話をする。今日会ったことをお互い1ヶ月後には覚えてないのに。便利な「名刺」として「何者か」を利用する。僕だってそうだ。何も変わらない。
いつだって「何者かにはなりたい」。でもいつまで経ってもなれない。いや、なったとしてもそれもまた一時的なもの。自分自身忘れる。なってたことも、今なってることも。ずっと途中。でもそれでいいのかもしれない。人生は過程で、そしてそれは終わらないんだから。