地下室の手記のようなもの(途中まで)

はじめに、これを書いた作者と私は友人だった。彼を思い出そうとすると、まず几帳面に切られた爪を思い出す。その次に、伏し目がちにこれからを憂いる横顔が浮かぶ。髪はぼさぼさながらも決して目は生気を失わず紡がれる言葉は大学生にしては理性的で決して彼自身の感情に左右されることが無かった。友人と言っても彼とは大学1年の後期の対面授業(対面授業とは不思議な言葉だ。例の感染症が無ければおそらく一生使われなかったであろう。)でグループワークが一緒になったくらいの仲だ。しかしおそらく、彼にとって私はそうではなかったのだろう。彼は私を唯一無二の友人と捉えていた。彼が社交的であったなら、もしくは感染症がここまで流行らなければあんな馬鹿な選択肢に手を伸ばすことはなかったはずだ。彼が死ぬ直前に
2年が経った。無為に。何もできず、何にもならず、ただ時間だけが流れて始まり、終わった。私は2020年の4月に大学に入学した。2019年の2月は必死になって都内の有名私立大学を受けた。結局入学の許可をもらえたのはタックル問題を起こした大学の商学部だけで親から離れたかった俺は地方の中堅国立大学に合格し、そこに入学した。家賃は2万円を切るワンルーム。布団と机と本棚を置けば他に何も残らない。キッチンは玄関に入ってすぐ左、風呂とトイレは右側。歩いて9歩で部屋が終わる、そんな現代の地下室に入居することから俺の暗く、みじめで何もないただただつまらない消化試合のような日常が始まった、始まってしまった。いや、本当は頭の奥底では理解している。このつまらない日常の原因は、社会に蔓延した後回しと責任の押し付け合いという慢性的な病のせいではなく自分が周囲を軽蔑して全てを鼻で笑うような傲慢さと新しいことへ挑戦することを以上に怖がる臆病な心こそが問題なのだと。ここまで読んでいた読者にはなぜそこまで自己を理解していながらもなぜその問題を解決できないのかを疑問に思った方もいるだろう。


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