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奴留湯温泉先輩にあいさつしてきた
旅から戻りました。
九州、別府鉄輪温泉から九重連山、高原と温泉ばっかりの旅。
何泊かした中の、何度も訪れた宿、いろいろ思うこともあった。
初めて泊まったのは息子が小さかった頃だから、もう10年以上前か。
10年やそれ以上、毎日毎日宿を開くのは想像するだに大変だ。
家族で経営、ご主人やスタッフは歳をとり、体も大変だ。
変わらぬ温泉、変わらぬ料理、変わらぬ笑顔
しかし変わらないものは少しずつ澱んで滅びていくのかな。
自分も店を開いているから自戒する。
毎日があたりまえになって、澱んでいても
それがあたりまえだから気がつかない。
そうやって鮮度を失って腐っていく。 それって望んでいたこと?
旅の最後に、奴留湯先輩にあいさつしに行った。
熊本県阿蘇郡小国町北里
あの「細菌学の父」北里柴三郎先生の郷里でもある。
先輩は相変わらず、清潔で豊かで素晴らしかった。
平日午前、だれもいない。
そこは掃除用具が整頓され、工夫がこらされ、清潔な足拭きマットに乾いたバスタオルが敷かれ、様々なメッセージが掲示されていた。
手書きの絵とともに「預かっています」と忘れ物のお知らせ。
寄付者の名前が白木板に墨で黒々と書かれ掲げられている。
奴留湯温泉委員会の人々が、代々守り運営されていることがわかる。
入り口には近所の保育園からのお便りが掲示されていて、
先日の遠足でやっと滑り台をすべることができたんですよ、という微笑ましいエピソードが綴られた冊子が読めるようにしてある。
地域の人々が日々ここで憩われているのを感じる。
大事に守ろう
気持ちよく使おう、使ってもらおう
そういう人々の存在が、
ここをこのように清潔で豊かな温泉場たらしめている。
そしてその湯はほんとうに惜しげも無く
ざあざあと溢れて流れている。
ちょっと青みがかった、硫黄の香りの透明な湯は
自分の体温とほぼ変わらない。
白く糸状に結晶した湯の花が揺れている。
鼻の下までつかっていると、だんだん
自分と湯との境目がなくなり
夢とうつつの境目がなくなり
ただただ、水の音だけが流れ
気がつくと2時間経っていた。
温泉茶はこうありたいと願う。
奴留湯先輩は、変わらないのではなく、いつも新鮮であり続けている。
たった今この瞬間も古びて流れていく
それを何百年も繰り返している
いまこの瞬間も、だれもいなくても、
ただざあざあと湧いて溢れている奴留湯先輩を思う。