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人は、ほんとうは、

昨年からマンションの理事会の理事になってしまった。
まあ順繰り回ってくることなので。
いよいよ大規模修繕工事の時期を迎え、お願いする業者選定などについての話し合いが続いている。

うちのマンションはそんなに規模も大きくなく、入れ替わりもそうなく、入居時からなんとなく知っている方々ばかりで、大きなトラブルもない。
管理も優秀、あんまり問題もない。
それでも、やっぱり違うご意見がそれぞれにあり、いろんな方がいる。

そういう意見にも耳を傾け、専門家の意見を聞き、納得し、
という話し合いを繰り返してきたのに、またちゃぶ台をひっくり返したい人が資料を配って自説を繰り返した。
(その議論はもう、総会で決議して進めてきたことですよね?)
ちょっと、もう、正論で殴って黙らせてしまった。
たとえ正論だとしても、パンチはいかん。帰って反省した。

表向きには、予算の使い方がおかしいのではないか、というあちらもまた正論だし、すごく理知的な資料のように見えるが、よくよく聞いても、よく読んでも、不信と過去への固執しか読み取れない。

なんであの人はこうも執拗に、毎回? 本当は何が気に入らないのだろう?
あの場合、殴りかからずに矛を収めてもらうにはどう言葉をかけたらよかっただろうか、と考える。

▪️


お茶屋をやりながら、ありがたいことにときどき司会業もお声がかかる。
姿形や発声が美しいわけではないが、ファシリテーター(理解促進者)としてのあつかましさ?故であろう。

今度もあるんよー、講演会の司会。
と母に何げなく話すと後日
「あんたまた変な服着て出んさんなよ?私が見てあげるけぇ一緒に買いに行こう」と電話がかかってきた。

昔から、母とはセンスがまるであわない。
「また変な服をきて」「ルンペンみたいな格好して」「髪を切りんさい」
とずっと言われ続けている。

小学生の頃、母が選ぶ服がいやでいやでさー
タータンチェックのプリーツスカート、紺のブレザー、白いシャツ、
もっとお友達が買ってもらってるみたいな、ふりふりがついた、ピンクのトレーナーとか着たいな、薄いシャカシャカいうウインドブレーカーっていうのがほしいな、と言っても
「そんなの貧乏くさい」とまったく聞いてもらえなかった。

大学生くらいになると、親が何を言おうと、バイト代で買って好きなように服を着た。
「また変な服をきて」「ルンペンみたいな格好して」「髪を切りんさい」
はそのころから言われ始めたっけね。
気にもしてない風にしてたけど、
親に認められないってのはけっこう傷つくよね。

誕生日には一緒に服を選びに行って、母が納得するものを買ったはずなのに、後日その服を着ていても「似合わん、安っぽい」などと言うものだからもう意味がわからない。

お母さんさー、もう娘も50を過ぎたいい歳した大人というか中年です。
TPOくらい考えて服は選ぶよ。
さすがにルンペンみたいな格好で司会はしないよ?

とオットにこぼすと、

「それって単に、
(娘と一緒にお買い物に行って服を買ってやりたい)
って意味じゃないの?」

なるほどね!!!

深い納得であった。

ひとは、ほんとうは、幼稚な願いを抱えてて
それを
年取ったり、親だったりするから素直に言えなくて
ディスったり、いばったり、否定したり
その奥には 「さみしい」 がいるのではないか

わたしも、一人暮らしの息子の一挙手一投足を見たいし知りたい
服を買ってやりたい、靴も買ってやりたい
あれも食べさせたいこうしてやりたいあれも伝えたい
だけど
それをやられて嫌だったでしょ?ってわかってるから
言わない 過干渉いやだから
でもほんとうは 「さみしい」
ほんとうはさみしいんだよ

抱っこしてぜんぶやってあげてた時が遠くてかすかになっていく
自分の肉体は衰えて
社会的な地位も失って
誰からも ほめられることもなくて
いてもいなくてもおんなじで
さみしい
だいたいのひとは、みんな さみしい

もっとみんな素直になったらいいじゃん

やだよー とか ばかー とか
さみしー とか おまえきらいー とか
だいすきー とか あいたいよー とか
言えばいいじゃんね

言われたら、しらんがなー とか適当に返しながら
さみしそうなら、よしよし とかしてあげたらいいんじゃないかな。

ひとにはやさしく。そう思ったんだよね。








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